第10話 もちもち・タピオカ・夏の宵(前編)

こちらのお話は、


・二人がご飯を作って食べるだけのお話です。

・ファンタジー要素はありません。

・幽霊、あやかし要素はありません。

・ミステリー要素はありません。


また、科学的説明はあくまでスパイスです。

つまらなかったり、面倒くさければ、読み飛ばしてもらっても全然大丈夫です。


以上の点にご注意の上、お腹を空かせてお読みください。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 街が暗闇に包まれる中、オフィスビルのような外観の建物には、ポツリと明かりが灯っていた。

 名知大学の農理学研究棟である。

 そこの二階には広々とした休憩室が設けられており、何故か大層なシステムキッチンまで完備されている。しかし、研究者がそこを使う時と言えば、せいぜいカップラーメンのお湯を沸かすくらいで、長らく有効活用されてこなかった。


 ずっと宝の持ち腐れのように思われてきた休憩室だが、実は最近はそうでもないようで……


 ☀☀☀


 漂ってくる白い湯気は、コンソメの匂いをたっぷりとはらんでいて、鼻腔をいたずらにくすぐっていく。外の草野で鳴く夏の虫みたいに、お腹が「きゅぅ」と音を上げて、食欲はもう我慢の限界だった。


「いただきます!」


 うららと氷彗は向かい合って、卓上に置かれた料理に手を合わせた。

 今日の夜食は、エビ団子のスープだ。

 エビの薄いピンク色を中心に、トウモロコシの黄色やチンゲン菜の緑が添えられて、色彩豊か。見ているだけでおいしく思えてくる。


 レンゲを透き通った飴色のスープにくぐらせ、団子をすくい、口へと運ぶ。

 優しく噛んでみると、エビのぷりぷりっとした感触が返ってきた。次いで、じゅわわっと団子に染み込んだコンソメスープが溢れだし、口の中に広がっていく。それがエビ独特の甘さと絡まり合って、とろけてしまいそうな幸福感に包まれた。


「おいしい~~~!」


 スープと、それを作ってくれた氷彗の温かさを体いっぱいに感じながら、うららは舌鼓を打った。


 ☀☀☀


 食後は決まって氷彗の隣に並んで皿洗いをする。

 この流れは、もう互いに口に出さなくても分かっているお約束みたいになりつつあった。


 真夜中の研究棟で氷彗と出会い、夜食を一緒に食べるようになってから数か月後。

 季節は一つ巡り、暑い夏がやってきた。


 最初はタイミングの合う数日おきに催されていた夜食だったが、やがて隔日おきになり、今ではほとんど毎日行われるようになった。


 これも互いに約束したからではなく、自然とそうなったことだ。

 氷彗に会いたくてこちらが都合を調整しているみたいに、氷彗も実験の時間を調整してくれているのだろうか。

 そう思うと、なんだか胸がくすぐったくなった。


「氷彗! 今日のエビ団子、めちゃくちゃおいしかったよ!」


 隣に立つ彼女に笑みを送る。

 その姿を見て、やっぱりきれいだなとうららは思った。


 氷細工のような華奢な体躯。それを覆う滑らかな黒い髪。そして目鼻立ちが整い、凛とした表情。その姿はまるで精巧な人形みたいだった。


 彼女からの反応が無いので、「氷彗?」ともう一度呼び掛けてみると、しっぽを掴まれた猫みたいに、彼女は肩をピクリと震わせた。


 まだ下の名前で呼ばれることに慣れていないのだろうか?


 水の滴る白魚のような彼女の手が、もどかしそうにぎゅっとスポンジを握っていた。


「お、お粗末様です。それに、ありがとうございます」

「え? 何が?」

「エビの背ワタを取り、手伝ってもらって。すごく早くて、助かりました」


「いいよ、それくらい。それに私、こういう作業って、昔から慣れてるし。今日だって、ティーチングアシスタントの仕事で学生が提出してきた期末レポート数百枚を、ず————っと学籍番号順に並べてたから」


 大学は今ちょうど前期末の試験シーズンだ。

 学部生はその対策に四苦八苦しているだろうが、うららは院生なのでその必要はない。しかし、その代わりに採点する教員の手伝いをしているので、どちらにせよこの時期は忙しかった。


 特に今年は指導教官の田宮が全学部対象の教養科目の担当になってしまったので、受講生の数はとてつもなく多く、先ほどまでうららは山のようなレポートをさばいていた。


「それ……大変じゃありませんか?」

「まぁ、大変だけど。嫌じゃないかな。ボーっと無心になって作業しているとね、時々研究のアイデアが閃いたりするんだ」


「なるほど……なんとなく分かります。私も、お風呂に入ったり寝る前にボーっとしていると、そういうのあります」

「でしょ? ……まぁ、こんな単純作業より、氷彗みたいな包丁さばきや、火加減の調整ができるようになりたいんだけどね」


「そんな、私なんて全然」

「いやいや、私から見たら神業だよ。私なんて包丁握れば指切るし、コンロ付ければアパートの天井焦がすし、分量ミスして味付け滅茶苦茶になるし……凪とルームシェアしていた時は、もう台所に近付くな! って釘を刺されたよ」

「それはその……ご愁傷様です」


 まさかそこまで料理音痴とは思っていなかったのだろう。氷彗は驚いたように目を丸くしていた。


「ねぇ、氷彗。私にも作れそうなものってあるかな? できれば、包丁も火も使わないで、単純作業メインのものがいいんだけど……」


 淡い希望を抱いて質問してみる。

 しかし、かなりの難問らしく料理マニアの氷彗でも「えぇっと」と頭を悩ませていた。


「やっぱり、そうそうないかぁ。そんな都合のいい料理」

「……いえ! あります。今日のエビ団子と同じ台湾料理で、作るのは地道で大変ですけれど、完成すればお洒落で今大人気のスイーツが!」

「え? 何々?」


 興味を掻き立てられ、うららはぐいぐいと距離を詰める。

 近付くほどに氷彗は頬を赤く染め、口をパクパクさせていたが、ぴったりと肩が触れると風船が弾けるように発した。


「タピオカ、です!」


(後編に続く)

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