第3話

 パートナーである氷月琴音からの連絡を待っている間、煌輝はミモザの花で花冠を手早く作って少女の頭に被せてやっていた。

 

「わぁぁー! おにいちゃんすごーい!」


 両手を挙げて抱きついてくる少女に、煌輝も薄く笑みを見せる。


 緊張感が抜けないようにと警戒は怠らず常に気を張っているものの、少女の見せる無邪気な笑顔はそれを容易く崩すだけの破壊力がある。


 琴音からの連絡が来るまでの間に、この子の母親が見つかればと考えていたのだが、もうすっかり懐かれてしまっていた。


 その周りでは好奇の目で写真を撮る女子高生。

 冷たい視線を向ける成人男性。

 畏怖の念がこもった眼差しで見る老婆。


 三者三様な反応だが、これも全ては先ほどのテロリストを一瞬にして無力化したことが原因だった。


 見慣れない光景――というよりも、ありえない現象を目の当たりにしたのだから気味悪がられるのも仕方がないと言えば当然なのだが。


 そんな時。インカム越しにノイズが走る。


『こちら氷月。聞こえるかしら草摩君。コントロールセンターの奪取に成功したわ。案の定こちらはテロリストだらけだったわ』

「こちら草摩。氷月にしては随分と時間が掛かったな?」

『所狭しと精密機械が周りにあるものだから、能力を上手く使えなかったのよ。それよりそっちはどう?』

「現在後部車両に居るんだが、こっちも車内にテロリストが紛れ込んでいた。前方車両はまだわからないが、乗客も居るんで下手に動けない状況だ。とりあえずそっちでこの列車を止めて他に応援を呼んでくれないか」

『スイッチが多過ぎてどれがどれだかわからないのだけど、全部消せばいいのかしら?』

「そんなことしたら特区の交通網が麻痺するだろ!」


 とここで、大きくノイズが入り込む。


『なら――ずつ――フしてみるけど、それで――しら。使い方が――の』

「あ? よく聞こえないんだが!」


 どうやら通信妨害が起きているらしく、琴音とのやり取りが上手くいかない。


「おい氷月、ちゃんと喋ってくれ」

『――草――摩――――煌――輝は、バカ――バカ』

「そういうのは今いいから! なんでそれだけ上手く伝わるんだよ!」


 とそこでインカムがプツリと切れる音がした。


「おい氷月? 氷月?」


 インカム越しの話し掛けるが応答はない。


 ――まさか電車を自分が止めなくてはいけないのか?


 もしそうなのだとしたら、早急に手を打たねばならない。仮にテロリストが前方車両に居るのだとしたら、そろそろ後方の異変に気づいてもおかしくない頃である。


後手に回りたくないだけに、なんとかしてこの場から離れられないかと考えていると、


「あ! ママ!」


 少女の叫びに煌輝もハッと顔を上げる。

 自分の元からスッと離れていく少女の背を追うと、その先に居たのはどこか少女に似た女性だった。


 お腹が大きく膨らんでいることから妊婦であることがわかり、そこでようやく母親が娘をなかなか探しに来れなかった理由に合点がいく。


「ああ、優美……! 良かった無事で……大丈夫だった? どこか怪我はしてない……?」


 我が子を愛おしそうに抱きしめる女性の姿は、まさに母親のそれである。


「うん! おはなのおにいちゃんといっしょにいたのー!」

「お花のお兄ちゃん……?」


 そこで母親と目が合った煌輝は、少し挙動不審になりながらも会釈をした。


「ああ……娘をありがとうございました。その腕章……国家魔導師の方ですよね? 随分とお若いんですね……」


 煌輝の整った顔立ちを見てか、はたまた学生ながらに国家魔導師という肩書きを持っていると知ったからか、どちらなのかはわからないが母親は目を丸くさせていた。


「いえいえ。優美さん、とても良い子にしてましたよ」

「ママ、これ! おにいちゃんが作ってくれたのー!」


 先ほど作ってやったミモザの花冠を嬉しそうに指差す少女。

 それにホッとしたような表情を浮かべる母親を見て、煌輝はとある異変に気が付いた。


「それより、顔色が悪いようですが大丈夫ですか?」

「ええ……今朝方から少し産気づいたもので、これから産婦人科へ行こうとして――」


 話の途中で、少女の母親の表情が苦悶に歪む。

 苦しそうにお腹に手を当てていることから、最悪のタイミングで産気づいたことを煌輝は悟った。


「ママ、だいじょうぶ……? おなかいたいの……?」

「大……丈夫よ……」


 娘を想ってか笑顔を見せるが、どう見ても苦しそうだ。

 周りに乗り合わせていた乗客も事態を把握したようで、車内に医者を呼ぶ声が響く。


 急を要する事態に煌輝も少し慌てるが、自身がしなければならないことは何なのかと、心の中で今一度自身に尋ねる。


 国家魔導師ができることなど、たかが知れている――。


「――乗客の皆さんは今直ぐに後部車両への移動をお願いします。今からこの車両を――向こうの車両から切り離します」


 今ならラベンダーの効果も持続しているので、乗客がパニックになる恐れはないだろうと踏んだ煌輝は努めて冷静に移動を促した。


 理解ある大人が多く妊婦の方はなんとかなりそうだが――


「おにいちゃん、どこいくの……?」


 列車の連結部の確認をしに行こうとしたところへ、先ほどの少女が不安そうに尋ねてきた。


「お兄ちゃんはちょっと急な用事ができてしまってな。その後は学校にも行かなくちゃいけない。だから君とはここでお別れしなきゃならないんだ」

 

 別れを唐突に告げられた少女はその意味がわかったのか、はたまた煌輝の表情からニュアンスを感じ取ったのかはわからないが、自然と目に涙を浮かばせ首を横に振っていた。

 

「そういえば白いマーガレットの花言葉の意味を教えてなかったな」

「……?」


 少女の頭を優しく撫でながら、煌輝は生前の母親から教わったことを思い出していた。


「その髪留めは誰からもらったんだ?」

「……おたんじょうびに、ママからもらったの……」


 そうか、と煌輝は大きく頷いた。


「お母さんからもらったなら、それは君のことが『大好きだ』って意味になる」

「だいすき?」

「ああ。さっきだって君のお母さんは、大好きな君のことを心配していたんだからな」


 白い花は全般的に“愛”を指している場合が多く、その中でもマーガレットの花は“真実の愛”や“信頼”といった意味合いが強く贈り物にも適している花である。

 

「それに、君はもうすぐお姉さんになるって知っているか?」

「うん。おとうとができるんだって……だから、ママのおてつだい、たくさんしてあげるの」

「君は偉いな。弟には話しかけたり、歌を歌ってあげたりするといい。でも君には今直ぐにお母さんのお手伝いができるって知っていたか?」


 不安そうな表情で瞳を潤ませる少女の頭をもう一度撫でる。


「え……?」

「君がお母さんのそばに居てあげて、勇気づけて、安心させてやるんだ」


 少女はしばし視線を彷徨わせた後、煌輝を見上げるようにして尋ねた。


「あたしに、できる……?」

「できるとも。君には今、勇気を出せる魔法が掛かってる。なにも心配はいらないぞ」


 少女の頭に乗せたミモザの花冠を指差しながら、煌輝は努めて微笑んだ。


「できるか?」

「……うん! がんばる! おにいちゃんもがんばってね!」

「ああ。約束だ」


 屈んで目線を合わせると、小指を出して少女と指切りをする。


 嬉しそうに手を振った少女が背を向けて人混みの中へと飛び込んでいったのを確認してから、煌輝も背を向けて連結部を目指した。


「さて。やるか」


 心置きなく戦えるように、そして乗客にこれ以上被害が及ばないよう、これから車両を切り離す――。


 連結部付近で一度足を止めると、手の平にリミナスを集中させて一粒の種を生み出して床へと落とした。


 種皮を破り姿を現したのは、壺のような形をした植物――ウツボカズラ。消化液を持つ食虫植物の特性を基に、リミナスを介して超強力な溶解液を生む魔獣植物を創りだしたのだ。


 ウツボカズラの溶解液を金属部分に垂らすと、みるみるうちに溶けていき連結器同士が切り離された。


 次第に開く電車と電車の距離を眺める煌輝は、少女たちの無事を祈りながら再び先頭車両を目指して歩を進めていく。

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