第22話

 ――― 

 風呂に入る順番は、昔から母がいちばん最後と決まっている。確かにあとのことを気にすることもなくゆっくりと自分の好きなだけ入ることができる。その時間だけが唯一母の時間なのかもしれない。

 義姉と譲り合った末、結局私が先に入ることになった。

 風呂から上がると、脱衣場に見覚えのあるピンクのパジャマが置いてあった。母が私の着ていたのを棄てずにしまっておいてくれたのだ。少し照れ臭い気分で袖を通して座敷に戻ると、すでに父も兄も義姉の姿もなかった。柱時計に目をやる。針は九時を少し廻ったところだった。

 朝が早く、滅多に休むことができない農家の生活は、普段からこれくらいの時間に就寝する習慣になっている。子供の頃に父に訊ねたことがある。どうしてうちは農家なの? 家族みんなで旅行に行くこともできないじゃない? すると父が申し訳なさそうな顔でこう言った。お父さんは好きでこの仕事をしてるわけじゃない。お爺さんやそのまたお爺さんが大切にしながら遺してきた土地や畑を守らなければならないから仕方なく継いでる。

 いまになったら、世の中理屈や理想ばかりで過ぎてゆくものでないことくらいは誰に説明されなくてもわかるのだが、幼い私は父の言葉にすぐには納得することができず、家業を嫌い、父だけではなく母までもが嫌いになった時期があった。

「右花、蒲団はあんたの部屋に敷いておいたからね」

「うん」

 私はコタツに入って母が淹れてくれたお茶を啜り、少し話をして二階に上がった。正直なところ、久しぶりに戻ったことでもう少し母とも話をしたかったが、みんなよりも早く起きなければならない母だけに、ここは我慢して、また明日の昼にでも話すことはできると、自分に言い諾かせた。

 部屋を豆電球だけにして蒲団に入る。カーテンを透かして濃青の夜空が染み込んでくる。私は懐かしさに浸りながらそっと目を瞑る。目蓋の裏側までが染まってきそうに思えた。

 これからは度々ここに帰って来るわけにはいかないなと、きょうの義姉の態度を見てしみじみそう感じた。いまはまだ母が財布の紐を握っているからいいようなものの、あと数年して兄夫婦に実権が移った日には、一日帰るだけでも嫌な顔をされそうだ。この先夫婦の間に子供ができたら尚のこと帰り辛くなるに違いない。

 別に喧嘩して跳び出したのでも、家出をしたわけでもないのに、帰るのに逡巡しなければならないなんて、自分の家であってそうでない。だったらいっそのことテレビドラマでやっているように鬼のような小姑になって嫁イビリでもしてやろうか。でもそれをしたところで、兄が板挟みに合って辛い目をするだけだ――。

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