第14話

 チョコレート味のポッキーを咥えながらひとり置かれたリビングの床に腰を降ろして放心していた時、突然私の目の前に亮太とのいままでが順序立てて現れてきた――。たった一年と数ヶ月のことだが、ひどく懐かしく思えた。亮太のことは充分にわかっているつもりだけれど、ある部分に差しかかると、分厚いベールに包まれてしまって視界不能になってしまう。これだけ長い間付き合っていてもまだ亮太の部屋に入ったことがない。気になったことは何度かあるが、取り立てて知ろうともしなかった。それが障害となっているのかもしれない。

 宴の後始末をした私はテレビの上に置いてある時計に目をやる。十時を軽く廻っていた。いつもより早い時間だったが、シャワーを浴びることにする。亮太の寝ている部屋をそっと開け、整理ダンスから着替えを取り出す。本当はこの間デパートで買ったバイオレットの下着を亮太に観てもらいたかった。でもきょうは諦めるよりほかない。

 左手でシャワーヘッドを握り、右手でハンドルを廻しながら温度を確かめる。少し高めに調節したあと、首筋から胸元にかけて心地よい刺激を抱く。右の腕にかかった湯が透明なフィルムが裂けるように弾け、丸い玉になって落ちてゆく。

 全身くまなく浴びたあと、ボデイシャンプーを揉むようにして躰にぬると、仄かな甘い香りが体中から沸き立ってきた。その香りに包まれるようにして今度は髪をシャンプーする。一日のすべてが流れ落ちて行くような気がした。

 髪を絞るようにしたあと、もう一度話しかけるような優しい温度の湯を全身に浴びる。自分の世界に融け込んでゆく。ふと我に戻った私は、左手首を返してシャワーヘッドを上向きにして気を削がれた下腹部をめがける。いつもより念入りにすべてを磨き上げるように中指を這わせた。

 バスルームを出ると、大きめなTシャツに袖を通してドレッサーの前に腰掛ける。鏡の中のもうひとりの自分がいた。意外にもそこには想像外の疲れて精彩を欠いた右花が私におもねるように笑顔を振り撒いている。

 私は彼女から視線を逸らす。目に入ったのは、亮太がくれた黄色いキャンドルだった。少し心が穏やかになったその時、無意識にドライヤーのスイッチを入れていた。

 飲み残しのミネラルウオーターを口にしたあと、音楽を聴く気にもなれなかった私は、亮太の眠っている横に吸い込まれるようにして潜り込んだ。亮太の睡眠の邪魔をしないように気遣いをしているせいか、なかなか思うように眠ることができず、濃緑の淵に誘われるまでに一時間ほどかかった。

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