第一章 第1話
高校二年生としての生活が始まる新学期初日の朝。
清々しいまでに青く澄み切った空の下、学生服に身を包んだ
「――こちら草摩。所定の位置についた」
『こっちも準備できたわ。いつでもどうぞ』
インカム越しに聞こえてくるやや冷めたような声音は、仕事上のパートナーである
ビルの屋上で待機していた煌輝は、ミッションのスタートに備えて落下防止用の柵を飛び越える。
眼下に見えるのは大小様々なビルと、何時になく速い速度で首都圏の中心部に向かって走る一本の列車だった。
現在交通機関マップが何者かの手によってハッキングされ、主に列車の交通機能が大規模で麻痺している状況にある。
いくつもの列車が首都圏に向かって暴走を続けており、それを止めるべくして煌輝は任務に駆り出されたうちの一人だった。
「目標を捕捉した。これよりミッションを開始する」
煌輝はメタリックグリーンに輝く拳銃をホルスターから抜き出すと、間を置かずして斜め上方向――高層ビルの壁に向かって拳銃を発砲した。
銃口から出たのは銃弾ではなく――植物の蔓。
発砲音もなく放たれたそれが高層ビルの壁にめり込んだのを確認してから、煌輝は植物の蔓をしっかりと掴むと、ビルの屋上から走り出すようにして飛び降りる。
ターザンロープよろしく滑空しながら、やがて迫りくるビルの壁面を走り出したかと思えば、今度は壁を強く蹴って方向転換し列車へと急接近する。
一歩間違えれば地面に衝突しかねない場面で煌輝は地面すれすれのところを滑空し、暴走する列車と同じくらいの速度になって再び体が空へと浮き上がる瞬間にタイミングを見計らって列車へと飛び移った。
並外れた身体能力を駆使して着地と同時に体を回転させ受け身を取って衝撃を逃すが、バランスを崩した煌輝はゴロゴロと後方へと転がっていき、列車から落ちる寸前のところでその動きが止まる。
どうにか列車への到達を確認しホッと息を吐くと、直ぐにドアをこじ開けて中へと入る。
「こちら草摩。列車の潜入に成功した」
『――了解。こっちは少し手を焼いてるわ。もう少しだけ時間をちょうだい』
「了解」
インカム越しのやり取りに驚きを隠せないといった様子の乗客達を見ながら、煌輝は冷静に状況を判断していく。
近年の鉄道事業では車掌や運転手が乗り合わせていることはほとんどなく、コントロールセンターにあるコンピューターからの自動運転となっている。
普段のこの時間帯ならばもう少し乗客が少なくても良さそうなのだが、どうやら異変に気付いた乗客たちが自主的に後方車両へと避難してきたようだ。
これは不幸中の幸いか――? と考えていると。
「君はもしかして、その腕章……“
ビジネススーツに身を包んだ、いかにもサラリーマンといった外見の男が、煌輝の腕に巻かれた腕章を指差しながら尋ねてくる。
――国魔師。正式名称は“
両組織との異なる点は見合った金銭さえ払えばボディーガードや近辺警護といった民間警備も行うということ。
便利屋といえば聞こえがある程度はよくもなるが、それは裏を返せば金さえ払えばどんなに汚いことでもやる組織だということでもある。
そして資格を持つ者は皆――“異能の力”を操る。
「はい。列車が暴走しているとの情報が入り緊急で駆けつけました。現在コントロールセンターには仲間が向かっています。あともう少しの辛抱かと」
「ああ、良かった……!」
乗客から安堵の混じったため息が漏れ、張り詰めていた緊張感が和らいでいくのがわかる。
後は琴音がコントロールセンターの奪取に成功すればミッションは終わり――そんなことを考えていた時。
赤いランドセルを背負った、小学校の低学年と思われる少女が車内の隅っこで泣いているのを見つける。
近くに保護者らしき人物も見当たらないので、煌輝は仕方なく少女の元へ歩み寄った。
「もう大丈夫だぞ」
「――ふぇっ!?」
見ず知らずの男にいきなり声を掛けられた少女は、すくみ上がるようにして煌輝を見る。
怯えた表情でこちらを見上げる少女に、ようやく自身が見下ろす形になっていることに気づき、煌輝は片膝をついて少女と目線を合わせることで対話を試みる。
「怖がらせてごめんな。どこか痛いところはないか?」
「……ぅぅ……」
よほど怖い思いをしたのか、既に少女の目には涙が零れ落ち始めていた。
「お父さんかお母さんとは一緒じゃないのか? はぐれたのか?」
「ママ……ぅぅ……ぐすん……」
「そうか。お母さんと一緒にいたのか」
黙ったままコクリと頷く少女だが、泣き止む気配がなく思うように話が進まず困ってしまう。
はぐれたとなると母親を探す必要があるが、この状況下でこの子の母親を果たして見つけることができるだろうか。
かといってこのまま放置するわけにもいかないので、うーん、と唸り声をあげた煌輝はとりあえず少女と対話することを選んだ。
「それ……綺麗な花の髪留めだな。お母さんか誰かに買ってもらったのか?」
少女の頭に付いた白いマーガレットの髪留めを指差すと、少女は黙ったままコクリと頷いた。
「そうか。この花の名前は言えるか?」
「……マーガレット……」
「よくわかったな。正解した君にはいいものを見せてやろう」
「いいもの……?」
「ああ。この手をよく見ててごらん」
自身の手のひらに何もないことを少女に確認させてから、わざとらしく手を力強く握りしめ、パッと手を開く。
するとそこには、黄色のマーガレットが一輪咲いていた。
「……ふぇ? えええー!?」
少女は目の前で起きた怪奇的な現象に目を丸くさせる。もちろん造花などではなく本物の生きた花である。
そして煌輝はその花を少女へ、女性を扱うかのように丁寧に差し出した。
「どうぞ。黄色のマーガレットは可愛い子にあげるものなんだ」
「わぁぁー! おにいちゃんありがとう!」
どういたしましてと言いながら少女の髪を優しく撫でると、えへへと少女は嬉しそうに笑った。
実のところ、煌輝は少年少女の扱いにだけは手慣れている。
「ねーねー、いまのどうやったのー? おにいちゃんは、マジシャンなのー?」
すっかり泣き止んだ少女は目をキラキラと輝かせながら、煌輝を羨望の眼差しで見つめる。
――魔法、魔術、呪術、瞳術、陰陽術、霊能力、超能力。
様々な呼び名が存在するこれらは、全て“リミナス”と呼ばれる人間誰しもが宿している生命エネルギーだ。
これを媒介にすることによって、能力者達は未だ科学的に証明することのできない事象を体現することができる。
「うーん、そうだな……マジシャンというよりは“魔法使い”の方が近いかもしれないな」
「まほうつかい……? じゃあおにいちゃんは、おはなのまほうつかいなんだね!」
そう呼ばれた煌輝は、なかなか悪くない響きに口角を上げる。
「でもなんできいろのマーガレットはかわいいこにあげるものなのー? なにかきまりがあるのー?」
「決まりというか……花には花言葉っていうのがあってな。言葉で伝える代わりに花に想いを込めて相手に贈るんだが、その花の種類や色によって伝えたい言葉の意味が違うんだ。……わかるか?」
子供にわかりやすく伝えるには難しく、煌輝も少女も揃って難しい表情をした。
そもそも煌輝もそんなに花言葉について詳しい方ではない。
「……うーん? じゃあ、あたしのつけてるこれはー?」
「それは――」
言いかけたところで後頭部に何かがぶつかった。
「動くな」
その殺気立った声に煌輝は反射的に身を固める。
「今直ぐ死にたくなかったらゆっくりと両手を挙げろ。お前らも騒ぐんじゃねぇ!」
声の主は男だった。当てられているものが刃物ではないということは瞬時にわかったのだが、となれば銃器か何かだろうかと煌輝はゆっくりと両手を挙げながら思考を走らせる。
乗客の悲鳴や反応を見ても、自身に突きつけられているものは相当に危険なものらしい。
「その腕章……国魔師だな。ゆっくりこっちを向け。少しでも怪しい真似をしたら弾くからな」
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