EX−l-1l おでん・失恋・昔話(後編)
***
それから二十数年の間に、様々なことがあった。
桜は博士課程へと進み、その後はポスドクとしてイギリスの大学で研究することになった。
そして、そのタイミングで秘書の任期が切れるのどかは――
桜に付いて行く決心をした。
だが、それはまた別の話。
***
2019年9月――
「ただいま、のどか」
「桜、おかえり。今日の夕食はおでんだよ」
「ありがとう。最近、冷えてきたからちょうど食べたかったんだ」
のどかの待つアパートに帰ると、飯塚准教授は大学で被っていた仮面を外して、飯塚桜になった。アカデミックでは舐められないように口調を固めに変えたが、のどかには本性を隠せない。
食卓で向かい合うのどかは、皺が増え、白髪も目立つようになった。しかし、それは自分も同じなのだろう。
「嬉しそうだけど? いいデータでも取れた?」
「ん? いや、そういうわけじゃないが……うらら君が希望していた海外留学をようやく通すことができてね」
自分の姪の名前を聞くと、のどかは感慨深そうに息を吐いた。
「へぇ、あの子も頑張ってるんだ……って、もしかして桜の職権乱用したんじゃないでしょうね」
「ち、違う! ちゃんと会議の審査でパスしたんだ!」
「ふふふ、冗談。桜は真面目だもんね」
ホッとして、桜はダシの浸みた大根に手をつける。味は変わらずコンソメだ。
二十数年先も、こうしてのどかとおでんをつついていると言ったら、あの時の自分は信じるだろうか。
「それにしても桜、私の姉さんの娘に気をかけすぎじゃない?」
「う……」
改めて指摘されると、言い返せずに言葉に詰まった。
分かってはいる。いかなる学生に対しても公平公正な態度で接しなければならないと。
だが、やはり……
「それは、やっぱりそうなるだろう。のどかの姪なんだから……私の姪でも、あるんだし」
言ってしまって顔が熱い。茹ったみたいだ。
のどかは満足げに吊り上げた口元に、左指を添えた。その薬指には、銀色の指輪が輝いている。
「そうだったね。だったらいい加減、その可愛い姪に私の伴侶を紹介したんだけど……」
「そ、それはダメだ! 彼女が卒業するまでは!」
まったく、奇妙な巡り合わせである。
やっとの思いで就いた名知大学のポストには、すっかり老けた初恋の相手がいて、さらにその研究室にはパートナーの姪が所属しているなんて。
「やれやれ。これじゃカミングアウトする頃には、私も桜もおばあちゃんだね」
嫌味っぽい素振りを見せたが、のどかはどこかまんざらでもない様子だった。
「そうだな」
桜は、窓から夜空を見上げた。
満点の星空には、あの時と変わらずオリオンが輝いていた。
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