第24話 5

 夜半から降りはじめた春雨が泪のように蕭々と落ちている。

 私はパンツの裾を濡らしながら、十時五分前にJR新橋駅前にある派遣会社のオフィスに顔を出した。打合せブースで待っていると、担当者が幾つもファイルを抱えて現れた。顔見知りの女性担当者だった。

「ご無沙汰してます」と私。

「いえ、こちらこそ。この間は大変でしたね、とんだとばっちりで……。篠崎さんも想定外だったでしょうけれど、当社も大打撃を受けました。でもこういった業務は、クライアントあってですから、先方の都合でこういうこともありますよね」

 縁なしメガネに手をかけながら、キャリヤウーマン然とした担当者は書類に目をおとしたままで事務的に喋る。まったく他人ひとの事情など意に介さないといった物言いに私は肚の底が熱くなった。

「ところで、いま一ヶ月という短期なんですか依頼がきてるんです。例のS建設ですが、一ヶ月すれば元の体制に戻ると思うんです。そこで、それまでの繋ぎと言ってはあれなんですが、どうでしょう?」

 担当者は私の顔を覗き込むようにして訊いた。

「はあ」と、私は返事を濁らせた。

 私の抗いは残念なことにそこまでだった。派遣会社のやり口に一方的に腹立たしく思い、今度声をかけられた時には憤懣をぶちまけてやるつもりだったはずなのに、いまでは仕事がしたいほうに傾いてしまっている。

「こんども建設会社でしょうか?」

「いえ、大手の建築設計事務所です。もしよければアポを取って明日にでも面接に行ければと思いますが」

「わかりました。私は構いません」

「じゃあ、先方に連絡を取ってみますから、ちょっとそのまま待ってて下さい」

 ひとり打合せブースに残されると、自分の不甲斐なさにほとほと愛想を尽かした。これまで散々この派遣会社に対して憤りを抱えていたはずなのに、二週間も経たないうちにあの時の激情をすっかり消失した自分自身が情けなかった。


 明日の約束を取り交わしてビルを出る。相変わらず雨はそぼ降っている。雫を縫うように吹き渡ってくる風は意外に冷たく、無関心を装うように私の前を通り過ぎていった。

 駅のコンコースまで来た時、亮太の声が聞きたくなってスマホを取り出す。何度も呼び出したが出る気配がなかった。バイト中に違いないと思いながらそれでもしばらく呼び続ける。やがて留守電メッセージが流れ、私は会いたいと短く伝言を入れた。バイトなら夕方までは時間が空かない。それまでどこかで時間を潰そうにも、潰し切れないくらい潤沢にあったために、一旦アパートに戻ることにした。



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