第14話 お盆・ふるさと・夏カレー(後編)

 ☀☀☀


「お~! 並べてみるとカラフルだね。パレットみたい」


 真夜中の研究棟の休憩室。

 キッチンの作業台は、トマトの赤とピーマンの緑、ナスの紫で色鮮やかに輝いていた。


「夏野菜って、他の季節の野菜と比べて色味が強いイメージがあるんだけど、あれってどうしてなの?」


 ふとした疑問を口に出す。

 すると、氷彗の目の色が変わった。どうやら早速、スイッチを入れてしまったみたいだ。


「そこ、気になりますか!」

「うん!」

「夏野菜の色はずばり、紫外線対策なんです!」

「え? そうなの?」


「はい。夏場、紫外線に晒されるのは人も野菜も同じです。紫外線に当たりすぎると、体内で活性酸素が増えてしまいます。これは細胞を酸化させて病気の原因になってしまうので、私たちは日傘をさしたり、日焼け止めクリームを塗ったりして対策しています。それに対して夏野菜は、活性酸素を抑制する色素を持っているんです。トマトはリコピン、ナスはアントシアニン、ピーマンはカプサンチン……といった具合に」


「なるほど……炎天下の中、野菜も苦労してるんだ」


 猛暑の生存戦略にうららが感心していると、夏野菜たちはまな板の上で一口大にカットされた。


「フライパンに油を敷いて、鶏肉に火を通したら、ナスとピーマンを入れて炒めます。全体に油がなじんできたら、水とコンソメを入れて一煮立ちです」


 水の張ったフライパンで、肉と野菜がゆらゆらと漂っている。

 コンソメの香りも相まって、ポトフに見えないこともない。


「では、こちらを煮ている間に、カレーのルーを作っていきましょう!」


 ルーを、作る?

 てっきり市販のルーを投入すると思っていたうららは、氷彗の取り出したビンに目を丸くした。


「氷彗……もしかしてそれって?」

「はい! オリジナルのカレー粉です!」

「オリジナル!? 氷彗が作ったの!?」


 以前、自家製の味噌を振る舞ってくれたこともあったが、まさかカレー粉まで作っているとは。


「カレー粉は言ってしまえば香辛料のブレンドですから、手前味噌より作るのは簡単です。でも、ブレンドさせる香辛料の種類は何十とあるので、とっても奥深くて面白いんですよ!」


 キラキラと氷彗の双眸が黒曜石のように輝いた。


「何十……って、すごいね。まさか、全部辛いの?」

「唐辛子やブラックペッパーは辛味を引き出すために使われますけど、全部がそうというわけではありません。カレー粉に使われている香辛料は辛味、香り、色味……三つの役割に大別できます。香りにはナツメグの他に、シナモンやローズマリーなんかもブレンドしています」


「か、かわいい? 女子会のティータイムで聞くようなラインナップだね。すごく意外……じゃあ、色味の方は?」

「カレー独特の黄色は主にターメリック、つまりウコンによるものです」

「ウコン? 薬局とかにある生薬の? ……こんな身近で食べてたんだ」


 知れば知るほど奥深い。

 なるほど、自分で作ってみたくなる気持ちが少しわかった。


「別のフライパンでサラダ油と薄力粉を絡め、とろみが出てきたら、カレー粉を加えて混ぜ合わせていきます」


 ビンから振りかけられた茶色い粉は、熱されるとカレー独特の香りを解き放った。嗅覚が存分に刺激され、思わず涎がこぼれそうになる。


「ルーが出来たら、トマトと一緒に煮込んでいたフライパンに入れて、弱火でもう少しだけ煮ます」


 煮汁にルーが加わり、フライパンの内側がカレー色に染まっていく。全体にとろみも生まれ、完成まであとわずかだ。


 心躍らせていると、いいタイミングで炊飯器が鳴った。

 うららは、皿の上に島を作るみたいに炊き立てのライスを盛り付ける。


「ご飯の上にたっぷりとカレーをかけて……出来上がりです!」


 色とりどりの夏野菜が浮かぶカレーの海と、白いライスの島。

 それらが美しいコントラスト演出し、見るからにおいしそうだ。


 スプーンを用意してちゃぶ台に移ると、二人は手を合わせた。


「それでは前期の〆料理、夏カレー……いただきます!」


 皿の光景を縮小コピーしたように、銀色のスプーンにカレーとライスを半々ですくう。パクリと食べると、口の中でライスがほどけカレーとともに広がっていった。


 ピリリとした辛さや、ジンジンと尾を引く辛さ、鼻に抜けていく辛さなど。多種多様なスパイスが絡み合って感覚を刺激し、体中がポカポカしてくる。

 

 うだるような暑さで落ち気味だった食欲が、嘘みたいによみがえった。


「おいしい! これ、初めて食べるカレーだよ! レストランや市販のルーとは全然違う……こんなにオリジナリティが出るんだね。トマトの酸味やピーマンの苦味がよく合うよ!」

「よかったです。気に入ってもらえて」


 食べ進めて辛さに慣れてくると、香りにも意識を向ける余裕が出てきた。何層にも重なる、複雑な香りだ。

 刺激的なものが支配する中で、一瞬ホッと胸が温かくなるような匂いが鼻腔をくすぐっていった。これはシナモンだろうか。


 そんなことを考えながら飲み込むと、上品で華々しい香りが喉を通り抜けていった。これは、ローズマリーに違いない。


 食べ進めるたびに新発見と出会う。それを楽しんでいる間に、気付けば銀色のスプーンは最後の一口をすくっていた。


「ごちそうさまでした!」


 二人は揃って手を合わせると、そのまま同時にグラスの水を飲み干した。


 ☀☀☀


 食後、前期の〆ということで、今回の片づけは入念に行った。

 スポンジ片手にシンクに残った汚れと格闘していると、まるで年末の大掃除でもしているような感覚だ。


「しばらく、こことはおさらばかぁ……」

「うららさんは、お盆休みどうするんですか?」


「地元の滋賀で高校の友達と遊ぶんだ。凪も一緒だよ」

「そう……ですか」


 一瞬、どんよりとした空気が氷彗を纏ったが、すぐに彼女はぶんぶんと首を振った。


「それより、うららさん滋賀県出身だったんですね。実家は琵琶湖に近いんですか?」

「あ~、そうだけど……多分、実家には戻らないかな」

「え? どうしてですか?」


 「おや?」と、うららは眉を持ち上げた。

 ここで疑問に思うということは、氷彗の家族は院生に対して理解があるようだ。


「博士やってるとね、集まった親戚一同から、まだ学生やってるのとか、早く就職しろとか、結婚しろとかボコボコにされるんだよ……それに」


 刹那、母親の背中が脳裏をよぎった。

 もう、五年以上まともに話していないだろうか。


「親には、どうせいつでも会えるんだし。わざわざ、会いにいくものでもないかなって」

「その考えはダメです!」


 言い終わらないうちに、叫ぶような声が休憩室に響いた。

 驚いて隣を見ると、氷彗自身も自分の言葉に驚いているらしく、口を手でふさいでいた。


「す、すみません……ずけずけと」

「いや……気にしてないよ。ちょっと、びっくりしただけ」


 変な空気を入れ替えるために、話題をとっさに返る。


「氷彗は? お盆、どうするの?」

「今年は……お母さんの親元に行きます。富山です」

「へぇ、富山かぁ。金沢には学会で行ったことあるけど、富山はないな。どんなとこ?」


 氷彗は視線を少しだけ持ち上げた。

 その瞳は、まるで幼少の記憶を覗いているみたいだった。


「雨晴、という場所です。静かで海が近くて、湾から見える景色が綺麗…………お母さんの旧姓も、ちょうどその地名で」


 そこで、氷彗は口をつぐんだ。

 瞬間、うららは嫌な予感を察し、無理矢理声を張り上げた。


「そうだ! 氷彗、今度ここで料理するときは、地元の食材をお互い持ち寄ろうよ! 私は滋賀、氷彗は富山で」


 何の脈絡もない提案に氷彗はきょとんとしたが、やがて静かに微笑んでくれた。


「……いいですね。是非、やりましょう」


 その表情を見て、「よかった」とうららは胸の中で安心した。


 安心した理由は、簡単だった。

 母親の話をしている時、氷彗は今にも泣きだしそうだったから。


「お土産、何がいい? 滋賀はね、バームクーヘンや糸切り餅が有名だよ。あ! あとサラダパンとか!」

「……サラダパン?」


「コッペパンに沢庵とマヨネーズが挟んであるの」

「全然サラダじゃないと思うんですけど……おいしいんでしょうか?」

「おいしいんだよ、これが!」


 漂いかけた暗い空気が、たわいのない話題で薄らいでいく。

 しかし、うららは先ほど見せた氷彗の表情を忘れられなかった。


(今回は、おまけ編に続きます。)

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