第12話 うどん・ネバネバ・験担ぎ(後編)
❄❄❄
休憩室に移動すると、うららは新品の真っ白いエプロンを身に着けた。もうそれだけでやる気が伝わってくる。
それでも、氷彗は少しだけ心配だった。
指を切ったり、天井を焼いたりと、以前うららから聞いた料理のエピソードが強烈だったからだ。
「何か、手伝うことはありませんか?」
「へーきへーき! このネバネバうどんのレシピは、コンロも包丁も一切使わないから!」
得意げにうららは言うと、スマホを取り出して作業台に乗せた。その画面には、某レシピ投稿サイトのページが映っている。
「あ、でも隣にはいて欲しいな」
「え!?」
「いつもみたいに、料理のこと聞きたいし」
「は、はい」
びっくりした。
急に、隣にいて欲しいなんて言われるから。
そんな深い意味がないことは、重々承知しているのだけれど。
「よぉし! それじゃあ、始めていくよ」
食材と調理器具を作業台に並べると、うららは腕まくりをした。
「まずはネバネバ要員その一、オクラ! 塩を振ってから、まな板にこすりつけるようにして転がし、表面の毛を取り除く……と。そしたら、ボウルに入れてラップして、一分電子レンジにかけるよ。これは、熱湯で茹でる代わりね」
加熱が終わると、うららは「あちち」と我慢しながら、ボウルを取り出した。
「水で洗ったら、キッチンバサミで細かくオクラを切っていって……おぉ、ネバネバだ」
小口切りにすると、特徴的な五角の切り口が現れ、線を引いて落ちていく。
まるで緑色の彗星だ。
「オクラのネバネバってさ、いったい何なの?」
「炭水化物とタンパク質が、混じり合ったものです。オクラの場合、種の周りに水分が保たれるようにネバネバを持っていると言われています」
「へぇ~、やっぱりちゃんと理由があるんだ」
感心しつつ、うららはオクラを全て切り終えた。
「よし。オクラが出来たら、ネバネバ要員その二! メカブ! これはどうしても熱湯が必要だから、オクラみたいに電子レンジでごまかせないので……電気ケトルでごまかす!」
「ごまかすんですね」
電気ケトルで沸かしたお湯をボウルに注ぎ、そこへザルに入れたメカブを浸す。すると、たちまちメカブの色が変わっていき、周りがトロッとした膜に覆われた。
自分で引き起こした現象だというのに、うららはびっくりして目を丸くした。
「うぉ! あっという間に色が変わってネバネバになった!? これはどうして?」
「色が変わったのは、色素の一部がなくなったからです。最初のメカブは茶色でしたが、これは二種類の色素……クロロフィルαの緑色とフコキサンチンの赤色が、合わさった色なんです。しかし、熱でフコキサンチンは崩れてしまうので、クロロフィルαだけが残ります。だから、湯がくとメカブは緑になるんです!」
「じゃあ、ネバネバの理由は?」
「アルギン酸という多糖類です。通常はメカブの内にあるんですけど、熱すると外に出てくるので、こうしてネバネバになります」
うららは、トロリとしたメカブをまとめてタッパーに入れた。
残る食材は、あと一つだ。
「よし、それでは最後のネバネバ要員! 山芋! ピーラーで皮をむいたら、すりおろしていくよ」
墨をするように、ズリズリと山芋をおろしていく。削られた山芋は、ゆっくりじっくりと広がっていった。
「山芋をすりおろしたらこうなるのは、メカブみたいにネバネバの成分が外に出るからだよね?」
「その通りです。でも山芋のネバネバは、オクラやメカブのような野菜や海藻と違って、とても珍しいんです」
「そうなの?」
「はい。山芋のネバネバはシアル酸含有糖タンパクというんですが、これを持つ植物は今のところ、山芋だけなんです!」
「え!? そんなすごいものなの!? ……って、あれ? 植物は、ってことは」
「鋭いです。そう、このシアル酸含有糖タンパクは、主にウナギなどの動物が持っているんです!」
「ウナギ!? このネバネバ、ウナギだったの!?」
うららはしげしげと握っている山芋を見つめた。
「なんか……山芋が高級そうに見えてきた」
目の色が変わり、もったいなさそうに最後の一かけらまで、山芋をすりおろす。
具材の準備が整うと、うららは涼しげなガラスの深皿を用意した。
「うどんは冷水で洗うだけのタイプで、めんつゆ付きだったから。あとは、これにネバネバ要員を盛り付けて、最後にワサビを少々を添えれば……完成っ!!」
出来上がったのは、緑と白のコントラストが美しい、清涼感いっぱいのうどんだった。
これをうららが自分のために作ってくれたのかと思うと、なんだか胸がざわついた。
「見た目はそんなに悪くないよね?」
「いえ……その、とってもきれいだと思います」
二人はちゃぶ台で向かい合い、手を合わせた。
「いただきます」
優しく箸で全体を絡めてから、うどんをすする。
山芋で全体をコーティングされた麺が、ちゅるんと滑り、一気に上ってきた。
モチモチの麺とコリコリのメカブ、そしてプチプチとしたオクラの種が、口の中でハーモニーを奏でる。それらを、カツオの効いためんつゆが包み込み、仲良く喉を通り抜けていった。
「ん~! ふわふわでとろとろ! ネバネバの理由は水分を保つためって、氷彗が言っていたけれど、その通りだね。めんつゆの味が良く分かるよ! 我ながら、これはよくできたかな。やっぱり練習って重要だね」
「練習……したんですか?」
「そりゃ、何年も料理していないし。せっかく食べてもらうなら、やっぱりおいしいものにしたいじゃん。だから、ちょっとね」
そのちょっとは、氷彗にとってとても大きかった。
改めて、この料理に込められたうららの想いに触れると、胸がはち切れそうになって、目尻に温かい何かが浮かんだ。
「え!? ちょっと氷彗! どうしたの、大丈夫? ワサビ入れすぎた!?」
うららが慌ててハンカチを渡してくる。
頬に線が走る感覚で、氷彗はようやく自分が泣いているのだと分かった。
「はい……ちょっとだけ、ツンときました」
何とかごまかして、残りのうどんに手をつける。
もっと味わっていたかったが、麺も具材もどんどんなくなっていった。
名残惜しくて、氷彗はとうとう、つゆまで全部飲み干した。
「ごちそうさまでした」
間違いなく、この数年で一番おいしい料理だった。
☀☀☀
食後の片付けをする頃には、ナイーブだった氷彗はすっかり元気になっていた。
「氷彗の学会、鹿児島だっけ?」
「はい、明日の昼から新幹線で向かいます」
「え? 飛行機じゃないの? 新幹線でここからだと、かなり時間かからない?」
「私……飛行機は苦手なので」
「ふぅん」
ということは、明日からまたしばらく、夜食会はおあずけだ。
残念ではあるが、我慢すればその分、喜びは増すだろう。
「あの、うららさん、ありがとうございます。私、頑張れそうです」
「そう? よかった~。じゃあ氷彗、頑張ったらパーっと遊ばない?」
きょとんとする氷彗に、うららは一枚のチラシを開いて見せた。
もう一つのサプライズである。
「花火、大会?」
「うん! 氷彗の学会の翌日。凪も誘ってるんだ。一緒にどう?」
「い、いいんですか!?」
花が咲いたみたいに、氷彗の顔が明るくなった。
「いいもなにも、私が氷彗と一緒に行きたいの。もしかして、予定あった?」
「いいえ! 行きます! ぜひ!」
目の前にニンジンをぶら下げられた馬のように、やる気に満ち溢れた声だった。
これならもう心配ないだろう。
「じゃあ、決まりだ!」
今年の夏は楽しくなりそうだった。
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