第25話 ゲーム・現実・あんこう鍋(おまけ)

 ❄❄❄


 ハロウィンとアンコウ鍋の夜が明け、翌日の日曜。


 さすがにこの日は昼間でも研究棟にいる人が少ない。

 学会シーズンや学位論文発表前ともなれば話は別だが、今はまだ秋である。


 氷彗も今日来る気はなかったのだが、忘れ物を思い出し、外出のついでに少し寄ることにした。


 誰もいない研究室の鍵を開け、自分のデスクを確認する。PCモニタの陰には、猫型のペンケースが隠れるように滑り込んでいた。それを回収すると、もうする事もない。


 廊下を抜け、エレベーターの脇から続く階段にさしかかる。


「何ですか、話って?」


 上の踊り場から、聞き馴染みのある声が降ってきた。

 うららだ。

 反射的に顔を上げるが、この角度からは誰も見えない。

 ただ、壁に引き延ばされた影から二人いることは分かった。


「例のホモロジーモデリングの件なら、まだできていませんけど……」

「いえ、研究の話ではなくてですね」


 相手はおそらくうららの研究室のボス、田宮だろう。

 何度か声を聞いたことがある。

 日曜日にまでディスカッションしているのだろうか。


「塔山くん。あなた、最近ご家族と連絡は取っていますか?」

「……どういう意味です?」

「言葉通りの意味です」


 空気が徐々に張りつめていくのを肌で感じる。

 このまま何も見なかったことにして帰るべきだ。

 頭はそのように主張するが、体はそれに従わなかった。

 罪悪感を覚えながらも、息を殺して耳をそばだててしまう。


「実は先日、理学事務経由で私の方に連絡がありまして。 あなたのお母さまが、ご病気で倒れたと」


 うららの息をのむ音が聞こえる。

 それまで不動だった片方の影が、不安げに揺れた。


「お母さまと病院側からあなたの方に知らせようとしたらしいのですが、全然繋がらなかったようで……巡り巡って指導教員の僕の方に」

「すみません。田宮さんに面倒をかけてしまって」

「僕は別に構いませんよ。ただ……」


 何かを言いかけた田宮は、しかし何も言うことはなかった。

 気まずい沈黙がべったりと周囲を蝕んでいく。


「いえ、止めておきましょう。研究員のプライベートに口出しするのは、僕の主義に反しますから」

「……ありがとうございます」

「それこそ、お礼を言われるようなことじゃありませんよ」


 それを最後に、二人の会話は終わりを迎えた。乾いた足音が上に昇り、徐々に小さくなっていく。完全に聞こえなくなると、氷彗はへなへなとその場に座り込んだ。ずいぶんと心臓に悪いことをしてしまった。


 これから、どうしよう。

 はぁ、っと胸の奥から深いため息を吐き出すと、


「誰かいるの?」


 そこで氷彗は気付く。

 上に消えていった足音は、一人分だったことに。


 さっと血の気が引いて、顔を上げる。

 すると、手すりの上から身を乗り出したうららとばっちり目が合ってしまった。


「……氷彗」


 最悪のタイミング——

 おそらく、どちらもそう思っていた。


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今回はここまでです。次回もお楽しみに。

コミックファイアにて6月からコミカライズ開始です。

そちらもよろしくお願いします。

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