第56話

 金曜日、長いようで短かった一ヶ月が終った。挨拶を済ませ、最後に盛田主査に例の件は後日連絡いたします、と伝えて事務所をあとにした。エントランスホールに降りて、スマホで派遣会社に無事修了したことを報告する。完了手続きをしなければならないので、週明けに会社に来て欲しいと担当者に言われ、了解した私は電話を切った。

 清々しい気分で伸びやかに駅に向かって歩いている。頭の中にはいま何もない。まるで生まれたての赤ん坊のようにすべてがクリアになっている。派遣の仕事をしていてこの瞬間がいちばん愉しい時間だ。しかし、しばらくするとすぐに元に戻ってしまう――その瞬間がいちばん嫌な時間だった。

 自分へのご褒美に何かおいしい物でも食べようとしたが、とてもひとりで店に入る気にはなれなかった。葉月に付き合ってもらいたかったが、仕事にあぶれてる彼女に当てつけがましく思われるのが嫌で何となく躊躇している。こんな時、亮太がいてくれたらなァ、と無駄な希みが私を惑わす。

 結局そんなことを考えながら歩いていて、気がつくとアパートの前に辿り着いていた。諦めて部屋に入ると、着替えを済ませて冷凍ご飯を解凍し、簡単なおかずを拵えて夕食にした。達成感からくるゆったりとした気分が食後のコーヒーを欲しがり、普段あまり点けることのないテレビを観たいと思った。

 コーヒーを半分ほど飲んだ時、突然スマホが鳴った。慌てて手にすると、電話の主は葉月だった。

「どこ? 家?」

 いつになく明るい声の葉月にいささか戸惑いを覚える。

「さっき帰って、いま食事を済ませたばかり。葉月に電話して一緒にご飯食べようと思ったんだけど、ここんとこずっと引っ張り出してるから、遠慮しちゃったの」

「なーんだ、電話くれればよかったのに。暇してたから喜んで出てったのに」

 葉月の残念がっている様子が電話の向こうから伝わってくる。

「だったら、電話すればよかった。きょうで契約から解放されたから、何かおいしい物を食べたかったの」

「そう、そう、派遣会社から連絡入らなかった? あのS建設の営業停止期間が終ったらしくて、派遣会社に人材の要請があったんだって。そう言って五時頃に私のところに打診の電話がかかってきた」

「そうなんだ」

「ねえ、もしよかったら、話したいことが一杯あるから、明日会わない?」

「予定はないからいいよ。どこにする?」

「決まってるじゃない。巣鴨の駅前」「また?」「嫌なの?」「そんなことないけど、ここんとこ立て続けだから……」「だってあそこ何食べてもおいしいし、それに何といってもリーズナブル。無職のあたしには大助かりな店だから」「そうだね、わかったわ。じゃあまた明日電話する」

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