第4話 うれし・香ばし・手前味噌(前編)

こちらのお話は、


・二人がご飯を作って食べるだけのお話です。

・ファンタジー要素はありません。

・幽霊、あやかし要素はありません。

・ミステリー要素はありません。


また、科学的説明はあくまでスパイスです。

つまらなかったり、面倒くさければ、読み飛ばしてもらっても全然大丈夫です。

以上の点にご注意の上、お腹を空かせてお読みください。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ☀☀☀


 久々に訪れた王将は、休日の夜ということもあってか、ずいぶんと賑やかであった。


 客のおしゃべりを突き抜けて、中華鍋を叩く音がカンカンと響き渡る。

 炒飯の香ばしさと、麻婆豆腐の刺激的な匂いに、思わず腹の虫が鳴ってしまう。

 うららにとっては数カ月ぶりの外食であった。


「今日はお疲れ。助かったよー」


 ねぎらいの言葉と共に、グラスが差し出される。

 うららは、テーブルの向かいに座った女性を見つめた。


 ぱっちりと開いていない、まどろみに飲まれそうな双眸。

 その目尻は力なく垂れており、見ているとこちらまで眠くなってしまいそうだ。

 薄茶がかった髪は、後ろでゆるーく結われ、やる気のないポニーテールになっていた。


 彼女、新庄凪しんじょう なぎは、うららの高校生からの友達だ。

 大学の学部も、研究室も同じだったので、付き合いはかれこれ10年になる。


 うららは昨年、修士課程から博士課程に進学したが、凪はそのタイミングで就職した。採用先は、隣町の科学館だ。


 それからは、社会の忙しさに翻弄されて、疎遠になってしまうかと思われたが、時折こうして臨時ボランティアという体裁で、顔を合わせている。


「別にいいって。発表するの、好きだし」

「相手は教授みたいなおっさんじゃなくて、子供だけどね」


 うららが行っているボランティアの内容は、簡単な科学実験の実演である。

 対象が小学生以下なので、学会発表のように専門用語を使うわけにはいかない。その制約には四苦八苦するところもあったが、実演後に送られる可愛らしい歓声は、心地よいものだった。


「そんじゃ、何でも好きなやつ頼んで」


 凪は無造作にメニューを開いて、こちらに見せてくる。

 ラーメン、唐揚げ、春巻き、胡麻団子……どれも捨てがたい。

 だが、金額の方に視線が移ると、億劫になってしまい、変な声が漏れた。


「い、いいの? 本当に」


 凪は怪訝そうに小首をかしげる。


「そっちがせがんできたんでしょう?」

「そうだけど、いざメニューに書かれた金額を見ると、やっぱり申し訳ないなぁって」


 うららの言葉を耳にすると、凪は不敵な笑みを浮かべて、懐からわずかに財布の中身を覗かせた。


「心配ご無用。ここに書いてあるメニューを丸々注文しても、今月の生活に支障は出やしないから」

「なん……だと?」


 BLEA○Hの大コマのように驚愕し、うららはメニューの金額を足し合わせていく。

 その途中で、今月の生活費はすっかり音を上げてしまった。


「これが卍解、”月給”の力?」

「バカなこと言ってないで、早く決めて」


 怒られた。

 結局、最初に目に付いた炒飯ラーメンセットを選んで、早々に注文する。


 そういえば、ルームシェアをしていた時も、こんな感じだったなぁ……

 

 数年前を懐かしみつつ、うららは親友の近況を尋ねた。


「凪は、最近どんな感じなの? 科学館」


 以前の話では、まだ先輩職員にくっついて、研修の日々だと語っていたが。


「やっと研修期間の延長戦が終わったって感じかな。ちっちゃいけど、夏にはイベント一つ任せてもらえたし」


 普段から凪の声色は、見た目もあいまってダウナーというか、けだるげな印象を受けるのだが、この時ばかりは少しだけ弾んでいた。と言っても、それは長年、凪と一緒だったうららにしか分からない程度のものだが。


「ふーん、どんなどんな?」


 オフレコでね、と一応前置きをしてから、凪は口を開いた。


「小学校に出向いてね、食べられる化学実験を実演するってやつ」

「へぇ、面白そう!」

「うん。でも、どんな実験にするかは、ぜーんぜん決まってなくてねぇ……教科書通りカルメ焼きってのも、面白みに欠けるし」


 凪は、だらんと背もたれに体を預けた。

 相変わらず気の抜けたような口調だが、視線はブレることなくまっすぐ宙を向いている。形にならないアイデアを掘り出そうと、指先がテーブルを引っ掻いていた。


 初めて任せてもらえた企画だ。きっと、真剣に考えているのだろう。 


「じゃあさ、また時間あるときに色々試してみようよ! 研究棟の休憩室とか、料理するならもってこいだし」


 気付けば自然と、そんな言葉が出る。

 突然の提案に、凪は最初こそきょとんとしていたが、やがて柔和な笑みを浮かべた。


「ありがと」


 凪の安堵した表情を見て、うららもどこか安心する。


 人の縁なんて、環境が変われば脆いものだ。

 高校や大学院への進学で、それは痛感している。

 だから、こんな感じで何かしら理由をつけて、凪との繋がりは留めておきたかった。


「で、そっちはどうなの? 研究」


 漂い始めた恥ずかしい雰囲気を払うように、凪が問いかける。


「あぁ、まぁ、その……」


 もごもごと、うららは言葉を濁した。

 心の動揺に波長を合わせて、視線が揺らぐ。

 

 着実に学芸員として成長している凪のように、うららも何か良い成果を報告したかったのだが……残念ながらそんな土産は持ち合わせていなかった。


「とある雑誌に論文投稿して、目下、審査員レフェリーと格闘中、です」

「新年もそんなこと言ってなかったっけ?」

「あっちの雑誌は、うん……棄却リジェクトされた」


 まじかぁ、と凪は難しい表情になる。

 

 研究者は計算をするだけではいけない。実験をするだけでもいけない。

 たとえそこに、世紀の大発見が伴っていたとしてもだ。


 彼らの努力は、論文になって、ネイチャーやサイエンスといった学術雑誌に受理アクセプトされて、初めて成果となる。


 通常、学術雑誌に論文を投稿して、そのまま一発で受理されることは、ほとんどない。

 大抵、審査員レフェリーから、論文の内容について修正リビジョンを要求されるのだ。

 そして、要求される手直しの度合いは、当たる審査員によって大きく左右される。


 うららの当たった審査員は、結構厳しいというか、意地悪な方だった。


 手直しの内容が記されたメールを見せてみると、凪は目を細めた。


「こんなの、丸々解析やり直せって、要求してきてるようなもんだね……これを二週間以内にかぁ。しかも、後輩のゼミ監督や卒論指導もしながらとは」


 大きくため息を吐く。時給ゼロ円の激務を、想像してしまったのだろう。 


「本当に大丈夫? ……って、うららに聞いても無駄か。どうせ大丈夫しか言わないし」

「ほ、本当に大丈夫だって!」

「どーだかね。うららは、自分に対して、結構……鈍感だよ」

「そんなこと……」


 ない、とは断言できなかった。

 あったかもしれないし、なかったかもしれない。

 でも、凪から指摘されると、どうにも否定しずらかった。


 言い淀んだところに、「お待たせしました!」と料理が運ばれてくる。

 それを機に、凪からの追及は止んだ。


「まぁ、取り敢えずは信じてあげますよ。肌の色も、前に話した時より、良くなったみたいだしね」


 何気ない凪の言葉に、うららはぴくっと肩を震わせた。


「凪……それ、本当?」


 うららは自分の頬に手を添えながら、先週の深夜を思い出した。


(後編へ続く)

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