第23話 フルーツ・タルト・チークキス(前編)

こちらのお話は、


・二人(今回は四人?)がご飯を作って食べるだけのお話です。

・ファンタジー要素はありません。

・幽霊、あやかし要素はありません。

・ミステリー要素はありません。


また、科学的説明はあくまでスパイスです。

つまらなかったり、面倒くさければ、読み飛ばしてもらっても全然大丈夫です。

以上の点にご注意の上、お腹を空かせてお読みください。


————————————————————————————————————


 ☀☀☀


 行き交う人々の服装がすっかり長袖になった十月の中頃。

 栄の街灯にカボチャとコウモリのデコレーションが施され、街はハロウィンのムードに仕上がっていた。


「ここでいい?」


 凪の返事を待つことなく、うららは行きつけの喫茶店の扉を開ける。

 夜遅くまで営業しているここは、学部時代に試験勉強でよく利用していた場所だった。

 テーブル席へと通された二人は深く腰掛け、メニューに目を通す。

 コピー用紙に印字されたフォントは丸っこくて可愛らしい。


「いいよ、ただしコーヒー奢りね」

「む、無給の私に金を出させる気! 鬼ぃ!」

「ギブアンドテイク……当然でしょ」


 言うが早いか、血も涙もない凪は店員を呼んで注文した。何となく同じものにするのは気が引けたため、うららはキャラメルマキアートを注文した。


「それにしても、珍しいね。うららが相談事って。君、悩みとかなさそうなのに」

「私だってあるよ。悩み事の一つや二つ」


 そうこぼして、うららは唇をとがらせる。


「で、どうしたの?」

「うん、実は……氷彗のことなんだけど」

「相談風のろけ話なら勘弁ね」

「のろけじゃないってば! 何かね……氷彗、昨日から元気ないみたいで、心配でさ」


 心許なくて、手元のおしぼりを指先でそっといじる。

 長年一緒に過ごしてきた親友相手でも、こんな風に面と向かって相談するのは少し勇気が必要だった。


「それで、これは言いにくいんだけど……」

「多分その原因は自分にある、と?」

「な、何で分かったの?」


「分かりますよ、そりゃ。六年一緒に暮らしてきたんだから」

「うぅ、悔しい。じゃあ、これから言うことも察しが付く?」

「大体、ね。鳥見川さんが落ち込んでいる原因は自分にあると思う。でも、それが何なのか分からない。だから、一緒に探してほしい……こんなところ?」

「お、仰るとおりです」


 ほぼ100%相談内容を言い当てられ、何も返せなくなっていると、助け船を出すように「お待たせしました」と、コーヒーが運ばれてきた。

 取っ手に指を絡めると、凪はコーヒーを鼻先へと近づける。カフェイン目当てで飲むうららとは違い、凪は香りにうるさかった。

 波打つ水面を眺めながら、彼女は口を開く。


「ま、自分の無自覚さを自覚しただけでも成長かな」

「それ、ほめてる? けなしてる?」

「どっちも。それじゃ、ざっと話してみてよ。昨日のうららの行動」


 尾を引くキャラメルマキアートの甘さを舌で感じながら、うららはぽつりぽつりと語り出した。


「えっと、昨日は招待講演を開いてて……」


 ❄❄❄


 同じ頃、氷彗は自宅でうなだれていた。

 思い出すのは昨日の出来事だ。


 その日、農理学研究棟で氷彗が最初に目にしたのは、スーツ姿のうららだった。


「氷彗~!」

「うららさん?」


 一階エントランスを入ってすぐの扉は大ホールのものだ。

 地下一階まで突き抜けた室内には、優に三百以上の座席が並んでいる。立派な施設だが、新入生ガイダンスやオープンキャンパスなど、大規模なイベント以外で使用されることはほとんどない。

 故に、いつもは素通りしてエレベーターに乗り込んでしまうのだが、今日は違った。扉の前でうららがこちらに手を振っていたのだ。


「どうしたんですか、その格好」

「あ、これ? 今日、うちの研究室がホストで招待講演やっててね。私たち院生がスタッフやってるの。あんまり着る機会なかったけど……どう? 似合ってる?」


 襟元を正して、うららはくるり体を回してみせる。すると、後ろで結われた髪が波のように揺れた。就職活動用であろう漆黒のパンツスーツは、スタイルの良い彼女をさらに際だたせている。


 かっこいい……


 氷彗は、漏れ出しそうになった言葉を抑えるのに必死だった。


「それにしても、わざわざスーツなんて珍しいですね。そんなにオフィシャルな講演なんですか?」

「ううん、全然。むしろ身内の催しだよ。でも招待した先生、医学系の研究者だから」

「あぁ、そういうことですか」

「そういうこと」


 学会に着ていく服装は、実は一律に決まっていない。研究界隈ごとに異なっているのだ。

 例えば、物理や数学の学会参加者は、大体私服で参加している。しかし、生物や医学薬学系の学会は、スーツの着用が暗黙のルールだ。

 このルールを知らずに場違いな服装で学会参加して浮いてしまうのは、誰しも通る道である。


 うららや氷彗の研究する分野は物理、化学、生物、医学、薬学の学際領域に位置しているため、発表する場によって服装をかえなければならなかった。


「うららさんは講演、聴かれないんですか?」

「もちろん聴きたいよ。でも、まだ出席者の名簿が埋まってないから」


 ため息とともに、うららは肩を落とした。

 彼女の役割はこの招待講演会の受付なのだろう。脇には名簿表と思しき厚紙が挟まれていた。


「ウララー!」


 どこかから、高い声が聞こえてくる。

 氷彗はキョロキョロと辺りを見回した。声はガラスを挟んだ研究棟の外から響いていた。


「……もしかして、アリス?」


 エントランスに張り付いた女性に、うららは目をぱちくりとさせている。

 金髪のサイドテールと大きなヘッドフォンが特徴的な女性は、明らかに西欧系の外見をしていた。


「お知り合いですか?」

「うん。私が修士の頃、うちのラボに留学に来てた学部生。そういえばアリス、招待講演の先生のラボに進学したんだっ……け!?」


 言い終えないうちに、アリスは猛スピードでうららにつっこんできた。

 彼女は大げさにハグを交わすと、さらに抱きしめる力を増していく。


「二年ぶり! ウララ、寂しかったヨ!」

「アリス、苦しい苦しい」


 ギブアップと言わんばかりにとんとんと手を叩くと、アリスはようやく拘束を解く。

 解放されたうららは、息苦しそうにシャツのボタンを外した。


「ふぅ……久しぶり。今日はどうしたの? ボスの付き添い?」

「ノン。ワタシ、マスターコースでもメーチ・ユニバシティで研究することになったデス! ウララとは違うラボになっちゃったケドネ」


 たどたどしいが、十分聞き取れる日本語でアリスは語ってくる。


「へぇ、じゃあまた日本に留学?」

「Yes! これで、アニメもマンガも最前線デス!」


 自分の知らないところで発展していく話題に、氷彗はどことなく置いてけぼりにされた感覚だった。

 胸の奥で嫉妬が灯り、「うららさん」と呼びかけてみる。特に意図はなかったのだが、うららは何かを察したように腕時計をのぞき込んだ。


「って! 雑談してる場合じゃなかった。アリス、早くホール入って。講義、もうとっくに始まってるよ!」

「Oh! そうデシタ! じゃ、ウララ」


 アリスは再びうららとハグをすると……

 チュ——

 彼女の頬に優しくキスをして、ホール内へと入っていった。


「See you later!」


 ☀☀☀


「……で、その後に」

「ちょっと待ちなさい」

「氷彗と学食に行って」


「だから待てって言ってるでしょうが!」

「あいたっ!」


 凪のチョップがうららの脳天を直撃する。

 それまで止まることのなかった話は、強制的にストップされた。

 昨日の出来事を話せと言うから話していたというのに、叩かれるとは心外だ。


「え、何? ……もしかして、アリスのこと? もちろん凪にも会いたがってたよ」

「そうじゃなくて! 鳥見川さんが元気なくなったの明らかにそこでしょ!」

「えぇ!?」


「えぇ……じゃないよ、ほんとに。何で気付かないかな? 今時ラノベ主人公でも、そこまで鈍感じゃないよ」

「でもでも、アリスの故郷のフランスじゃ、親しい相手とのチークキスは挨拶なんでしょ? 送別会の時、凪だってされてたじゃん」

「そういう問題じゃないから……というか、そんなの見せつけられたら私だって」


 凪は言い掛けて、コーヒーをすする。

 かちゃかちゃと音を立てて、ずいぶんと雑な飲み方だ。

 どうしたのだろう。


「凪だって……何?」

「何でもない」


 追加で怒られ、うららはますます分からなくなった。

 こめかみの辺りをクエスチョンマークが飛んでいく。


「まぁ、事情は大体分かったよ。君が100%悪い」

「ど、どうすればいいと思う?」

「とりあえず、鳥見川さんが抱いているであろう誤解をちゃんと解いて、真摯に謝るのが一番だろうね」


 やれやれと凪は首を振る。

 追加でミルクと砂糖を投入し、マドラーで念入りに攪拌した。真っ黒なコーヒーは雪と出会ったように白濁していった。


「そっか……でも、ちょっと話しかけるの気まずいなぁ」

「なら、その場は私がセッティングしてあげるよ」

「本当?」


 凪の方へ前のめりになると、ぐいっと何かを突きつけられた。

 顔を引いて確かめてみると、先ほどのメニュー表だった。

 羅列されたうちの一つに指を添えて、凪は言ってくる。


「追加でモンブラン、奢ってくれるならね」


(後編へ続く)

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