第7話 液チ・アイス・ミー散乱(中編)

 ❄❄❄


「ごめん! 遅くなった!」


 うららが休憩室に訪れたのは、それから半時間後のことだった。

 肩で息をする彼女に、凪は涼しい顔で応える。


「はいはい、気にしてないよ。これまで10の3乗オーダーで約束の時間破られてきたわけだし」

「ひど! そこまで時間にルーズじゃないでしょ、私。誇張が過ぎるよ……鳥見川さん、大丈夫だった? こいつに変なこと言われたりしなかった?」


「いえ、新庄さんはとても優しい方で」

「それは、こいつの外行きの性格だからね。騙されちゃだめだよ」

「はーい、そこうるさい」

「本当のことでしょ……って、あれ? もしかして、もう何のお菓子作るか決まっちゃった感じ?」

「とっくにね」


 システムキッチンの作業スペースには、大小の紙パックと卵、そして銀色の魔法瓶が並んでいる。全て、近くのコンビニと大学から揃えたものだ。


「新庄さんと相談して、科学実験のお菓子は、液体窒素アイスクリームを作ろうという話になりました」

「アイスクリーム!? やった!! 最近熱くなってきたから、ちょうど食べたかったんだよ!!」


 うららは両手を上げて全身で喜びを表現した。

 引きつった口角から、ちらりと白い前歯が覗く。

 普段から元気なうららだが、何故か今日は一層明るく思えた。


 何かいいことでもあったのだろうか。

 氷彗は尋ねようとしたが、「まず何すればいい?」と、うららに先を越された。


「ではまず、アイスクリーム液を作っていきましょう。生クリームと卵の白身と黄身、それぞれを別々のボウルに移し、ミキサーでかき混ぜます」


 ボウルは三つ、人数も三人だ。

 黄身は氷彗、白身は凪、生クリームはうららがそれぞれ担当し、かき混ぜていく。


「黄身はある程度かき混ぜたら、そこへ牛乳を入れていきます」

「おぉ、真っ白だ」


 鮮やかな黄色に絡まっていく、白い液体を見つめながら、うららは思い出したように首を傾げた。


「そう言えば前に、サケはニンジンと似た色素のおかげで、ピンク色に見えるって言っていたよね? 牛乳もそんな風に、白く見える色素が入っているの?」


 紙パックを持つ氷彗の手が、ぴくっと震えた。

 胸の奥からふつふつと、マグマみたいに熱い感情が沸き上がってくる。

 この不思議を分かち合いたい、と。


「気になりますかっ——!?」

「……なんか、鳥見川さん、キャラ変わった?」


 凪は珍事を目撃したみたいに目を丸くした。

 あぁ、またやってしまったと後悔しつつ、それでも氷彗は自分を制することが出来なかった。


「牛乳が白く見えるのは、雲が白く見えるのと、同じ理由なんです!!」

「雲と、同じ?」

「はい! 光が牛乳の中に入っていくと、中の粒子によって散乱されます。散乱のされ方は、普通光の色によって違うんですが、牛乳の油滴のように粒子の大きさが光の波長よりも大きいと、どの色の光も同じ程度に散乱するんです。全ての色が同じ程度で目に届くと、それは白く見えます」


「じゃあ、雲の粒子も光の波長より大きいから白く見えるんだ」

「そういうことです!! つまり、牛乳を飲むということは、雲の白さを飲んでいるということなんです!!」

「あ、今の台詞いいね。実演でも使わせてもらおう」


 牛乳の説明が終わる頃には、もうすっかり白身も生クリームも、ツノが立つくらいにかき混ぜられていた。


「三つのボウルでかき混ぜ作業が終わったら、全部を合わせて、バニラエッセンスを加え……いよいよ液チで凍らせていきます。この時、一気にかき混ぜるのがポイントです」

「どうして?」

「氷を成長させないためです。攪拌させないでゆっくり凍らせてしまうと、粗くてガリガリッとした氷が、アイスクリームの中に出来てしまうんです」


 安全のため休憩室の窓を全開にしてから、銀の容器を開け、ボウルへと注いでいく。

 二〇〇℃以上の温度差によって、容器の中身はぷくぷくと音を立てながら泡立ち、白い冷気が瞬く間に広がった。


「やっぱり、このモクモクはザ・科学って感じがする!」

「確かに。小さい頃の科学者のイメージって、煙が噴き出すフラスコで実験している所だしね」


 まんべんなく液体窒素が行き渡るようにかき混ぜると、冷気が晴れるころには、アイスクリームはしっかりと固まっていた。


「最後にミントを添えて……出来上がりです!」


 球形の表面は、冷気でキラキラと輝き、シルクみたいになめらかだ。

 乳白色に卵黄色が溶け込んだ色は、見るからに柔らかそうである。


 いつもは二人で向かい合うちゃぶ台を、今日は三人で囲んで手を合わせた。


「いただきます!」


 アイスクリームに銀色のスプーンをそっと這わせて、口元へと運ぶ。

 瞬間、口の中にひんやりとした感覚が広がった。生クリームの深い甘さと、牛乳のさっぱりとした味わいが混ぜ合わさり、優しく舌の上でとろけていく。休む間もなく、濃厚なバニラの香りが鼻腔を駆け巡った。


 もっと楽しみたいと惜しみながらも、アイスはすぐに溶けてしまう。

 ついに形をなくしたアイスは、風のような清涼感と共に、喉を通り抜けていった。


「さすが液体窒素! キンキンだね! 頭痛い」

「君は急いで食べすぎ。まぁ、分かるけど。舌触りもなめらかで、すごくおいしいよ、これ」


 絶賛の声が一つから二つに増え、氷彗の頬がじんわりと熱を帯びる。

 それを沈めようと一口大きくアイスを食べると、キーンとこめかみ辺りに痛みが走った。


「鳥見川さんまで……」

「いいじゃん、これもアイスの醍醐味だよ」


 そんな談笑のうちに、アイスクリームは溶けるように食べられてしまった。


「ごちそうさまでした」


 食べ始めと同じく、三人で合掌する。

 皿洗いと片付けも、今日は三人で行った。

 うららと二人きりの食事も、もちろん楽しいが、こんな風に賑やかにわいわい食事するのも悪くない。


「さて、じゃあ私はそろそろ帰るよ」


 片付けが終わり、件のキムワイプ卓球を二、三ゲームほど行ったところで(結果は凪の全勝)、凪は仕事鞄を肩にかけた。

 腕時計を見ると、そろそろ終電が近付いてきている。

 うららは口を尖らせた。


「え? もう遅いし、うちに泊まっていけばいいのに。使、まだ残ってるよ」


 氷彗の背中に、ぞくりと汗が滲んだ。

 うららは何の気なしに発言したことなのだろうが、氷彗の胸には疑念と不安が渦巻いている。


 もしかして、二人は——


 そんな妄想が広がると、とたんに落ち着かなくなった。


「お誘いどうも。でも残念、猫が待ってるから」

「そっか」


 軽い調子のやり取りが終わり、凪が休憩室を後にする。


「あ、あの! 私、駅まで送っていきます」


 考えるよりも先に、氷彗も急いでその後に続いた。


(後編へ続く)

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