第50話

「ありますよ」嗄れた声で言った。

「えッ! 本当ですか?」

「前、この部屋に住んでいた人ですよね。確か、坂上さんとか……」

「そうです。その人です」

「水曜日の日だったと思うんですが、夜の八時過ぎに突然見えて、探し物をしてみえたようですよ」

「探し物? 探し物って何でしょう、何か言ってました?」

 私は意外な展開に眼の色を変えた。

「何でも、これまでに書いた小説のデーターが入っているUSBメモリーをなくしたらしいんです。僕がここに来た時にはそれらしき物はなかったので、そのことを伝えると、もし見つかったらここに連絡して欲しいと、メモを置いて行かれました」

「そ、そうなんですか。そのメモって見せていただけませんか?」

「いいですけど、これって個人情報保護法に抵触しませんでしょうか?」

 住人はやっと普通に戻った顔を曇らせて言う。

「大丈夫です、知り合いの者ですから。けしてお宅に迷惑をおかけするようなことはないですから」

 すがるように頼み込む。本当にこれを逃したら二度とこんな僥倖にはめぐり逢えないと思った。

「わかりました、ちょっと待って下さい」そう言って玄関先を離れると、しばらくしてふたたび戻って来ると、小首を傾げながら、「すいません、捜したんですけど、見当たらないんですよ。昨日見たと思ったんですが、それがどこにいったのか見当たらなくて……」

「困ります」私はつい言ってしまった。

「お願いします。それがないと困るんです。お手数ですがもう一度捜してもらえないでしょうか? お願いします」躰をふたつに折るようにして頭を下げた。

「はあ」――住人は困った顔を見せる。

「あのう、私がここで待っていると、焦って捜せないでしょうから、しばらく時間を潰してきますので、それまでに何とかお願いします」

「はあ、じゃあ、何とか頑張ってみます」

 住人は私の切迫した表情を読み取ったのか、渋々返事をしてくれた。

 一旦ドアを閉めて建物から出た私は、巣鴨の駅まで行き、一時間ほどコーヒーを飲みながら時間を潰すと、ハンバーガー2個とポテトフライを買って住人の部屋に戻った。その一時間というものは、何とかメモが見つかりますように、と頭の中で手を合わせて祈り続けた。もし万が一見つからなかったとしても、それはそれで諦めなければいけないと言い諾かせたりもした。

 私は、神にもすがる思いでドアをノックした。ドアを開けてもらうまでが発狂しそうなくらい長い時間に感じた。

「どうでしたか? 見つかりました?」声が震えていた。

「ありましたよ」

「えッ、本当に?」私は一瞬我が耳を疑った。

「これなんですが……」

   東京都小金井市緑町三―×× コーポ川崎302号室

              井上玲子様方 坂上亮太

              090―2540―98××

 住人が差し出したメモは、見覚えのある亮太の字で、住所と携帯の電話番号が書かれてあった。携帯の電話番号は前のままだった。

「ありがとうございます。これ、ご迷惑をおかけしたお詫びの印です」

 私はメモを受け取り、引き換えのようにしてハンバーガーの入った紙袋を手渡したあと、早速バッグから手帳を取り出して住所を写しはじめた。途中まで書いた時、腹の底と言わず胸と言わず、躰中に憤激と悋気りんきが タダれるくらいの熱さを伴って迸った。それでも奥歯を噛みしめ、泪をこらえながらすべてを写し終えた。

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