第11話 夏バテ・夏風邪・ぶり大根(前編)

こちらのお話は、


・二人がご飯を作って食べるだけのお話です。

・ファンタジー要素はありません。

・幽霊、あやかし要素はありません。

・ミステリー要素はありません。


また、科学的説明はあくまでスパイスです。

つまらなかったり、面倒くさければ、読み飛ばしてもらっても全然大丈夫です。

以上の点にご注意の上、お腹を空かせてお読みください。

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 梅雨も明け、期末試験も過ぎ去り、大学は長い長い夏休みに入っていた。


 二ヶ月という有り余る時間。海水浴やバーベキュー、肝試しに旅行、花火、夏祭りなどのイベントで盛り上がるもよし、アルバイトやインターンシップ、海外留学などの自己投資に使うもよし。試験週間の緊張がほぐれたキャンパス内は、自由で開放的な空気に満ち溢れていた。


 しかし、ふと疑問に思うことはなかっただろうか。

 こんなにも長い休暇の間、教員や研究室は何をしているのだろう、と。


 答えは至極単純である。

 すなわち、発表、発表、そして発表である。


 ☀☀☀


〈名知大学、名知大学です。こちらは終電になります。お忘れ物のございませんよう、お気を付けください〉


 丁寧なアナウンスと同時に、プシュッと電車の扉が開いた。うららは自分のものとは思えないほどに重く感じる体を起こし、ホームへと降りた。


 広島、熊本、北海道と立て続けに行われた三つの学会全てに参加したうららは、息つく間もなく移動と発表準備に追われ、一週間も自宅に帰れないでいた。


 最後の学会を終え、飛行機と電車を乗り継ぎ、ようやく大学に戻ってきた頃には、すっかり深夜になっていた。


うらら【今、大学着いたよ!】


 ラインで氷彗にそう伝え、うららはコロコロとキャリーケースを引き、研究棟に入っていった。


 エレベーターを使おうとボタンを押す。しかし、反応が無い。


 違和感を覚えると、扉の前に「夏季節電のお知らせ」という張り紙があった。


「あちゃ~、深夜はエレベーター止まるのか」


 仕方ない。二階だし、階段を使おう。


 キャリーケースを抱えて上りだしたうららは、そこでまた違和感を覚えた。


「こんなにここの階段……きつかったっけ?」


 一歩一歩、踏み出す足が、とてつもなく重く感じた。不快に流れる大量の汗が、うららの首筋を舐めとっていく。

 いくら荷物を持っているとはいえ、これはおかしい。まるで登山でもしているみたいだ。


 ようやく休憩室にたどり着き、その場に座りこむと、今度は全身に寒気を感じた。誰かがクーラーをつけっぱなしにしていったのだろうか。


 たまらず、うららは空調の操作パネルを探した。だが、見つかった操作パネルには設定温度も風速も表示されていない。というより、そもそもエアコン自体が稼働していなかった。


「あれ? クーラー、これでついてないの?」


 違和感が徐々に形を変えていく。

 そこでうららはようやく、自分の体の異変に気が付いた。

 こめかみは燃えるように熱く、そのくせ指先は小刻みに震えている。


 あ……これ、まずいかも……


 ぐわんと世界が踊りだし、うららはその場にうずくまった。


 ❄❄❄


 休憩室に着くなり、氷彗は血相を変えてうららに駆け寄った。


「う、うららさん!?」


 壁際にうずくまっているうららは、苦しそうに荒い呼吸を繰り返していた。


「あぁ……氷彗。一週間ぶり。元気だった? あ、そうそう北海道のお土産あるよ」


 うららは抱えていた紙袋から、お菓子の箱を取り出した。しかし、手はプルプルと震えていて、すぐぽとりと落としてしまった。

 物を掴む体力も残っていないのだろうか。


 元気かどうか尋ねる相手が完全に逆である。


「大丈夫ですか? すごく顔色、悪いです」

「やっぱり、そうかな?」


 うららの額に手を当てると、熱湯を思わせる体温が伝わってきた。体温計で測るまでもない。


「これは……絶対、熱があります」

「氷彗の手、ひんやり冷たくて気持ちいい」


 うららは甘える猫みたいに、額を氷彗の手にすり寄せてくる。

 氷彗は変な声が出そうになるのを必死で抑えた。


「あ、ありがとうございます。ところで、動けそうですか?」

「う~ん、ちょっときついかも」


 そこで氷彗は、うららの近くに置いてあったキャリーケースに目が行った。


「もしかして、うららさん。その状態で今まで移動してきたんですか?」

「っぽいね。自分でもびっくりだよ。もう全身、鉛みたいに重いのに」


「そんな……でしたら、今日は家で休むと連絡してくれれば」

「恥ずかしながら、ここに着くまで自分の容態に気が付かなくて……それに」


 相変わらず呼吸は苦しそうだったが、うららは安堵したように、にへっと表情を緩ませた。


「こっちに帰ってきたら、一番最初に氷彗の料理、食べたかったんだ」


 とくん、と心臓が高鳴った。

 たちまちうららの熱が移ったみたいに、氷彗の全身が温かくなっていく。


 その言葉は、ずるい。

 本当はすぐにでも、休んでもらいたいのに。


 心は大きく揺れ動いたが、最終的にはうららから向けられる期待の視線に負けてしまった。


「食欲はありますか?」

「うん」


 氷彗は髪を結い、冷蔵庫から今日の食材を取り出した。


「分かりました。横になって安静にしていてください。すぐに作りますから」

「やった。今日は、何作るの?」


 しばし口をつぐみ、氷彗はうららの方を見た。

 そして元々のレシピから、夏風邪用にちょっとアレンジを加えたものを思いついた。


「はちみつレモンのブリ大根です」


(後編へ続く)

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