第41話

 日曜日の午前中といったこともあって、思ったよりも人通りが少ない。葉月が頻りに話しかけてくるのだが、ほとんどうわのそらで、空返事ばかりを返していた。

 六義園りくぎえんを超えて一つ目の信号を右に折れる。一度しか行ったことがないので確かな道順はわからない、疎覚えであるけれど、確か駅から十分程で行ける気がした。しばらくすると、見覚えのあるタバコ屋が目に入った。私は確信を得て葉月に間近なのを笑顔で報せる。陽射しが夏に向かっていた。

 目的のアパートを見た時、亮太が呼び寄せない理由がわかったような気がした。建物は薄汚れていて、一階と二階を合わせても十室しかなかった。とても私には住めそうにない。そんなことよりもここに亮太がいると思うだけで、これまでの暗澹とした気持が吹き飛んび、一時も早く亮太の声が聞きたいと思った。

 何号室か聞いてなかった私は、小走りに郵便受けのところまで行くと、亮太の苗字である「坂上」という名前を捜す。ところが何度見直してもそれらしき名札は見当たらなかった。嫌な汗が首筋を這った。私は泣きそうな顔になって振り返る。葉月は道路の真ん中あたりで腕を組んだままあらぬ方向を眺めていた。大きな声で葉月を振り向かせる。やっと用事を思い出したような顔で駆け寄って来る。

「どうかした?」気のない言い方で私の顔を見た。

「ないの。亮太の名前がポストにないの」口をへの字にして言った。

「ないって、ちゃんと見たの? 本当にこのアパートで間違いないの? そいで彼は何号室なの?」

 葉月は馬鹿にしたような顔になって矢継ぎ早に訊いてくる。

「何号室かわからない。でもこのアパートに間違いない。この崩れかけたコンクリートブロック見覚えがあるから」

「わからないって、それじゃあどうしようもないじゃないの」

 私を押し退けるようにして郵便受けの前に立つと、腰を折りながらひとつひとつ名札を見ながら、亮太の苗字を訊く。そしてもう一度端から順に確かめてゆく。

「ひょっとして、彼の部屋は103号室じゃなかった?」

 葉月は眉根に皺を寄せてきつい顔のまま質問した。

「うーん。そう言われればそうだったかも……」

「頼りないわね。そんなだから彼に逃げられちゃうのよ」

「ちょっと待ってよ。逃げられたって決まったわけじゃないんだから……」

 私はついムキになってしまった。

「ごめん、ごめん。まあ、あたしたちがここで言い争ったところで埒が明かないから、早く彼の部屋を思い出しなさいよ」

「言われてみれば3号室だったような気がする。でも葉月、何で3号室だって知ってるの?」

「右花、ここ見て。名札が新しくなってると思わない?」

「そう言えばそうね。って言うことは――やだァ、引越しちゃったんだろうか」

 顔面からさっと血の気が引くのがわかった。

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