第2話

 言われるがまま煌輝は声のする方へ振り向くと、そこには二十代と思われる男が立っていた。手には拳銃が握られており腰元にはナイフの柄のようなものが見え隠れしている。


「何か騒がしいと思って様子を見に来てみれば。ハッ、まさか国魔師が忍び込んでやがったとはな」

「乗客に危害を加えるのだけはやめてくれないか」


 芝居がかった物言いを気にもせず、煌輝は乗客の中にテロリストの仲間らしき影はないかと目だけで辺りを見回す。


 他の車輌のことまではさすがにわからないが、男の発言から察するに、この男は車両の一番後ろを任されていたのだろう。


 情報収集を急ぎたいところではあるものの、テロリスト側の目的が不明なこともあって騒ぎを大きくするわけにもいかず迂闊に動けない。


 ――ここはじっくりと勝機が来るのを待つべきだと煌輝は考えた。


「それはお前次第だな。下手に動けば乗客がどうなるか、わかるよなぁ?」


 銃のトリガーに指をかけながら、男は余裕な表情で嘲笑う。


「俺一人の命で済むなら実に安いな。ということで今すぐ乗客を解放してもらえないか?」


 銃口を睨み返しながら、売り言葉に買い言葉と煌輝も応戦するが、それに対して男は鼻で笑った。


「冷静を装ってんだろうが、銃口ばっか見てビビってんのが丸わかりだぜ?」


 男はさらに近づいて煌輝のこめかみに銃口を突きつけた。

 その瞬間――煌輝は今が勝機であることを確信した。

 

「着眼点は悪くない。だが、その銃は不発に終わる」

「ハァ? なに言ってんだお前。整備したばかりの銃がジャムるわけ――ッ!?」


 男は自身の目の前で起きた光景に、驚愕のあまり絶句した。

 手に持っていた銃から、色鮮やかな雛菊の花が咲いていたのだ。


「い、いつの間にッ!? お前……ッ……俺の銃になにをしやがった!?」


 男は反射的に引き金を引こうとするも、銃の内部から伸びてきた蔓が絡まって引き金を引くことができなかった。


「銃の内部に花を咲かせただけだ。そして、お前はもう動くこともできない」

 

 煌輝がそう口にするや否や、植物の蔓が男の体に絡みつき、みるみるうちに縛りあげていく。


「――な、なんだこれは!? 一体どうなって……!?」


 度重なるあり得ない現象に男の声がついに震える。


「それは朝顔の蔓。対象者を逃がさないための拘束用だ。銃に注意を引かれている隙に背後へ種を蒔かせてもらった」


 煌輝の家名でもある“草摩”は代々植物を操ることに長けた一族で、リミナスを媒介にして咲かせた花は通常の何十倍もの効果を引き出す。


「こ、こんな植物の蔓如きで、俺を捉えたと思――ウグッ!?」

「忠告しておくが、それは逃れようとすればするほど、蔓が絡めている対象を絞める。変に抵抗すると命に関わるからくれぐれも気をつけた方がいい」

 

 煌輝の言った通り、もがく度に蔓はみしみしと音を立てながら徐々に絞まっていく。


「それと……能力者を相手にするなら不用意に近づかないことだな。相手が俺じゃなきゃお前は死んでいたかもしれない」


 電車の窓から差し込む日差しを浴びた朝顔が、やがて淡い青色の花を咲かせたときには既に男は意識を失ったあとだった――。


「おにいちゃん、いまなにしたのー?」

「お花の力を借りたんだよ」


 純真無垢だからこそなのだろう。今起きた超常的な現象を前に少女は一切の恐怖を抱かなかった。

 だが、


「なんで、みんなしずかなのー?」


 煌輝と少女以外の人間の時が止まったかのように、車内は愕然と静まり返っていた。


 能力者の中でも特に珍しい系統の能力を扱っているだけあって、大人達も見聞きしていたものとの違いに言葉が出ないのだろう。


「いきなり“お花の魔法使い”が現れたから、皆びっくりしているんだ。でも何も心配する必要はないぞ」


 そう言って不安そうに見上げる少女の頭に優しく撫でた。

 しかしこのままではいずれ騒ぎになると思った煌輝は、素早く手の平に一センチにも満たない緑色の粒を顕現させる。


「なにそれー? おくすりー?」

「これはお花の種だ。何の種だかわかるか?」

「うーん……わかんなーい……」

「じゃあ正解を見せてあげよう」


 何気なくそれを床に落とすと、緑色の種はまるで早送りを見ているかのような速さで種皮を破り、硬い床を物ともせずに貫通して根を伸ばしていく。


 みるみるうちに姿を変えていくそれは、やがて低木のような紫色の花を咲かせた。


 本来長い月日をかけて行われるはずの成長過程が、たったの一瞬で完了されてしまった。それを間近で見ていた乗客らはさらにあり得ない光景を前に呆然として立ち尽くしている。


「あ! それしってるー! ラベンダー!」


 煌輝の隣でそれを見ていた少女が、ぱぁっと表情を明るくさせてその花を指さした。


「正解だ。良くわかったな。これはリラックス効果のある花で、薬なんかの原料にも使われているんだ。色んな効能があるから“ハーブの女王”なんて呼ばれたりもするんだぞ」

「……ハーブ? それってすごいのー?」


 首を傾げる少女に、そういうのはまだよくわからないか、と煌輝は少し苦笑した。


「でもいいにおい!」


 少女は顔を近づけて花の匂いを気持ちよさそうに堪能する。


 中にはラベンダーのツンとした匂いを嫌う者もいるが、煌輝が咲かせたこの花はほんのりと香るかどうかという程度で不快感はない。


 そうこうしているうちに先ほどまで愕然としていた車内も、香りが満ちていくに連れて乗客の表情が和らいでいくのが目に見えてわかる。


 ラベンダーは一般的に鎮痛、鎮静に効果があるとされている花で、煌輝がリミナスを介して生み出したオリジナルのラベンダーはその効力を何十倍にも引き出していた。


 一般人から見ればまさに便利な魔法のように見えるリミナスだが、使用すれば術者は疲労感や倦怠感を覚えるし、術のリスク次第では最悪命を落とす場合もある。


 ましてや安易な能力の行使は魔導犯罪に該当する恐れがあり、それはたとえ国家魔導師資格を所持している者であっても例外ではない。


 仮に相手を死に至らしめたり再起不能に追いやってしまえば、過剰防衛とみなされる場合もあり厳罰を課されることもある。


 中には超法規的に殺人を国から認められている能力者も居るが、煌輝はそんな化け物じみた人間ではないし極力人を傷つけるようなことをしたくないというのがポリシーである。


 とはいえ、状況を鑑みるに煌輝以外に資格持ちが電車内に居合わせている様子もなく、能力の行使はやむを得ないだろうというのが至った結論だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る