第19話 学振・合格・焼肉 P. A. R. T. Y.(前編)

こちらのお話は、


・二人がご飯を作って食べるだけのお話です。

・ファンタジー要素はありません。

・幽霊、あやかし要素はありません。

・ミステリー要素はありません。


また、科学的説明はあくまでスパイスです。

つまらなかったり、面倒くさければ、読み飛ばしてもらっても全然大丈夫です。

以上の点にご注意の上、お腹を空かせてお読みください。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ☀☀☀


 秋である。

 長い長い夏休みも終わり、大学ではようやく後期が始まった。

 学生たちの中には気だるげに講義へ向かう者もいれば、大学祭準備に精を出している者もいる。

 体育系文化科系問わず、サークル活動も活発になる時期だ。


 大学のメインストリートは銀杏によって色付き、アスファルトに落ちた葉が黄色の絨毯となって敷き詰められていた。


 そんな中、彼女たちのいる研究棟で行われていることは——

 相も変わらず、研究、研究、研究であった。


「だめだ~。全然分かんない」


 今日も今日とて塔山うららは頭を抱え、唸り声をあげていた。

 お手上げと言わんばかりに仰け反ると、背もたれがぎぃっと苦しそうな音を上げる。

 モニタに映し出されたされたエラー表示と格闘して、はや二時間が経っていた。


 シミュレーションの解析に複雑なプログラムが必要だったので、うららは別の研究室から提供されているソフトを利用しようとしたのだが、それがバグだらけの欠陥品だったのである。

 おかげでビルドすらまともにできず、現在進行形でエラーの壁にぶつかっていた。


「いや、ダメでしょ。身内向けのソフトでもこれはダメでしょ」


 ぶつぶつと一人で文句を垂れながら、うららはソフトのバグを取り除いていく。

 前期も指導という名目で後輩の書いたプログラムのバグを修正していたが、他人の書いたソースコードを読むというのはどうにも苦手な作業だった。


 季節は廻り、日が落ちるのもだんだん早くなっている。

 今日も研究室いるのは、いつの間にかうららだけになっていた。


 こういう時は憂鬱な気分になりがちだ。

 だが、今のうららにはそれを吹き飛ばしてくれる心強い存在がいた。


氷彗 【今日の夜食、何かリクエストありますか?】


 スマホの通知を覗くと、氷彗からのメッセージだった。

 液晶に親指を滑らせ、これまでのやり取りをさかのぼっていくと、料理のリストがずらり並んでいる。

 それらを味わった記憶が脳と舌で蘇ると、自然と頬が緩んでしまった。


「う~ん。迷うなぁ」


 顎に手を添えて、うららは難問に頭を悩ませる。

 もう目の前のエラー表示など、完全に忘却の彼方だった。


 秋である。

 食欲の秋である。

 海の幸、山の幸。あらゆる食材をおいしくいただくことができる恵みの季節である。

 だというのに、夜食は一つしか選べない。

 これを難問と言わずして何と言うのだ。


 考えをまとめようとしていたら、またスマホが震えた。

 メッセンジャーアプリではない、研究室メールの受信通知だ。

 その件名を見て、うららの眉が大きく開いた。


【DC審査結果公開のお知らせ】


 その文面にゴクリと固唾を飲み込む。

 背筋に期待と不安が同時に走った。


 DCとは日本学術振興会特別研究員の一種だ。

 研究計画などを記した申請書によって審査され、採用されると毎月20万円の給料と最大年間研究費150万円が支給される。

 大学院生にとっては生活基盤が手に入るため、誰もが挑戦する制度である。


 秋に結果発表だということは知っていたが、今年は例年より早い。

 心の準備が出来ていなかったうららの心臓は、不意打ちを食らってドクンと跳ねた。


 恐る恐るメールに添付されたリンクをたどって電子申請のマイページに進む。

 当然であるが、「審査結果の確認」ボタンが有効になっていた。


 ぎゅっと目蓋を閉じ、震える指でタップする。

 表示された画面を薄目でちらりと確認したうららは——


「……ぃやぁったぁぁぁ————————————!!」


 歓喜のあまり叫び声を上げた。


 ❄❄❄


うらら【今ちょっと会える?】


 どうしたのだろう。

 今日の夜食のメニューについての相談だろうか。

 返ってきたメッセージの意図が分からず、鳥見川氷彗(とみかわ ひすい)は小首をかしげた。


 特に手が離せない作業をしているわけでもなかったので、席を立って廊下に出る。

 窓には楓の葉っぱのような秋の夕暮れが映っていた。茜と紫が織り交ざった空を鱗雲が泳いでいる。


 のどかだな。

 そう思った矢先——


「氷彗——————————————————っ!!」


 うららがこちらに飛び込んできて、思いっきり抱きつかれた。

 大きな身長とはきはきした声で、視覚も聴覚も瞬く間に支配される。


「う、うららさん!?」


 ぎゅっと密着した服越しに、彼女の体温が伝わってくる。

 うららの顔は息がかかるほどの位置にまで迫っていた。

 その長い睫毛と張りのある唇に、思わず目が吸い寄せられる。

 あわあわと氷彗は口を歪ませ、目を白黒させた。


「えと、あの……ダ、ダメです、こんな所で」

「やったよ! 氷彗! 学振、通ってた!!」

「…………え?」


 突然のことで混乱していた頭が、徐々に冷静さを取り戻していく。

 これまでになく嬉しそうなうららの様子を見て、氷彗はようやく状況を理解した。


「本当ですか!?」

「うんうん! 面接なしの一発合格!」

「す、凄いです! おめでとうございます!」


 DCの採択率は全体の応募者に対し、せいぜい20パーセントだ。

 それに選ばれることがいかに狭き門であるかは、氷彗も十分理解できた。


「えへへ、ありがとう! これで少しは余裕のある研究生活を送れそうだよ」

「良かったですね。そうだ、今日はお祝いしないと! リクエスト言ってください。私、どんなものでも作りますから!」

「ふっふっふ……氷彗、それには及ばないよ」


 胸の前で両手のこぶしを握り、氷彗はやる気満々だ。

 そんな彼女をなだめるように、うららは手を振った。


「この研究界隈にはね、学振に受かったら【あるもの】を奢るっていう伝統があるの」

「あるもの、ですか?」

「それは………………焼肉だぁっ!」


 うららはスマホを取り出すと、地図アプリを開いてこちらに見せた。


「大学近くにある焼肉屋さん! 今日はここで氷彗に焼肉ごちそうするね!」

「そ、そんな悪いです。それに、学振の合格祝いでしたら研究室の方に」

「いいのいいの。今日はもう皆、帰っちゃったし。それに、私が氷彗と一緒に食べたいの」


 くすぐるような声色で、うららはこちらを覗き込んでくる。

 その仕草は反則だ。


「まぁ、ここは先輩のカッコつけに付き合うと思ってよ」

「では、お言葉に甘えて……ご相伴にあずかります」


 観念したこちらの様子を見て、うららは満足げに頷いた。


「よし! そうと決まれば善は急げだ!」


 言うが早いか、うららは早速焼肉屋へと電話をかける。


「もしもし、今日の夜から予約を入れたいんですけど…………えっ、満席!? ついさっきですか!?」


 今までルンルンとしてたうららの言葉に焦りが浮かんだ。

 これは、何か嫌な予感がする。


「じゃあ、別の店のネット予約は……ここも満席っ!? 何で!?」


 混乱したように、うららはぐるぐると瞳を回した。

 探せども探せども、うららの見つけた焼肉屋はなぜか満席だった。


 そんな状況を氷彗が疑問に思っていると、視界の端に隣の研究室の一行を捉える。教員と学生が入り混じったグループで、和気あいあいとした雰囲気だ。

 会話の内容は分からないが、所々で「焼肉」といったワードが飛び出していることに氷彗は気付いた。


 氷彗はくいくいと、うららの裾を引いた。


「うららさん、あれを見てください」

「ん? あそこって、確か有機系で大所帯の研究室だよね? いまからどこか食べに行くのかな……って! そっか!」


 うららは何かを察したように鋭く息を吸った。

 空をつかんだ手がわなわなと震えている。


「学振の発表日はどこも同じだから。採用者が出た研究室は、今日こぞって焼肉食べに行くんだ……」


 先程うららの語った学振焼肉の伝統は、どうやら本当らしい。

 この付近一帯の焼肉屋が満席になるということは、他の研究室も分野を問わず今日お祝いをするのだろう。


「べ、別に今日じゃなくても大丈夫ですよ! 明日でも明後日でも……」

「う~ん、それはそうなんだけど。でも、やっぱり今の勢いじゃないと。明日になったら節制癖を思い出して、絶対財布の紐が固くなっちゃうからさ」

「そこは冷静ですね」


 学振に採用されたとしても、やはり民間就職と比べれば収入は低い方だ。

 あまり調子に乗って散財するわけにもいかないのだろう。


 意気消沈しているうららを助けようと、氷彗は考えを巡らせる。

 最初に頭に浮かんだ場所は、もちろん研究棟二階にある休憩室の光景だった。


「……いい考えがあります!」

「え? 何々?」

「この前、夏祭りの時に使ったホットプレートがありましたよね?」

「あぁ、氷彗が射的で取ったやつ?」

「はい。あれ、確かタコ焼き以外にグリルのプレートにも付け替えられたはずです」

「本当!?」


 ぱあっとうららの表情に輝きが戻っていく。


「そっか……お店がダメなら、ここで肉を焼けばいいんだね!」

「そうです。この時間ならまだ精肉店も開いてますし、部位も一通り揃えられるはずです!」

「なるほど。たこ焼きパーティーならぬ焼肉パーティだ! よぉし……そうと決まれば今度こそ、善は急げ!」


 うららは氷彗と肩を組むと、右腕を突き上げた。


「夜は—————っ! 焼肉っしょ————————————!」


(後編へ続く)

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