第17話 門出・ほろほろ・鯛グラタン(中編)

 

 ☀☀☀


 冷蔵庫から現れたのは、紅葉のように色付いた鱗が美しい魚だった。


「おぉ~! キンメダイだ!」


 その名にふさわしく、まな板の上に置かれたキンメダイは、大きなゼリーみたいに透き通った瞳に、黄金色の虹彩を覗かせていた。


「やっぱりタイと言ったらマダイかキンメダイだよね」

「そうですね。あ、でもキンメダイは正確にはタイの仲間ではないんです」

「……そうなの!?」


 いきなりのパラダイムシフトでうららは飛び上がった。

 隣でエプロンを巻いた氷彗はにこりと笑うと、包丁で鱗の表面を削りながら説明してくれた。


「はい、マダイは魚類学上だとスズキ目タイ科に属していますが、キンメダイはキンメダイ目キンメダイ科に属する深海魚なんです」

「へぇ、キンメダイって深海魚だったんだ……あ! もしかして、キンメダイの目がマダイよりギョロっと大きくなっているのも、深海の暗さに適応するためとか?」


 閃いた推測をぶつけてみると、氷彗の瞳がキラキラと輝いた。

 興奮気味に包丁でキンメダイの腹を割き、内臓を取り出した手にぐっと力が入る。

 この光景は、ちょっと怖い。


「まさに、その通りです! それに、この鮮やかな赤い鱗もカムフラージュのためだと言われています」

「え? この色が……カムフラージュ? むしろ目立つ気がするんだけど」


 直感と反する説明に、首をひねる。

 骨に沿って関節を切り、肩身をはがすと、氷彗は鱗が見えるように反転させた。


「確かに、私たちの目にはそう見えるかもしれません。ですが、キンメダイの棲む深海なら話は別です。海は深くなるにつれて、青色の光しか届かなくなります。なので、深海魚の多くはその色に敏感ですが、それ以外の色、つまり赤色は見えにくいんです!」

「なるほど……深海魚の目で見れば、この赤い鱗は迷彩柄なのか」


 目の構造が異なれば、見える世界も違ってくる。

 人間の見えている色が、他の動物でも同じとは限らないのだ。

 深海魚にはこの世界がどう見えるのだろう。青だけしか見えない静かな世界なのだろうか。


 うららがそんな妄想をしていると、キンメダイは氷彗によって見事にさばかれ、残った身は一口大の大きさに切られていった。


「次はホワイトソースです。鍋に火をかけてバターを溶かし、小麦粉を入れ、かき混ぜます。その後、数回に分けて牛乳を加えていきます。この時、かき混ぜるスピードはなるべく早くするのがポイントです」

「どうして?」


「デンプンやタンパク質、油脂などの粒子を均一に分散させるためです。もし、ゆっくりかき混ぜてしまうとこれらが不均一になって、ホワイトソースの滑らかさが損なわれてしまいます」


 氷彗は片手で鍋の取っ手を握り固定すると、木べらでかき混ぜ始めた。お菓子作りならミキサーを使うところだが、鍋の中はかなり熱そうなので手でやるしかない。なかなか大変そうな作業だ。


「氷彗、そっちは私がするよ。」

「え? でも、ずっとかき混ぜるだけですし、疲れると思います……」

「だからだよ。こういう作業は私にさせて」

「あ、ありがとうございます」


 氷彗とうららが交代して、ひたすらかき混ぜ続けていると、鍋の中身がだんだんととろみを帯びてきた。お玉ですくって落ちてきたソースが筋になると、氷彗から「OKです!」とゴーサインが出た。

 ホワイトソースの完成だ。


「ホワイトソースが出来たら、あとはグラタンに入れる材料の準備です。一口大に切ったキンメダイと、スライスした玉ねぎ、マッシュルームを軽くフライパンで炒め、ホワイトソースを加えてなじませます…………そしたら、グラタン用の皿にスライスチーズを敷き詰め、ホワイトソースと具材を盛り付けます。最後に上からどっさりおろしチーズを振りかけて、170℃まで熱しておいたオーブンで温めます」


 ガラス越しにオーブンの中身を覗くと、上に乗せたチーズが熱によってぷくぷくと膨らんでは弾ける様子が見えた。

 しばらく時間が経つと、チーズはアイスが溶けていくように、柔らかくその形を崩していった。


「このとき、強火だと急に脱水してしまい、チーズの脂肪が分離して硬い食感になってしまうので注意です。チーズに焼き目がついたら、すぐに取り出します」


 氷彗はオーブンを開くと分厚いミトンで皿を取り、作業台へと移した。すぐ隣には、小さな深緑の瓶が置いてある。


「仕上げに、みじん切りにしたイタリアンパセリを散らして……完成です!」


 存分に熱を閉じ込め、ぷくぷくと膨らんでは弾けを繰り返す、できたてのグラタン。その見た目は大量のチーズも相まって、深夜に食べるには絶大な罪悪感だった。

 しかし、それはうららに躊躇を覚えさせることなく、むしろ空腹を刺激した。


 うららは氷彗とちゃぶ台について、手を合わせた。


「それじゃ、いただきます!」


 香ばしいチーズの匂いにつられて、思わず涎がこぼれそうになる。

 こんがり焼き目のついた黄色のじゅうたんをフォークでつつくと、下からキンメダイが現れた。チーズとホワイトソースの伸びた糸がトロリと絡まり、まるでフォンデュされているみたいだ。


 ぱくりと食いつくと、口いっぱいに芳醇なミルクの香りが広がった。ホワイトソース、チーズ、バターが三位一体となった濃厚な味わいだ。


 カリカリとした食感の皮に、ホロホロとほどけていくキンメダイの身。それらに優しい甘さが組み合わさって、グラタンとの相性は抜群だ。


 うららは瞳を閉じて身震いした。


「うぅ~、おいしい~~~~!! そういえば、私マカロニの入ってないグラタン食べたの初めてかも。お魚ともめちゃくちゃ合うね!」

「よかったです、お口に合って……あ、今回のグラタンは全部食べるとお楽しみが残っていますよ」

「お楽しみ?」


 そう言われると何やら気になる。

 うららしっかりと味わいつつも、黙々とグラタンを食べ進めた。


 マッシュルームと玉ねぎのフォンデュを堪能し、とうとう皿の底にまでフォークが到達すると、表面に乗っかっていたものとは明らかに違うチーズが姿を現した。乳白色とは正反対の焦げ茶色をしたそれは、クレームブリュレの表面みたいに、パリパリとしていた。


「こ、これはチーズのおこげ!?」

「はい! それはルリジューズと言って、フォンデュの鍋の底によくできるものです」


 氷彗は空になった皿の底にフォークを当てて、ぺりぺりと器用におこげをめくってくれた。

 食べてみると、クッキーのような食感が歯に伝わる。水分が飛んで濃縮している分、チーズの酸味と香りがより強く主張してきた。

 今までまろやかな料理を食べていたため、ルリジューズの味わいは新鮮で、デザートの別腹みたいにぺろりと平らげてしまった。


 皿の底まで食べ終えた二人は、満足して手を合わせた。


「ごちそうさまでした!」


(後編へ続く) 

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