第56話

「待っていたよ、草摩の少年。君なら必ずここへ辿り着くと思っていた」


 鉄の臭いが立ち込める廃工場の中心部で、日比野泰明は煌輝達を待ち受けていた。


 多くのテロリストが待ち受けているかと思いきや、待っていたのは彼一人だけだった。これは北側と西側の同時多発テロに何か関係があるのだろうか。


「伊吹はどこだ」

「そこの箱の中で眠ってもらっている。まだ何も危害は加えていない。確認してみたまえ」


 即座に動いた絢芽が確認すると、確かにそこに居たのは伊吹本人だった。薬で眠らされているのかピクリとも動かないが、目立った外傷はない。


「伊吹さんは無事です」

「わかった。絢芽は伊吹と一緒に離脱してくれ。後は所定の通りに頼む」

「わかりました。どうかお気をつけください」


 絢芽が手を翳すと、辺り一帯に植物の蔓や花が生え出てくる。


 錆びついた鉄パイプや石油タンクに花々が巻き付き、覆うようにして生い茂りその姿を隠す。


 日比野を逃がさないようにするため、幾つにも並んだ大樹が地面に根を張り、筒状のようになって二人だけを外界から隔離していく。


 立っていた場所がコンクリートだったことすら忘れてしまうほど、廃工場地帯はみるみるうちに緑色に地形を変え、その範囲は半径五十メートルにも及ぼうとしていた。


 外界から二人に届くのは、もう月の光のみとなった――


 瞬く間にして森林と化した舞台に、そんな日比野は高らかに拍手する。


「これが“東洋の彼岸花ナイトメア・リコリス”の力……なんと素晴らしいッ!」


 いつまでも拍手を止めない日比野に、解せないといった顔をしていたのは煌輝だった。


「どうして見す見すチャンスを逃すような真似をした」

「いい質問だね。それは海老で鯛を釣りたかったからだよ、少年」

「どういうことだ……?」

「君の力が欲しくなったんだ。“狼憑き”の力も捨てがたいが、獲得のチャンスはまだあることがわかったからね」

「それは大神の心に脆さがあると言いたいのか」

「ああ、そうとも。彼女は強い。だが、心は弱い。いずれ追っていくうちに精神が摩耗するだろう。そこを狙えば手に入れるのは簡単。だから今宵は手負いの少年の力を手に入れることにしたのだ!」


 日比野の言葉に煌輝は努めて冷静に、できるだけ感情的にならないよう尽力する。

 ここで冷静さを欠いてしまえば、前回の時と同様に敗北の一途を辿ってしまう。


「逆に問おう。なぜ私を捉えるチャンスを見す見す逃したんだ? “東洋の彼岸花”が相手ではさすがの私も分が悪かったと思うが」

「嘘をつくな。お前の“閃炎”は草摩でも破れないのは実証済みなはず。それをわかった上で見逃したんだろう。そして俺が絢芽をガードすることがわかっていたから、無駄なリミナスを消費したくなかったが正解だろう」


 煌輝の答えに日比野はくつくつと笑った。


「少年は頭が切れるな。いやはや参ったよ。その通りだ。今一番厄介なのは君なんだ。だから私は君との一対一での勝負を選んだ。それが最も勝率が高いと踏んでいるんだが、どうだね」


 日比野の問い返しに、煌輝は舌打ちをした。

 言う通り、それが煌輝にとって一番望んでいなかった展開だったからだ。


 絢芽や紫なら刺し違えることはできるかもしれないが、刺し違えたことによる政府側の代償が大きすぎる。


 ならばと元々目の見えていない煌輝が絢芽の盾になることで、安全に倒そうと考えていたのだが、まさか相手があっさりと伊吹を引き渡すとは思いもせず、結果的に最も勝率が低い展開を選んだのは煌輝達ということになってしまったのだ。


「少年はわかりやすいな、今までの草摩の誰よりもいい顔をしている」

「――ッ!」


 これが相手の挑発であることは明確だ。

 煌輝が勝率を下げない一番の要因となるのが、頭に血が上らないことだった。


「しかし少年も罪な男だ」

「……?」

「君がこれからやろうとしていることは、いずれ世界を破滅へと導く。彼女を助け、私を殺すということは、世界を壊すということなのだ」

「どういうことだ」


 と聞いた瞬間。戦いの火蓋が切って落とされた。

 日比野の気配が肥大化したかと思えば、煌輝は腹を強打され巨木に叩きつけられる。


「グアッ……」


 痛みに悶える時間すら与えず日比野は話しを続ける。


「聞け少年。奴ら――吸血鬼と対等に話し合うには、力が必要なのだ。同じ場所に立たなければ奴らと話し合うことすら叶わんのだよ! 私はその救世主となるために吸血鬼を狩る力を得てきたのだ!」

「お前が救世主だと……? ふざけるなッ!」


 煌輝は見えない視界の中、手足に伝わる感触だけで巨木の後ろに隠れ、移動を始める。


 日比野は煌輝が視力を失っていることをわかってか、追撃しようとはしてこない。

 だがこれは煌輝にとって好都合でもあった。今はとにかく時間が必要なのだ。


「ふざけてなどいない。これが世界の真理なのだ。力を持たない下等生物は淘汰され、この世はたちまち“亜人種”がのさばり、いずれ“吸血鬼”が世界の頂点となる。そうなれば世界は終わりなのだよ! それからでは間に合わんのだ! だから今、私が世界を変える時なのだ!」

「だからって吸血鬼や周りの人間を殺していい理由にはならないだろ!」

「それは綺麗事に過ぎんのだよ少年。世界はそんなに甘くない! 対話の道を作るには――平和を作るには、とにかく力が必要なのだ! 時には非情な道も選ばねばならない!」


 メタリックグリーンの拳銃をホルスターから取り出した煌輝は、相手の声を頼りに三発発砲する。


 撃ったのは鳳仙花――これがあれば、目が見えずとも自動で攻撃することが可能になる。少しでも長く時間を稼ごうと煌輝は必死にあがく。


「それのどこが平和だ! 力で――恐怖で世界を支配しているだけだろう! 少なくとも俺はお前のせいで生活を――家族を失ったんだぞ!」

「世界にとって、それは必要なことだったのだよ。君の母親の犠牲が、これからの世界を救うのだ!」

「そんな犠牲の上に平和があるというのなら、俺はそんな世界はいらない!」


 向かっていく鳳仙花の種は寸前のところで日比野に燃やされ、増殖した鳳仙花もまた焼かれ、日比野は完全に“草摩”との戦いに慣れている様子だった。


 念のためにと眠り草の種も蒔いているのだが、どうも日比野の体はそれに耐性を持っているらしく意味を成していない。もしかしたら草摩の細胞を取り込まれている可能性がある。


 出せば出す分だけ燃やされ、燃え尽きた花の部分から鉄パイプのようなものが見て取れたが、それは直ぐに咲く花々によって覆われていき再び緑が戻る。


 このフィールドは絢芽が生きている限り、延々と増殖する仕組みになっており、煌輝の作戦の一つでもあった。


「では死ぬか。少年」


 圧倒的な熱量と殺気を肌身で感じた煌輝は咄嗟に飛び退く。パイプか何かに激突したが、日比野の攻撃を受けるよりはマシだ。

 

「力の差は歴然だと思うが、ここで一つ提案しよう。私の仲間にならないか?」

「なんだと……!?」


 日比野の仲間になることなどあり得ない。こいつは母親を、草摩の一族を破滅に追いやった仇敵だ。あり得るはずがない。


「少年の才能はどうも草摩の中でも図抜けているように見えるのでね。細胞として取り込むのもいいが、殺すには惜しい人材だとも思っている。私は君の実力を買っているのだよ」


 ――嘘だ。と煌輝は心の中でそう思った。


 なぜなら自身の力は琴音の足を引っ張るどころか、学園の生徒にさえ劣ることもあるのだから。


「特にその能力――」


 とそこで、日比野は業火を放つ。

 対して煌輝は全く反応できず、直撃するかに思えたが、それを黒薔薇の蕾が攻撃を防いだ。


「それだ。その力。草摩の一族でも君にしか使えないのだろう? 発動条件はありそうだが、防御性能で言えば世界でもトップクラスの能力になると私は見ている。もしかしたら私の力でも少年を殺すことはできないのかもしれない」


 たった三回の発動で、煌輝は能力の出所を看破されていた。

 確かにこれは草摩の一族の中でも煌輝にしか備わっていない能力だ。これが発現するようになったのは母の死後――。


 そしてたまに無自覚に発動することがある。それは決まって不意を突かれ、瀕死の一撃を受けるに等しい瞬間に発動するのだが、その理由については煌輝自身もよくわかっていない。


「だから選択肢は二つだ。私に協力して共に救世主となるか――。私に協力しないことで、彼女達を危険に晒すか――。選べ――」


 煌輝は思わず笑ってしまっていた。自分が救世主になるという発想など、一度もしたことがなかったから。


「答えは三つ目だ」

「三つ目だと?」

「お前を倒して、あいつらを守る――! これが俺の答えだ!」


 時間稼ぎは十分にできた。

 反撃の準備は整ったと、煌輝は詠唱を始める――。

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