第13話 花火・カステラ・夏祭り(前編)

こちらのお話は、


・二人がご飯を作って食べるだけのお話です。

・ファンタジー要素はありません。

・幽霊、あやかし要素はありません。

・ミステリー要素はありません。


また、科学的説明はあくまでスパイスです。

つまらなかったり、面倒くさければ、読み飛ばしてもらっても全然大丈夫です。

以上の点にご注意の上、お腹を空かせてお読みください。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ☀☀☀


 花火大会が始まる半時間ほど前。

 うらら、氷彗、凪の三人は地下鉄の駅からほど近い、着物レンタル店に立ち寄っていた。


「お、お待たせしました」


 最後に着付けを終えた氷彗が、自信なさげに店の奥から出てくる。その姿を見て、うららは自分の目蓋が持ち上がっていくのを感じた。


 薄い水色の布地に浮かぶ、なめらかで涼しげな流水柄。その表面には赤、青、黄色とカラフルな水風船が漂っている。うららや凪の浴衣に比べれば大人しい装飾だが、それが彼女の繊細さを引き立たせていた。


「お~~~! 氷彗、めちゃくちゃ可愛いじゃん! いい! いいよ! ね、凪!」

「テンション上がりすぎ。まぁ、分かるけど。鳥見川さん、浴衣着ると雰囲気出るね」

「あ、ありがとうございます」


 賞賛の嵐に顔を赤らめ、氷彗はギュッと裾を握った。


「しかし、浴衣着て夏祭りなんて、粋なこと言いだすね、うららは。こんなの何年振りだっけ?」


 凪は裾を軽く振った。彼女の浴衣は、氷彗とはまた違った美しさだ。

 紺色の下地に白い波紋が広がっており、滑らかな流水線に沿って淡いタッチの金魚が優雅に泳ぐ。金魚の赤に似合った朱色の帯には、白の帯締めがコントラストとして映えている。

 いつもヘアゴムで結われているポニーテールは、トンボ玉であしらわれた簪で留められていた。


「高校以来だから……七年ぶりかな?」

「そっか、JKからもうそんな……っと危ない危ない。考えるのやめよう。それで、何でまた急に?」


 当然の疑問にうららは、うっと言葉を詰まらせた。

 大抵、こういったリフレッシュをしようという原動力には、負の部分が働いているのだ。


「だって! せっかくの夏なのに、研究室と学会を延々と行き来するだけなんて、悲しすぎるじゃん!」

「学会でもたまにあるでしょ。夏っぽいこと。ほら、懇親会のバーベキューとか」

「あったけど! 右も左も教授陣ばっかりだわ、発表内容ネチネチ質問されるわで、全然楽しくなかったもん!」


 あの時は、肉と野菜を焼いて食べていたはずなのに、胃がキリキリと痛んで、何の味もしなかったのを覚えている。


「だから、たまには研究のことぜーんぶ忘れて、思いっきり遊ぶ日が欲しかったんだよ」


 疲れた記憶をカランコロンと下駄で蹴とばし、うららは右手に凪、左手に氷彗の腕をつかんだ。


「というわけで、行こ! ちゃんと下見して、穴場も見つけてあるから」


 ☀☀☀


 港で行われる今日の花火大会は、この地域では一番大きなお祭りだ。

 会場のすぐ近くまで地下鉄が走っていることもあり、交通の便が良いので、遠方から訪れる者も多い。特に花火が始まってから数十分は、場所取りや食べ物を買いに人がごった返す。

 なので、初めの方はうららが下見してきた穴場に移動することになった。


 正規の観覧場まで伸びる人の流れに逆らって、三人は住宅街へと抜けていく。

 途中、家屋に視界を遮られたが、しばらく進むと小さな橋が現れた。

 その用水路の先には、切り取られた風景画みたいに港が見えて、花火を観賞するにはまさにうってつけだ。


「へぇ、よくこんな所見つけたね」


 凪が感心していると、ぴゅーっという細長い音と共に光の線が上空へと飛び上がった。

 次いで、天の川が広がる夜空に、色鮮やかな光の花が幾輪も咲き誇る。

 光と音の速さはわずかに食い違い、少し遅れてバァンと破裂音が鼓膜を揺さぶった。

 砕けた光の欠片は、海の水面にたどり着く前に闇夜へと溶けていった。


「きれい……」

「あの輝線スペクトルは、リチウムだ」


「変わんないね、うららは。高校の頃も、花火観ると炎色反応だ~! って興奮してた」

「私だけじゃないよ。理系クラスの全員でしょ。っていうか、氷彗の高校もそうだったよね?」

「はい。理系のあるあるですね」


 光輪が弾け、空気が裂ける音を感じるたびに、記憶の鍵が一つ一つ開いていった。


「当時は、それで花火のことを完全に理解したつもりでいたっけ……」

「でも大学に入って、量子を学んで、ぜーんぜん分かってなかったことが分かって……どや顔してた自分が恥ずかしくなったよ」

「分かります! それも、あるあるですね」


 ひゅっと、柔らかな夜風がうらら達の間をすり抜けた。

 豪奢なカーテンのように、氷彗の黒髪が舞い上がり、闇夜に浮かぶ。


 高校、大学と思い出に浸ったら、もう思い出せる時代はない。

 意識は自然と、現在に流れていった。


「量子効果……シミュレーションに取り入れにくいんだよなぁ」

「蛍光プローブも、あの花火みたいに、はっきり光ってくれればいいんですけど」


 氷彗とほぼ同時に、直面している研究の課題がこぼれた。

 それを聞いて凪は苦笑する。


「君たち……全然忘れられてないじゃん、研究のこと」

「はっ!」


 恐ろしい……

 これが職業病という奴か。


「そ、そろそろ人の動きも収まったっぽいし、お腹もすいたし、出店の方に行ってみない!?」


 ごまかすように、うららはまた二人の手を引いた。


(中編へ続く)

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