第12話


 無事始業式を終えた煌輝は、日没を迎える前に特区の外にある自宅への帰路についていた。


 朝から事件に巻き込まれ、そこそこに酷い出会いを迎えたこともあってか、いつもより道のりが長いような気さえしてくる。


 閑静な住宅街に屋敷ほどの規模の家を持つ煌輝はここで義理の姉と二人暮らしをしており、草摩本家の最後の生き残りとしてその土地を守らねばならない立場にあった。


 父親は生まれるよりも前に失踪しており母親の手一つで育てられた煌輝だが、それも幼少の頃に母親を亡くしたことにより普通の暮らしというには程遠い生活を送っていた。


 もしも義理の姉――草摩絢芽そうまあやめの存在がなかったら、自分は一体どうなっていたのだろうか。そんなことを考える度にゾッとする。


 自宅に着くなり家庭菜園用のビニールハウスがある庭へと足を伸ばした煌輝は、何か変わった様子がないかチェックを始める。


 一般家庭が丸ごと二軒ほど入りそうな面積を持つビニールハウスの中では、トマトやイチゴといった食用の植物を栽培しており、他にも家の地下にはアロマオイルや香水、薬剤の原料になる植物を栽培してそれらを売ることで家計を賄っているのだった。


 二人だけで暮らすには広すぎる土地はどこか寂しげな雰囲気を漂わせているが、ここが煌輝と絢芽に残された最後の居場所でもある――。


 日課となった作業を終えておもむろに玄関の扉を開けると、そこには帰ってきていたことに気づいていたのか、和服に身を包む絢芽の姿があった。


 肩に触れる程度の、両サイドだけが長めの艷やかな菖蒲色の髪に、ややタレ目で翠色の大きな瞳。この上なく整った目鼻立ちに艶のある白い肌。


 やや幼い顔つきではあるものの、おっとりとした優しそうな雰囲気はどこか神秘的にすら感じて人間離れしている。十人に聞けば十人が彼女のことを美少女だと言うだろう。


「おかえりなさい」

「ただい、ま」


 普段ならば癒やしすら感じさせるほどに綺麗な声音が返ってくるのだが、今日は少し刺のような鋭い何かを感じる。


 何やら不機嫌そうな出迎えに思わず後ずさった煌輝だが、ほどなくして自分の手で閉めた玄関の扉に当たる。


 どうして彼女の機嫌が悪いのか大凡の予想はついているのだが、それにしたってバレるのがあまりに早すぎるのではないかとも思う。 

  

「こ、こんなに早く帰ってくるとは思わなかったな。……仕事はもう終わったのか?」

「はい」

「そ、そうか……」


 辺りに一切音が立たず、完全なる沈黙が二人を包み込む。


 室内仕様なのか絢芽の和服は浴衣に近いが裾が短く、なめらかな白い太ももが大胆に露出されている。並大抵の人間なら生唾を飲み込む間もなく絢芽に欲情してしまうかもしれない。


 煌輝の視線が自然と下の方へ行ってしまうのは、別に艶かしい太ももに吸い寄せられているからというわけではない。


 単に不機嫌そうに頬を膨らませる彼女と目をわせることができないからである。


「……絢芽。一つ聞いていいか」

「なんですか」

「なんでそんなに機嫌が悪そうなんだ」

「どうしてだと思いますか」


 状況的には追い詰められている形ではあるものの、煌輝も負けじと強気で言い返す。


「質問しているのはこっちなんだから、そっちが答えろよ」

「何か、わたしに隠していることはありませんか?」

「隠してること……!?」


 どういうわけか今日の任務放棄が早々にバレているらしい。内通者は誰かと脳裏で詮索していると、その間が余計に彼女の気を悪くしたのか、一気に詰め寄ると涙目になって上目遣いに見上げた。

 

「どうしてわたしに何も知らせてくれなかったのですか!? 距離的にわたしの方が近かったですよね!? それなのにどうしてわたしではなく、琴音さんの方を呼ぼうとしたのですか!? そんなに琴音さんの方がいいんですか!?」

「ちょ、ちょっと落ち着け! てかなんで事件のことを絢芽が知ってるんだよ!?」


 質問攻めに煌輝が目を白黒させていると、絢芽は涙目になりながら頬をぷくっと膨らませ、和服の袖からスマートフォンを取り出して画面を見せてくる。


 そこには『草摩君からデートのお誘いを受けたので、これから楽しんでくるわ』と、琴音が使うとは思えないような、ハートマークの絵文字が入った不可解な内容が書いてあった。


 この二人が連絡を取り合うほどの仲だったということにも驚きなのだが、煌輝の知らないところでこんなやり取りが行われていたことにはもっと驚きだった。


 もちろんデートとは今朝の任務のことを指しているのだが、どうして彼女はいつも余計な問題を起こすのかと煌輝は心の中で密かに呪詛を唱える。


「これは一体どういうことなのか、ハッキリと説明してください!」


 絢芽と琴音の仲の悪さは煌輝が一番よくわかっている。会えば毒を吐き合う犬猿の仲であり、煌輝にとって頭痛の種でもある。


「どういうことって、絢芽だってこれが任務のことだってわかるよな? それなら別に怒るようなことじゃないだろ。あいつとは一応仕事のパートナーだし」

「でも、でもっ……!」

「それに、今日は何か大事な任務があったんだろ? どっちにしろ呼んだって無理だっただろ」

「ぅ……」

 

 とはいえ、連絡を入れた琴音も現場には来なかったのだが――。

 珍しく言い淀む絢芽を見て、ここぞと言わんばかりに煌輝は猛追をかける。


「身内を危険に巻き込みたくない気持ちは、絢芽ならわかるだろ」


 そう言うと、絢芽はしゅんと落ち込んだ様子を見せる。

 母親が何者かの手によって殺害されたあの日。重傷を負わされた煌輝の隣で意識を失っていたのは他ならぬ絢芽である。


 意識が戻った病院内で母親の死亡を知らされたとき、幼いながらも彼女が酷く取り乱したのを煌輝は今でもハッキリと覚えている。


 だからこそ煌輝の身の安全を第一に絢芽は想ってくれるし、煌輝もまた、絢芽の身の安全を第一に考えて行動しているのだ。

 だが、


「でも煌輝さんは頭が悪いんですから、余計な気なんて回さないでください。気持ちが悪いです」


 まるで生き物が無意識に息を吸うように、絢芽の口から毒が吐き出されたのだが彼女は全く自覚がない様子だった。

 煌輝は顔を引きつらせるも慣れっこなのもあって意に介さないよう努める。


「……って上手く誤魔化そうとしたってダメですよ! おまけに琴音さんから聞いた話だと、任務も途中で放棄したそうじゃないですか!」


 そう言って絢芽は不機嫌そうに二件目のメールを見せてくる。

 やはり文面に緊張感が微塵も感じられず、頭の悪そうな文面についに頭が痛くなってくる。


「お前ら本当に仲悪いのか……? 実は仲が良いんじゃ――」

「もっと草摩の人間としての自覚を持ってください! 本当は怒りたくなんてありませんが、これも煌輝さんのため……今日という今日は私も心を鬼にしますよ!」


 じゃあ今までの鬼はなんだったというのか、そうツッコミかけて慌てて口を閉じる。


 両親がいなくなってしまった今、この草摩絢芽こそが煌輝にとって唯一残された家族である。


 時には母親のように叱り、時には姉のように導き、時には恋人のように寄り添ってくる。それが普段から知る彼女の姿だ。


 しかしどういうわけか女性関係のこととなると話は別で、こうしてたまに様子がおかしくなる。


 そこが絢芽にとっての唯一の欠点と言ってもいいのだが、煌輝は本人はそれを過保護だな、としか思っていない。


 煌輝にもう少し色恋沙汰の自覚でもあれば今とは異なった生活を送っていたかもしれないが、そんな生活が来ることは恐らくないのだろう――。


***


 夕食を終えた煌輝と絢芽の二人がテーブルを挟んでゆったりとしていたとき。


「つかぬ事をお聞きしますが、煌輝さんは“閃炎”の使い手をご存知ですか?」

「なんだそれ?」

「閃光の如き炎を操る能力者がいるそうです。戦った者は烈火の熱量も然ることながら、同時に眩い光を浴びて失明すると聞いています」

「いや、知らないな」


 熱量を操る能力者なら今朝も対峙したばかりだが、光量を操る能力者となると全く記憶になかった。


「俺らにとっては力の源である光も、行き過ぎれば毒ってわけか」


 話から察するに、絢芽が今回追っている事件の人物がその“閃炎”の使い手なのだろう。能力の性質からしても相当に脅威であるのは容易に理解できる。


 だが炎や氷といった熱量に脆弱な煌輝の植物とは違い、絢芽の植物は熱量に対してそれなりの耐性がある。


 同じ草摩の一族でも煌輝の能力が防御面に優れているのに対し、絢芽は攻撃面に優れているため、その気になれば早期に決着を付けることも可能なはずだ。


 ましてや“東洋の彼岸花ナイトメア・リコリス”の二つ名を持つ、国内でも屈指の実力がある彼女であれば何の心配もいらないだろう。


「何か知っていればと思ったのですが、やはりご存知ありませんよね。急に変な話をしてしまって申し訳ありません」


 いくら家族でも仕事の詳細を話すことは禁じられている。お互いにこれ以上聞けないことを理解しているからこそ、煌輝もただ心配することしかできなかった。


「絢芽のことだから心配する必要もないだろうけど、呪術的な可能性もあるから一応気をつけろよ」

「ありがとうございます。最近は何かと物騒な事件も起きていますから、煌輝さんもどうか無理はなさらないでください」


 国家魔導師である以上は危険はつきものなので、煌輝は苦笑いしながら頷く。

 この時既に、同一犯による事件に巻き込まれているなど、二人は知る由もなかった――

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