第26話 ピリリ・綻び・麻婆豆腐(中編)
☀☀☀
ねぇ、どうして?
子供の頃から、よくその言葉を口にしていたのを覚えている。
どうして空は青いの?
とうして夜眠くなるの?
どうしてご飯はおいしいの?
好奇心の赴くまま、私は両親に純粋な疑問を投げかけていた。
父と母は時に真剣に、時には冗談を交えながらも、きちんとそれに答えてくれた。
たとえ他愛のないものであったとしても、誤魔化すことなく。
私には、それが嬉しかった。
不思議が紐解かれていく快感はもちろんだが、それ以上に両親が私のことを見てくれていると実感できて。
でも、いつからだろう。
その言葉は、やがて母を傷つける刃になってしまった。
純粋な疑問は、激しい叱責へと変わってしまった。
今にして思えば、あの時の私は、理不尽というものを理解できていなかったのかもしれない。
世の中の分からないことには、納得のいく答えがあると信じて疑わなかった。
だから、耐えられなかったのだと思う。
ある日突然、父が失踪したことに。
そしてその理由について、母が頑なに沈黙を貫いていることに。
どうして!? 答えてよ!!
ぶつけた言葉は同じはずなのに、その響きは以前のものに比べてずいぶんと違っていた。
この理不尽を埋めるために私がしたことは一つだけだった。
つまりは、大好きだった母を嫌いになろうと努力したのである。
☀☀☀
「どうして、あんなこと言っちゃったんだろう」
平日の深夜。
アパートのキッチンに、弱々しい言葉がこぼれ落ちる。
この日、うららは休憩室に向かうことができず、夕方には帰宅していた。
ひすいとやり取りしているメッセンジャーアプリも覗いていない。
もしかしたら、彼女は今日一人で料理をしているのだろうか。
冷凍食品を温める電子レンジのブォーンという音が、やけに耳障りに感じられた。
気がかりになってポケットからスマホを取り出すと、メールが来ている。
一瞬胸がざわついたが、バナーに記されたタイトルから研究室のグループメールだと分かった。
内容は共同研究のお誘いのようだ。
田宮と所縁のある実験系の教授が、アミロイドβ凝集過程に関する研究を立ち上げたいらしい。
そのコラボ先としてウチから誰か出せないか、というものだった。
添付された先行論文に目を通し、うららはしばし考える。
春にアクセプトされた論文のテーマは引き続き研究中だが、そちらには余裕も出てきた。
別のテーマと並行して、やれないこともなさそうだ。
いつもならば、面白そうと飛び付いて、話だけでも聞かせてほしいと即座に返信を打っているところだろう。
しかし、今のうららにそんな心の余裕はなかった。
結局、アブストラクトを読んだだけでアプリを落とし、スマホを枕の上に放った。
そのタイミングでレンジがチンと鳴る。
「あちっ!」
解凍したパスタの袋は思った以上に熱を帯びていて、噛みつかれたような感覚だった。
長らく使われてこなかった平皿に盛付け、黙々と食べ進めていく。
冷凍庫に眠っていたカルボナーラはうららの大好物だ。
それなのに味気なく感じてしまうのは、すっかり舌が肥えてしまったからだろう。
「夜って……こんなに静かだったんだ」
暖房をつけるにはまだ早い。普段話し声が漏れているお隣も、今日は留守のようだ。
そのせいか、自室は不気味なほどの静寂に包み込み込まれていた。
それを紛らわせるためにテレビをつけてみるが、却って陰影となって寂しさを浮き彫りにさせるだけだった。
本来、夜とは静かなものなのだ。
それを、うららはすっかり忘れていた。
そして、忘れさせてくれた相手のことを思うと、自然と声が震えてしまった。
「ごめん……氷彗」
子供のように膝を抱き寄せ、その上に顔を埋める。
そして、 同じ言葉をナイフとして使ってしまったことに、うららはひどく後悔した。
☀☀☀
「うららさん。あの、さっきの話——」
「聞いてたんだ?」
「それは、ごめんなさい。でも、お母さんが……その、ご病気で倒れたんじゃ」
「だから?」
「だから、って。心配じゃないんですか?」
「…………」
「顔を合わせ辛い理由があるんですか? でも、せめて今だけ」
「どうしてそんなこと言えるの? 何にも、知らないくせにさ」
ひすいには、関係ないでしょ——
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます