第16話
今にも力を解放しそうになっていた琴音を止めたのは煌輝の一声だった。
「わかっているわ。少し脅かしただけよ」
「契約って……?」
「やむを得ない場合を除いて人を死に至らしめないこと。これがパートナーを組むにあたって、三年前に草摩君から出された条件なのよ。おかげで格下相手に苦労しているわ」
一見簡単そうな条件に思えるが、強大な力を持つ琴音からしてみれば存外に苦労することである。
超法規的に殺害が認められているにもかかわらず、パートナーからは契約として殺しを認められていない。
本来ならば一振りで済む状況も、わざわざ手加減しなければならないのだから、ある種の精神的苦痛が常に隣り合わせにあると言ってもいいだろう。
「こんな条件を突きつけておいてなんだが、いつもすまないな」
「別にいいわ。貴方とパートナー解消になる方が嫌だもの。それよりどうしましょうか。ご指名は大神さんのようだけれど」
「二人には実力を知ってもらう良い機会だし、ここは私一人にやらせてもらえるかな」
「ふふ。お手並み拝見と言ったところね。それでいいわよね、草摩君」
「ああ。でも気をつけろよ」
「わかってる。油断はしないよ」
二人からの合意を得た上で、美颯は再度黒いハンドグローブをはめ直して前へ出る。
「悪いけど、手加減するつもりはないよ」
「小娘風情に劣る我らではない!」
互いの殺気が立ち込めるなか、先手を打ったのは美颯だった。
腕を振るうことで風の刃を放ち、アスファルトをえぐりながら破砕音を鳴らして二人の男に向かって突き進む。
「ナメるな小娘!」
男が地に手をつくと、アスファルトが盛り上がり三重の壁が出現する。
風の刃は一枚目の壁を斬り裂いたが、二枚目の壁に当たる前には威力を失っており、術者にダメージを与えることはできなかった。
「そんな攻撃如きで我らを倒せると思――」
言葉が途切れたのは、瞬時に距離を詰めてきた美颯の回し蹴りが、暴風を伴って二枚目の壁を容易に蹴り砕いたからだ。
さらに彼女が三枚目の壁に回し蹴りを決め込もうとした瞬間、左右から飛んできた複数本のナイフによって攻撃は中断される。
寸前のところで身を翻すことで串刺しを避けると、今度は追うようにして鋭く尖ったアスファルトが美颯を襲い、男二人との距離が開いていく。
一連の攻防は、結果的に両者とも立ち位置を譲らぬ結果となった。
「なかなかいい連携ね」
「相手を褒めてどうする」
「仕方ないじゃない。大神さんの真正面からの不意打ちは完璧だったもの。攻防一体の反応を見せた相手を褒めるべきだと思うけれど」
琴音の言う通り、美颯の不意打ちは完璧に相手の意表を突いていた。相手の攻め方から見ても美颯の一手は最短で最速。変に回り込むほうが危険だったかもしれない。
それを裏付けるように“
「このままだと互いに決め手に欠けるわね。何ならうちの草摩君を貸すけど」
「一人で大丈夫だよ。その代わり、今からここで見ることは他言しないで欲しいかな」
少し不安そうな表情を見せる美颯に琴音は淡々と返す。
「構わないわ。草摩君には言い振らせるような友人なんていないでしょうし」
「いつも一言余計だなお前は……」
煌輝がそう言い終えた頃には美颯に劇的な変化が起きていた。
取り分け目に付いたのは、彼女の頭から突如として銀色の獣の耳――狼の耳が飛び出したことだ。スカートが不自然に盛り上がっていることから、どうやら尻尾も出てきたらしい。
驚くのはそれだけにとどまらず、爆発的に肥大したリミナスが全身から溢れ出し、それはやがて彼女を纏うようにして白銀のオーラへと変わる。
その圧倒的な力量の差を前にして、男二人は既に数秒後の敗北を悟ったかのように戦慄していた。
「行くよっ!」
この掛け声は美颯なりのせめてもの情けだったのかもしれない。でなければ、男二人は彼女が攻撃に移ったことにも気が付けなかっただろう。
煌輝達でさえ彼女が一瞬消えたように見え、残像を追うので精一杯だった。
しかし相手側も長年培った戦闘経験からか、“物質変換”の男は咄嗟に自分達を覆うようにアスファルトの壁を生成する。
苦し紛れの防御でしかなかったが、美颯との間に生じた数十センチの壁は結果的に生死を分ける一手となる。
彼女の手刀がアスファルトに触れた途端――全てが塵と化した。斬り裂いたのではなく、手に纏う風の刃で一瞬にして“削った”のだ。
続けざまに繰り出した回し蹴りも、“遠隔念動作”の男が放とうとしていたナイフの刃のみを削って柄だけにしてしまう。
「に、人間業じゃねえ……」
「この、化け物がッ……!」
覆ることのない絶対的な敗北を前に、男二人は自棄になったのか好き勝手に暴言を吐く。
先ほど彼女がここで見たことを他言しないで欲しいと言ったのは、他ならぬ自身の身なりについてだろう。生え出る耳と尻尾は“亜人種”であることのなによりの証だった。
冷たい視線を返していた美颯の手刀は男の後頭部へと向けられる。
だが意識を刈り取るだけに済ました彼女は大きく息を吐くと、手にはめていた黒いハンドグローブを外す。
「あら。優しいのね。私なら勢い余って殺してるかもしれないわ」
「そんなんじゃないよ。ただ、死が絶対的な罰になるとは思わないだけ」
「それには同感するわ。死ぬより辛いことなんて、この世の中にはいくらでもあるものね。しっかりと罰を与えることも時には大事よね」
サディスティックな笑みを浮かべる琴音を見て、煌輝は背筋に嫌な汗をかいていた。
その表情から見て取れる狂気は、気を失ったテロリスト達にとっては返ってよかったのかもしれない。
「さ。この人達を協会に引き渡して、私達はパトロールの続きにでも戻りましょう」
平然としていつもの日常へと戻っていく彼女達を見て、煌輝は改めて住んでいる世界が違うのだと実感したのだった。
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