第34話
しばらくこのままでいたいと思った時、突然耳をつんざくケトルの嫉妬がふたりを裂いた。反射的に亮太から離れると、急いでガスを止める。左の掌の中には丸められたキッチンペーパーが固く握られたままだった。 私は後ろを振り返りながら、すぐに紅茶を淹れるから向こうで待ってて、と亮太を上目遣いに見る。
一緒に食べようと楽しみにしていたオレンジコンフィの入ったプチケーキの封を開ける。しかし、いまふたりの間に澱むようにしてある空気に打ちひしがれ、言葉を失ったまま、湖面を渡る朝靄のように湯気の立つ濃い目のダージリンティーを啜る。
「ねえ、亮くん、最近どう? 小説のほう、捗ってる?」
亮太は怪訝そうな顔をした。無理もない、滅多にしない種類の話題を私が口にしたのだから。昨日葉月と「小説拒絶症候群」の話をしてからこっち、ずっと気になって頭から離れない。無性に自分の頭に中の構造を真っぷたつに割って覗いてみたい気分に見舞われている。これまで何とか読めるようにと亮太のために努力はしてきた。でもまったくと言ってもいいくらい治癒していない。そんな苛立ちが私を襲う。
「うん、いま新しい作品に取りかかってる。と言っても書き出してから一ヶ月が過ぎようとしてるけどね。やっと三分の一まできた。まあ何とかコンスタントに枚数をこなしてるよ」
亮太は目を細めて私を正面から見た。
「今度はどんなストーリー?」
「今度もラブストーリーなんだけど、女の子の視点で展開するんだ。でも、小説を受け付けない右花がこんな話をするなんて、どういった風の吹き廻しなんだ?」
「じつは、昨日友だちの葉月とご飯食べながら小説のことを話してたの。その時、葉月が私のことを、『小説拒絶症候群』だと言ったわ。何かそれが言い得て妙で、頭にこびりついて離れないの」
「ふうーん、『小説拒絶症候群』か。小説のタイトルに面白そうだな。でもまさか本当にそんな名前の病気があるとは思えない」
おそらく自分では気づいてないだろうけど、亮太は小説の話になると眼の色が変わる。黒い瞳がひと廻り大きくなって、光沢を放つのだ。
「勿論そうよ。葉月が思いつきで命名しただけなんだから……」
「そうだよな、だって聞いたことないも」
亮太は大きな声で笑った。
「俺、小説サイトに掲載してるの知ってるだろ? 右花は興味ないと思って話さなかったんだけど、それが結構評判がいいんだ」
「どういったストーリー?」
読みさえしなければ拒否反応を起こさない私は、少しでも亮太に近付こうとしている。
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