第55話


 特区南東部に位置する廃工場地帯三番出入り口。その正午に迫る頃。その日はちょうど満月だった。


 ここは特区の中でも最も古い建造物が多く立ち並んでおり、錆びついた鉄やオイルの臭いが辺りを立ち込めている。


 そんなゲートの前に美颯はたった一人で立ってその時を待っていた。


 特区内では今、北と西側で大規模なテロ事件が起きているらしく、国家魔導師の目のほとんどがそちらへと向いているのでここに人気がないのも頷ける。


 絢芽の言葉は嬉しかったが、やはりこれは自分一人で解決しなければならないと考えていた。


 これ以上、誰かが傷つくのはもう見たくないから――。


 覚悟を決めた美颯は三番出入り口のゲートに向かって叫ぶ。


「約束通り一人で来たわ! だから早くイブを解放して!」


 その叫びに対し、確かな答えが返ってくる。


「それはできない」

「――ッ!? どうしてッ!? 私を騙したの!?」

「私は、一人で来いと言ったはずだが?」

「――!?」


 ゲートの近くに姿を現した日比野泰明は大層機嫌悪そうに言った。

 それを見て慌てて振り返った美颯の視線の先に居たのは――

 

「ふ、二人とも、どうして……どうして来たの!?」


 来られるはずのない煌輝と、絢芽の二人が立っていた。

 二人の眼の色が青くなっていることから、既に“花天”状態になっていることがわかる。


「どうしてって、国魔師である俺が伊吹とお前を助けることに理由が要るのか?」


 平然と問いかけてくる煌輝に、美颯は既にパニックに陥っていた。

 ゲートの中へと消えようとする日比野に美颯は祈るように懇願する。


「ま、待って! この二人のことは知らなかったの! だから伊吹の命だけはどうか……!」

「そんなことはこちらもわかっている。ならば条件を加えよう。妹を返して欲しくば、そいつらをこの場から消せ。そうすればこの子を解放してあげよう」


 そう言って日比野は廃工場地帯の中へと姿を消して行った。


「追いましょう。こちらです」

「ああ」


 二人がゲートに入ろうとした時。風の刃が吹き荒ぶ。

 コンクリートは容易に抉れ、殺気も十分だった。


「お願い……退いて。二人にはたくさんの恩があるの。だからこれ以上戦いたくない……」

「俺らが戦う必要はないだろ。大神はそこを退いてくれればいい。なんなら三人で行くか?」

「ふざけないで! どうして私達の幸せの邪魔をするの!? 私が犠牲になれば、結果的に多くの命が助かるんだよ!?」


 美颯の言葉に、煌輝はぎりりと奥歯を噛んだ。


「それで本当に伊吹が喜ぶとでも思ってるのか!? 伊吹がお前を慕うのは、お前が真に強い人間だからだろう! 伊吹のために何でも直向に頑張るお前がいるから、今まで慕ってくれてたんじゃないのか!?」

「それなら、今やってることだってイブのためよ!」


 美颯はその矛盾に気づいてなお、そう言っているのだろうか。

 煌輝は一度気持ちを落ち着かせるために、大きく息を吐く。 


「お前、前に医務室で言ったよな。誰かを守るために、誰かを犠牲にするのは間違ってるって。ああ、そうさ。お前の言い分が正しくて、だから今のお前の言い分は間違っている!」

「何かを守るためには、時には戦わなきゃいけないって言ったのは煌輝くんの方でしょ!? だから私はイブを守るために戦ってるの! どうしてわかってくれないの!?」

「ああ、言ったな。だが犠牲が出ていいなんて俺は一言も言ってないぞ。だからそこを退いてくれないか。俺達は戦う必要がない」


 一歩前進した煌輝の行動を境に、美颯は“狼憑き”の神気を解放した。

 

「それ以上前に動いたら、本気で殺るからね。お願いだから私に戦わせないで……私一人の犠牲で皆の平和が守れるなら、それが一番いいんだよ……」


 涙ぐんで声を震わせる美颯に、煌輝はさらに奥歯を噛み締めた。

 もしも今、美颯の表情が見えていたとしたら、気の迷いが生じていたかもしれない。

 だが今の煌輝には誰にも曲げることのできない揺るぎない信念があった。


「お前の思う皆の平和の中に、肝心の伊吹が入っていない。お前が犠牲になってもあいつが喜ぶわけがないだろう。辛くても、苦しくても――お前と一緒に居られれば伊吹はそれで良かったんだ。なんでそんなこともわかんないんだよお前は! 伊吹がどうして赤色のゼラニウムを育てていたのか、本当にわかっていないのか?」

「今は花の話なんて関係ないでしょ! もういい……君と話をしても拉致があかないね。どっかいってくれないなら……実力で排除するよ」

「そうなりたくはなかったんだが……仕方ないよな」


 臨戦態勢に入る二人に美颯が一気に勝負を掛けようとした時。

 美颯の頭上に氷の礫が降り注ぐ。


「この技は……琴音――!?」


 一触即発の中、氷の柱から滑るようにして優雅に降り立ったのは氷月琴音だった。


「間に合った、わよね?」

「ああ。完璧なタイミングだ」

「ふふ、それなら良かった」


 言って琴音は煌輝と美颯の間に大きな氷塊を生み出し壁を作る。


「草摩君、ここは打ち合わせ通り私に任せてあっちを追いなさい」

「わかった。間違っても同士討ちなんてするなよ」

「ふふ、気をつけるわ」


 余裕の笑みを浮かべる琴音を背に、煌輝と絢芽は廃工場地帯の中へと入っていく。


「待っ―」


 その言葉の猶予すら与えない琴音の攻撃が美颯を襲う。


 氷のつぶてがコンクリートとぶつかって砕け、辺りには細かな氷の粒が霧にのように広がっていく。


 廃工場地帯の出入り口は、琴音の氷塊によって完全に封鎖されてしまった。


「皆どうして私の邪魔をするの……!? イブの命をどうも思っていないの……!?」

「それは違うわ大神さん。あの人は……草摩君は、わかっているのよ。自身の力じゃ多くは守れないことを。だからこそ、目の前に居る人だけでも助けようと必死に戦ってるんじゃない。身近に妹がいる貴女に、どうしてそれがわからないのかしら」

「私にとってはイブが全てなの……! あの子が生きててくれるなら、私は何にだってなるよ……! イブのためなら、世界を敵に回したって構わない……!」


 美颯の言い分に琴音は大きくため息をついた。


「露払いをするとは言ったけど、まさかこんなに大きい露払いになるとは思わなかったわ。できれば貴女とは話し合いで済ませたかったのだけど、どうも無理なようね」

「琴音。お願いだからそこを開けて……」

「それは無理よ大神さん。パートナーを傷つけられて何も感じないほど、私は冷たい女じゃないの。これでもかなり怒っているのよ?」

「私には……守らなきゃいけない人がいるの」

「私にも守るべき人がいるわ」

   

 美颯の目にはまだ迷いが微かに生じていた。それがわかっているからこそ、琴音も最後の最後まで対話を選んでいた。


「このままだと戦うことになるけど、いいの……? 私の能力、知ってるよね? 今日は満月だから、手加減できないよ……?」

「その言葉、そっくりそのまま返させてもらおうかしら。退くなら今しかないわよ? “氷月”の力も満月の日が最高潮に達するの」


 互いの能力は一撃必殺に近く、これから始まる戦いに軽傷がないことを知った上で二人は言葉を交わした。


「本気、なんだね」

「ええ、本気よ」


 そこで――美颯の目つきが完全に変わった。  


「何か、言い残すことはある?」


 対して琴音は不敵に笑って見せた。


「では先に謝っておこうかしら。勢い余って殺してしまっても、恨まないでちょうだい?」


 愛刀を鞘から抜き出した琴音もまた、目つきが一段と鋭く変わった。

 もう退けぬとわかって睨み合う二人。互いに殺気を放ち合うことで、間合いを推し量る。


 そして――


「はぁーい、そこまでだよ」


 二人の足元から突如として実体と化した影が、後頭部をストンと叩き、意識を刈り取る。

 何が起きたのかもわからないまま膝から崩れ落ちていく二人。


「貴女……」

「どう、して……」


 意識が途切れる寸前、二人が目の当たりにしたのは虚空から姿を現す西蓮寺茉莉だった。 


「それ以上やったらコウくんが悲しむからやめようね?」


 二人が意識を保っていられたのはそこまでだった。


「手伝えるのはここまでかな。頑張ってねコウくん」


 先ほどまで漂わせていた殺気が嘘のように、意識を失った二人の顔にはどこかホッとした表情が見て取れる。


 そんな寝顔を見て、きひひと一笑に付すと、茉莉は影で作った無数のコウモリに二人を運ばせ、戦線から離脱するのだった――。

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