第7話 液チ・アイス・ミー散乱(後編)

 ❄❄❄


 暦の上ではまだしっかりと春のはずなのに、その日は夜でも暖かかった。

 街灯が等間隔に灯るキャンパスの大通りで、氷彗は凪に追いついた。

 並んで歩いてみると、凪はうららと同じくらい、背が高かった。


「見送りなんて、別にいいのに。むしろ、鳥見川さんの方が危ないよ」

「いえ、その……お礼を言いたかったので」


 とっさに出てきた言い訳は、我ながら何とも苦し紛れ感が否めなかった。

 当然それは凪にも伝わっていて、彼女は見透かしたようにケラケラと笑った。

  

「それは建前でしょ? 本音は、私とうららの関係を知りたかった。違う?」


 図星である。これ以上にないくらい。

 恥ずかしさと申し訳なさがのしかかり、自然と頭が下がった。


「す、すみません」

「別にいいよ。あいつ、すぐ勘違いさせるような言い方するんだから」


 どうやら、思い当たる節はあるようだ。

 凪はゆっくりと語ってくれた。


「うららとは、高校の頃からの友達でね。大学に入ってからは、学部、修士までルームシェアしていたの」


 言葉にしてみればあっさりとしているが、二人に流れる時間はその何倍も濃いものだった。

 小中高、そして大学で親友と呼べる人がいなかった氷彗からしてみれば、二人の関係は羨ましくあり、想像もできない。


「そうだったんですね。ということは、六年間一緒に」

「本当だよ。やっと一人暮らしできるようになってスッキリした」


 ボリュームの大きな声が、虚勢を張っていることは氷彗にも分かった。


「嘘、ですよね?」

「そこは建前で乗り切らせてよ……まぁ、あいつが心配なのは事実だけど。今日だって、ちょっと様子おかしかったし」


 氷彗はきょとんと小首をかしげる。


「おかしかったですか? むしろいつもより元気そうでしたけれど」

「それが問題なの。いつもより元気があるときは、大抵カラ元気なのさ、うららは。きっと、何かあったんだろうね」

「もしそうなら、話を聞いてあげた方が……」

「無駄だと思うよ? あいつ、そういうのしないで一人で抱えるタイプだし」


 凪は睫毛を持ち上げ、過去の方へと視線を向ける。

 噛み合わない行動と言動に、違和感を覚え、氷彗は恐る恐る口を開いた。


「それなら……どうして新庄さんは、そのことを私に話したんですか?」


 夜風が駆け抜け、凪のスカートがふわりと舞いあがった。


 鳩が豆鉄砲を食ったようとは、このことを言うのだろう。

 凪は、はっと息を飲むと、目をぱちくりとさせた。

 その場で足を止め、数秒沈黙にふける。


「あ~、言われてみれば、それもそうか」


 どうやら、当人にも自覚はなかったみたいだ。

 まとまらない思考を無理矢理まとめようと、凪は大きく頭を揺らす。低めで結われたポニーテールがくるりと渦巻いた。


 おぼつかない口調で、凪は続ける。


「多分、保険かな。知らせておきたかったのかもね。今、うららの近くにいる人に」

「保険、ですか?」

「今の私は、昔みたいにうららの傍にはいられないから。だから、ルームシェアが終わってから、あいつが困ったとき、助けてくれる人を探していたのかも……まぁ、自分でもよく分かんないけど」


 最後にあからさまな予防線を引くと、彼女はタンとステップを踏んで、氷彗から距離をとった。

 もう地下鉄の入り口だ。


「そんなわけで、鳥見川さん。面倒臭いやつだけど、塔山うららのことを、どうかよろしくお願いします」


 わざとらしく、友達のお母さんみたいな台詞と共に、凪は去っていった。

 託された言葉は、社交辞令のようにあいまいだが、何故かとても重みを感じる。


 空を見上げると、月の光が雲をくぐって、白い光を散乱させていた。

 その輪郭はおぼろげにかすんでいて、もやもやとした氷彗の胸の内のようであった。

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