第18話
勝手口から中を覗いて母の背中に声をかけた。
「座敷に誰もいないみたい」
「ああ、みんな畑に行って仕事してる。戻って来るのは夕方だから、いまお茶を淹れるからゆっくりしてたらええ」
「わかったわ。お茶飲んだら、犬丸の散歩がてら畠に行ってみる」
私は勝手口から上がり、玄関に置いた荷物を取りながら座敷に入ると、電気コタツが真ん中にでんと占領していた。
「まだコタツ出してんだ」
首を廻して台所の母に大きく声をかける。
「まだ朝晩冷え込むからね。私たちは動いているからそうでもないんだけど、なかなかお父さんが離さないんだよ」母が台所から答える。
「そっかァ」
そう言いながら座敷を見廻す。天井の染みや柱の傷がひどく懐かしかった。
母がお茶を搬んで来た。白い湯気が流れるように立ち昇っている。落ち着いた壁の色や時代を経てきた黒光りの柱が調和していた。自分の躰に流れている血液が徐々に昔に遡っているような気がした。
「どう、東京の生活」
母は湯飲みを私の前に勧めながらぽつりと言った。
「うん、もうかれこれ五年になるから何てことはないよ。だって五年だよ」
「もうそんなかね。早いもんだね」
母は昔を振り返っているのだろう、しみじみとした顔を見せている。
「仕事のほうは上手くいってるのかい?」
「いってるよ。たまたま会社が休暇をくれたから、久しぶりに帰ろうかなと思って……」
私は本当のことを口に出せなかった。
「よかったよ。このところお父さんが右花のことをえらく気にしててね。毎日のようにおまえのことを口にするんだ。昨日右花が帰って来ることを伝えたら、急に元気になってね、晩酌をいつもより飲んだのはいいけど、安心したんだろうね、コタツに入って高鼾で横になってた」
そう言いう母も話し振りを見ていて、私を待っていてくれたのがよくわかった。
「これ、お父さんの好きな草加せんべい。みんなで食べて」
「これはお父さん喜ぶわ。お父さん大好きだもんね。右花が持って来たんだからなおさらだよ。夕飯のあとでみんなで頂こうね」
母は土産の包みを手にすると、仏壇にお供えをした。それを見て私は先祖のお参りをしてなかったのに気がつき、慌てて線香を立てた。
「私、犬丸の散歩がてら畑に行ってみる。きっとびっくりするよ、お父さん」
言い終わるか終らないうちにスニーカーに足を突っ込んでいた。
犬丸は鎖を解く間、私の周りをグルグルとこまねずみのように廻った。
家の前の急傾斜な道を畑に向かって歩き出す。先ほどあれほどまでに私を恋人のように焦がれた仕草を見せた犬丸だが、いまとなってはそれがまるで嘘のように地面に鼻先を擦りつけるようにしてずんずんと進んで行く。
時折り申しわけ程度に後ろを振り返り、ちゃんと蹤いて来ているか確認をすると、再びぐいぐいと引っ張る。やっと立ち止まったと思うと、今度は片足を上げて自分のテリトリーであることを誇示する。
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