第23話

 それは本当に一瞬のことだった。

 煌輝が瞬きしている間に美颯は目の前まで肉薄し、あまつさえ回し蹴りまで決め込もうという体勢にまで入っていた。


 “花天光華”により身体能力が飛躍的に活性化している煌輝だが、彼女の動きについていくのに精一杯で、蹴りをギリギリのところで出した片腕で受ける形となる。


「グッ――」


 想定以上の衝撃に煌輝は軽々と弾き飛ばされ、硬いコンクリートの地面に何度も体を打ちつけながら地下駐車場を転がっていく。


 天地の区別が付かなくなるほど回転を繰り返しながらも、壁に当たる寸前のところで植物の壁を何重にも作ることでクッション代わりにする。


 やがて立ち上がった煌輝は血が混ざった唾を吐き、美颯に向き直る。


「悪いが、一瞬でやられるわけにはいかないんだ」

「……驚いた。ガードされてもそれで終わりだと思ってたけど、君はとっても頑丈なんだね」

「それが役目でもあるからな」


 なるほど、と美颯は横目で琴音を見る。


「いざという時、氷月さんの殺傷力を最大限に発揮するために、君はパートナーに選ばれたんだね」


 そんな理由だったらどれだけよかったことか。

 勝手に自己解釈する美颯に煌輝は苦笑いを浮かべる。


「でも二度目はないよ」

「それはお互い様だ」


 一直線に走ってくる美颯に対し、煌輝はメタリックグリーンの拳銃の引き金を引く。


 目にも留まらぬ速さのクイックドローと、既に咲いている鳳仙花から発泡される種。そして地面から生え出る植物の蔓による多方向からの一斉攻撃。


 殺傷力がなくとも物量で攻めれば足を止めることや死角を作ることくらいはできる。あとは隙を突いて掌底を叩き込めば――


「フッ――!!」


 軽い呼吸を置いた美颯は拳を力一杯に突き出した。

 直後、猛烈な暴風が吹き荒れ辺り一帯を飲み込んでいく。


「――ッ!?」


 危険を予期した煌輝はコンクリートの壁に身を隠して暴風をやり過ごす。

 この風は二度見たことがある。


 一度目は電車内。二度目はパトロール中にテロリストと遭遇した時だ。


 その時は気が付かなかったが、“花天光華”になったことによって美颯の能力には風とは別の性質が秘められていることを知る。


「大神……お前、吸血鬼を殺せるのか」

「……!? どうしてそれを……!?」


 驚く美颯をよそに紫が納得した声を漏らす。


「なるほど。大神ってどこかで聞いたことがあったけど、“狼憑き”の一族ね? 感情の高ぶりや能力を解放すると、獣の耳と尻尾が生えてくるって一族」


 日本の狼はかつて農作物を荒らす害獣を狩ることから“大神おおかみ”と神格化され聖なる力が宿っていたとされる存在である。


 海外の一部の伝承でも、吸血鬼に匹敵する者として人狼や狼男、ウェアウルフなどの亜人種が有名でそれらは総じて吸血鬼に有効打を持つとされている。


「何十年か前に滅んだって話しだけど、生き残りが居たとはね」

「どうして滅んだんです?」


 琴音の問いかけに紫が答える。


「何十年か前に起きた区画整理に巻き込まれたって話を聞いたことがあるわ。吸血鬼に有効打があるからって、かなり一目を置かれてたって噂よ」

「あら、それは頼もしいですね」

「それにしても……まさか美颯の相手が煌輝なんて皮肉よね」

「皮肉……?」

「知らない? 狼男は古くからトリカブトの毒に弱いって伝承があるのよ。まあ美颯は狼女ってところかしら」


 なるほど、と納得した様子の琴音。

 確かに煌輝には自身の植物にあらゆる植物の性質を付与させることができるため、その伝承が正しいなら美颯にとっては天敵となり得るだろう。


 しかし能力が看破されたことに未だ納得できていない美颯は一人表情を困惑させていた。


「先生の言い分は正しいです。私は“狼憑き”の生き残り……。でもどうして私に吸血鬼を倒せる力があるってわかったの……?」


 彼女の瞳には確実に動揺の色が見て取れ、不安でいっぱいの様子だった。


「草摩君の“花天光華”には全ての事象や存在を解析し、進化という名の耐性を得る力があるのよ。吸血鬼に対して有効な力があることを植物達を介して知ったんでしょう」


 サラッと凄いことを言ったがこれは事実である。

 まだ能力として完全ではないが、琴音の氷に侵食されていた植物も先ほどのように直ぐには凍らず抵抗を続けている。


 さらに言えば煌輝の植物には退魔の恩恵が宿っており、吸血鬼に致命的なダメージを与えることができる一族でもある。


 喋りすぎだと言わんばかりに睨まれた琴音は、肩を竦ませてそれ以上は口にしなかった。


「これはお互い他言無用の方がいいだろうな」

「そうしてもらえると嬉しいかな」


 これで頃合いか、と煌輝が一息ついたとき。


「でもなんか悔しいから決着はつけさせてもらうよ!」

「――!?」


 美颯は煌輝に突進を仕掛けた。

 クイックドローで足を止めようにも不意を突かれたことによって一手出遅れている。内心舌打ちをしながら煌輝は体術で応戦する姿勢を取った。


 生半可にガードすれば先ほどのように弾き飛ばされることはわかっているので、今度はまともに受けようとはせず受け流してから反撃する機を窺う。


「気をつけて大神さん。その人、女の子相手でも平気で殴ってくるわよ」


 忠告なのか茶々を入れているのかわからないが、確かに掌底は美颯の懐目掛けて繰り出されていた。


 それを躱され、背中に出来た死角へ向かって美颯が回し蹴りを繰り出すが――煌輝は植物に頼らず振り向きざまに美颯の蹴りを片手で受け止めた。


「――嘘ッ!?」


 あまりに完璧なタイミングで受け止められたことに奥歯を噛みしめた美颯は、もう片方の足で蹴り抜こうと身を翻そうとするが、


「……ッ!? 動けない!?」

「そこまでよ。勝負はついてるわ」


 手と指で印を結んだ紫が唐突にそう宣言した。

 煌輝と美颯を中心に球体状の結界のようなものが展開され、その中にいた二人は金縛りにあったかのように動きを封じられていた。

 辺りを見回すと周辺の柱には術の発動に用いたと思われる護符が何枚も確認できる。


「陰陽術……! いつの間に……」

「国魔師たるもの常に周りへの警戒を怠らず、よ。熱くなってて周りが見えてなかったようね」

「……ッ!」

「でも誘導としては上出来だったわよ。三対一だったとはいえ煌輝を相手に大したものじゃない」


 そう言って紫が指差すのは煌輝の足元。

 琴音が作った氷によって固められ身動きができない状態になっていた。


 勝敗はどうやら美颯達の勝ちということらしい。

 不本意な結果にまだ納得のいかない様子の美颯だったが、身動きが取れない以上どうすることもできない。


 とその時――煌輝の様子がおかしいことに紫が気付く。


「……? どうしたの煌輝?」


 顔を真っ赤にする煌輝は何かの拍子に花天光華も解けてしまっており、瞳の色も青から黒へと戻っていた。


 さらに一拍遅れて琴音も原因に気がつき、ああ、と納得したように頷いている。

 一人理由がわからない美颯だったが、必死に目を背ける煌輝を見てようやく自身のスカートの中が見えていることに気づいた。


「ゃ、やだ、見ちゃダメ……!」


 だから目を逸らしているだろうと、煌輝は全力で否定する。


「国魔師の前で堂々と公然わいせつとは、草摩君も大した男ね」

「ご、誤解だ! 蹴りを躱したらこうなったってだけで、見ようと思って見たわけじゃない!」

「犯人は皆、口を揃えてそう言うものよ。それに貴方は受け止めた後、大神さんの下着がよく見えるようにわざわざ屈んだじゃない。日頃から私への猥雑な行為じゃ飽きたらず、そんなことまでするなんてどれだけ盛っているお猿さんなのかしら」

「だから俺を現行犯扱いにして話を進めるなよ! 今のはどう考えても正当防衛だし事故だ。それにお前が俺の足を氷で固めなきゃこうはならなかっただろうが!」


 当初は後ろに飛んで避けるつもりだった煌輝だが、両足を氷で固められたことによって屈むか仰け反ることくらいしか選択肢がなかった。


「でも貴方、大神さんに掌底をかましてお尻を触ろうとしたのは事実よね? 去年も入学早々に行われた模擬戦でか弱き乙女達のお腹目掛けて平気で掌底を叩き込みつつ、隙あらばお尻を撫でていたもの」

「この学科のどこにか弱き乙女がいるんだよ。それに俺は女の尻なんて触ってない。あることないこと吹き込むな」


 どうやら掌底をかましたのは事実らしい。


「聞いたかしら大神さん。草摩君は今、貴女のことを女性ではないと言ったわ。なんて失礼な人なのかしら。もう痴漢認定でいいわね。歩く公然わいせつ物よ」

「だから! 俺は決して痴漢なんてやっていない!」

「知っているかしら。痴漢というものは、たとえ本人がやっていなくても相手がそう思っただけで痴漢なの」

「理不尽だな!」


 どんどん逸れていく話に全くついていけていない美颯は、へたり込んだまま呆然としている様子。


 そんな彼女のスカートの中が忙しなくモソモソと動き、たまに尻尾らしき銀色のモフモフとしたものが見え隠れする。


 気になって仕方なかった煌輝だが、琴音にまたからかわれるのを恐れて意地でも視線を逸らしていた。


「あ、あの……この前も思ったんだけど……どうして誰も驚かないの……?」

「驚くって、何にだ?」

「何にって……この耳とか、尻尾とか……」


 その目は軽蔑されることを恐れている目だった。


「思ってたより耳が素敵だったことは認めるわ。とても似合ってるわよ。ねえ、草摩君?」

「ああ。違和感は全くないぞ」

「ああ、うん、ありがと――じゃなくて! もっとこう……あるでしょ!?」

「そう言われてもな……」


 勝手に混乱する美颯に一同は首を傾げていた。彼女が一体何に驚いて欲しいのかがよくわかっていないのだ。

 元々リアクションの薄い二人だが、確かに“亜人種”を前にしてこの反応には少し乏しさを覚える。


「私は数年前に義勇兵として参加した決戦で“首無しデュラハン”と戦ったことがあるから、あれに比べたら大神さんの可愛らしい耳と尻尾はさして驚くようなことじゃないわ」

「俺も“亜人種”の知り合いがいるから、そんなに珍しいと思ってなかったんだ。その……なんだか驚いてやれなくてすまなかったな」

「大神さんたら意外と欲しがりさんだったのね。今度からは認識を改めておくわ」

「べ、別に欲しがって言ったわけじゃなくて……! だからその……あーもういいよ! もういいもんっ!」


 勝手に拗ねてしまった美颯に、珍しくも煌輝がやんわりとフォローをかける。  

 

「大神の過去に何があったかは知らないが、耳が生えてるからって俺たちは驚きはしないぞ。一々驚いてたら国魔師なんて務まらないだろ」

「あら? たまにはいいこと言うじゃない。でも煌輝の言う通りよ。“亜人種”なんてあたし達からしたら珍しくもなんともないんだから、気にする必要はないのよ」


 たまには余計です、とボソッと言ったのだがその声は紫に届かなかった。


「それにしても今の時期に“狼憑き”の一族を、まさか煌輝が見つけてくるなんてね」


 同情するような声音に首を傾げる煌輝達だったが紫はそれ以上何も語らず、この言葉に隠された真意に当時気づけた者はこの場にいなかった。

 そして煌輝の意識がプツンと途切れたのは、その直後のことだった――。

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