第18話 見送り・うるうる・カップ麺(後編)

 ❄❄❄


「おーい、氷彗。こっちこっち!」


 終点である中部国際空港駅に着いて改札を抜けると、うららがこちらに手を挙げているのが見えた。手にはスマホが握られている。そこに開かれたSNSアプリには今朝、何の考えもなく勢いで送信した【見送りに行きます】というメッセージが映っていた。


「そんなわざわざよかったのに。遠かったでしょ?」

「す、すみません……いきなり」


 我ながら、今回は軽率すぎたと反省している。

 たった数日の学会に見送りをするなんて、重いと思われないだろうか。 


「いや、謝ることないって。むしろ嬉しい! 便は夕方だし、まだ時間あるからウィンドウショッピングでもしよっ!」


 うららは氷彗の手を掴むと、そのまま連絡通路を抜けて空港内のショッピングモールへと足を運んだ。


 飛行機の乗り継ぎや台風で足止めを食らった時に時間を潰せるよう、ここには数多くの店が軒を連ねている。お土産屋やレストランはもちろんのこと、温泉や書店、ゲームセンターなど種種雑多だ。


 氷彗とうららはスイーツ店でソフトクリームを食べた後、雑貨店やアパレルショップを見て回った。


「あ、これ可愛い!」


 そう言ってうららが駆け寄った先には、アクセサリーショップのショウウィンドウがあった。シックな雰囲気のお店だが、それゆえに掲げられた「免税店」の表示がミスマッチに感じる。


 店内には落ち着いた色合いのイヤリングやチョーカー、ブレスレッドなどが並んでいた。壁や床は木目調で、ここが空港であることを忘れてしまいそうな雰囲気だ。


「こういうの、普段から付けたいんだけど……どれも研究室には不向きなんだよね」

「そうですね……あ、でもヘアアクセサリーはいいんじゃないでしょうか? 私の研究室でも、髪を纏めるためって名目で許可されていますし」

「確かに! じゃあ、ちょっと選んでみようかな~」


 そう言って、うららは店の奥に入っていく。その後を氷彗もついていった。


 花の蕾が添えられたヘアピンや、貝の装飾が施されたヘアゴムが可愛いなと思っていると、ふと一つの商品に目が留まった。


 紺と白の二色で交互に編まれ、縁にレースカットの入ったシュシュだ。

 高くもなければ珍しくもない、初めて見る平凡な物なのに、どこか懐かしさを覚える。


 それを見た氷彗は、無意識に、思ったことをそのまま言葉にしてしまった。


「これ……お母さんに似合いそう」


 のどで震えた声が鼓膜を震わせ、そして脳を震わせる。

 思わず、はっと目蓋が大きく開かれた。


 こぼれた言葉は、たったそれだけの他愛もないものだった。

 それなのに、胸の中は栓を抜いたみたいに、いろんなものが溢れだしてきた。


 何が起きたのか、自分でも分からない。

 ともかく、瞬く間に視界は涙で溺れていった。


「っ!? 氷彗!?」


 うららの驚いた声が聞こえる。

 いけない。

 もうすぐ出発なのに、余計な心配をさせてしまう。


 そう思った氷彗は翻って店外へ駆け出した。


「待って!」


 しかし、あっけなくすぐ外の通路で手を掴まれてしまった。


「ごめんなさい、ごめんなさい……本当に、何でもないですから。勝手に付いてきたのに、こんな、迷惑をかけてしまって、私」


 うららの方を見ることすらできず、氷彗は謝り続けた。

 嗚咽が混じって、上手く言葉を紡げない。

 拭っても拭っても、ぽろぽろと涙は止まらない。


 母の死に目をそらし続けて流さなかった、三年分の涙。

 それがさっきの言葉を引き金にして、一気に押し寄せてきたみたいだった。


「ねぇ……氷彗。氷彗が私のこと気遣ってくれるのは、とっても嬉しい。でも、私だって氷彗のこと大切に思ってるから」


 うららはそう言うと、周囲を気にすることなく、ぎゅっと氷彗を抱きしめた。


「だから、我慢しないでいいよ」


 背中を優しくなでられると、それだけでつっかえていた何かが取れてしまった。

 ずっと抑圧していた言葉が、想いが、次から次へと溢れだした。


「お母さん……お母さん、お母さんっ!」


 本当は、もっと早くにこの涙を流すべきだった。

 母に、ちゃんとお別れをするべきだった。


 でも、出来なかった。怖かったから。

 悲しみも痛みも、受け止めきれないと思ったから。


 だから、目をそらし続けたのだ。


 でも、今は隣で支えてくれる人がいる。

 そのおかげで、やっと氷彗は向き合うことが出来た。


「氷彗、大丈夫?」

「……はい。ありがとうございます。もう、平気です」


 ようやく落ち着いて涙が収まる頃には、夕焼け空が広がっていた。

 そろそろ、お別れの時間だ。


「安心してよ。私はちゃんと、あの真夜中の研究棟に帰ってくるから。だから、氷彗……行ってきます」


 離れていくうららを、氷彗はまっすぐに見据えた。

 目元に残った涙は、まだ乾きそうにない。


 でも……いや、だからこそ、氷彗は満面の笑みを湛えた。


 昨日、言えなかった分を、ここでちゃんと伝えよう。

 目を逸らさず、ちゃんと正面を向いて。


「行ってらっしゃい、うららさん」


(夏編、おしまい。)

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