第21話 秋刀魚・甘露煮・大学祭(前編)

こちらのお話は、


・二人がご飯を作って食べるだけのお話です。

・ファンタジー要素はありません。

・幽霊、あやかし要素はありません。

・ミステリー要素はありません。


また、科学的説明はあくまでスパイスです。

つまらなかったり、面倒くさければ、読み飛ばしてもらっても全然大丈夫です。

以上の点にご注意の上、お腹を空かせてお読みください。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ❄❄❄


 辺りは怪しげな雰囲気に包まれていた。

 真っ暗な空間の中、うららは荒い吐息を繰り返している。


「う、うららさん?」

「氷彗……お願い。動かないで」


 余裕をなくした言葉が耳元でささやかれると、氷彗の鼓動が一気に高鳴った。

 こちらの裾をすがるように掴んでいたうららの手が、徐々に上へと這い上がってくる。


「っひ!?」


 びっくりして裏返った声が飛び出す。

 しかし、うららは気にせず両腕を氷彗の肩口へと回した。

 すっぽりと包まれるように、後ろから抱きすくめられる形となる。


 密着した背中からは、ドクンドクンとうららの心臓の音が伝わってきていた。


「だめ、です……うららさん。こんな」

「ごめん。でも、もう我慢できない。だって——」


 うららの抱きしめる力が、より一層強くなる。

 背中に押し当てられた柔らかい感触と、首筋にかかる熱い吐息で、ボンと氷彗の顔が熱くなった。


 緊張が最高潮へと達し、感情が噴火する直前——

 背後にぼぉっと、怪しげな光が灯った。


「う~~~ら~~~め~~~し~~~や~~~~」

「うぎゃぁぁぁ————————————!! ででで出たぁぁぁ————————!!」


 不気味にライトアップされた幽霊が現れ、うららは卒倒する。

 断末魔のような叫び声が、大学祭に響き渡った。


 ☀☀☀


「くそぅ、凪のやつめ……アレのどこがプラネタリウムなんだよぅ。完全にプロのお化け屋敷じゃんか」

「舞台もメイクも演出も、かなり凝っていましたね」


 地獄のような空間からようやく抜け出し、うららはほっと一息を吐く。

 こんなことなら、隣の教室でやっているメイド喫茶に入ればよかったと心底後悔した。


 今日は名知大学の学園祭である。

 研究で急ぎの用事も入っていなかったので、うららは氷彗を誘い、様変わりしたキャンパス内を巡っていた。

 先ほどまで二人は、科学館が出展しているサイエンスショーを見学していたのだが、そこで出くわした凪にここを勧められたのである。


 ——せっかくだから見にいってよ。うちの天文サークル、学祭にはかなり力入れているからさ。


 そんな言葉に乗せられたのが間違いだった。

 暗幕が垂れさがった教室の外見から、てっきりプラネタリウムだと思っていたそれは、無駄にクオリティの高いお化け屋敷だったのだ。


「はぁ、心臓まだドキドキしている」

「……私もです」

「だよね。全身凍えたよ」

「いえ、その……むしろ、暑いです」


 氷彗は小さな声で何か言ったみたいだったが、よく聞き取れなかった。


「ま、いっか。それじゃ、気を取り直して別の所いこっ! どこか気になる出店とかある?」


 階段の踊り場で立ち止まり、うららはパンフレットを広げた。

 ジャズサークル、演劇サークル、漫画研究会などなど……

 回った場所にはチェックマークが付けられていた。


 もう夕方なので、ゆっくり見て回るなら次が最後になるだろう。


「えっと……ここの天文サークルは、新庄さんが学部時代に所属されていたんですよね?」

「うん。お化け屋敷に天文要素は一切なかったけどね」

「うららさんも、そこに入っていたんですか?」

「ううん……て、あれ? 話したことなかったっけ? 私が入ってたサークルのこと」


 こくこくと氷彗は頷く。

 その表情は興味津々といった様子だった。

 「そっかそっか」と、うららはパンフレットに視線を落とし、一つのサークルを指さした。


「ここだよ。【保護猫サークル】……今から見に行く?」


 ☀☀☀


「おー、やってるやってる」


 保護ネコサークルが出展していた場所は、共通教育棟一階の大教室だった。

 普段、講義で使われている長机にはビニールシートと新聞紙が敷かれており、その上にはいくつものゲージが並んでいた。

 中に入っている生物は、絶えずニャーという愛くるしい鳴き声を放っている。


「猫が……たくさん」


 氷彗の口元がもにょもにょと動いた。見るからに嬉しそうである。

 もしも尻尾が生えていたなら、ピンと立っていることだろう。

 何となく彼女はネコ派だろうと思っていたうららだったが、どうやら正解らしい。

 彼女は自分の表情筋が緩み切っていることに気付くと、ハッとなって首を振った。


「保護猫サークルなんて、私初めて聞きました。どんなサークルなんですか?」

「いつもは大学に住み着いた猫に餌やりしたり、あとは猫が増えすぎないように不妊去勢手術を受けさせたりしてるんだ。で、大学祭にはこんな風に譲渡会を開くの。地元のNPOさんも協力してくれて……」


 古巣のサークルについて紹介していると、一際大きな鳴き声が二人に割って入った。

 そちらに視線をやると、小さな黒猫がゲージの間からクイクイとこちらに手を振っている。


「この子、すごく人懐っこいんですよ。よかったら、抱っこされます?」


 氷彗と揃って黒猫に釘付けになっていると、スタッフと思しき女性が話しかけてきた。

 サークル員だろうか。

 もしそうだとしても、うららは大学院に入ってからはサークルに顔を出さなくなったので、向こうはこちらのことを知らないだろう。


「いいんですか!?」

「えぇ、この子も抱っこして欲しそうですし」


 ゲージから取り出された黒猫が、氷彗の腕の中へとすっぽり収まる。

 すると安心したのか、黒い毛玉は丸くなって頭を氷彗へこすりつけてきた。


「か、かわいぃ……」


 瞬く間に、氷彗の唇がふにゃふにゃになっていく。

 いつもの彼女からは聞くことのない、甘い声色だ。

 その愛くるしさに当てられて目尻はとろんと垂れさがり、すっかりネコの虜となっていた。


「もう、氷彗。顔が緩みすぎだよ」

「そちらの方は、このキジトラちゃんをどうぞ」

「……え?」


 スタッフが言うや否や、うららにも一匹の猫が渡される。

 上目遣いの宝石みたいな瞳が、こちらをじっと覗き込んできた。

 「ミァン」という高い鳴き声に、うららの理性はいともたやすく消し飛んだ。


「か、かわいいぃぃぃ————————————!!!」


 お化け屋敷の時と同じく悲鳴が轟く。

 と言っても、こちらの方は嬉しい悲鳴だ。

 結局、それから猫の誘惑に勝つことは出来ず、うららと氷彗は時間いっぱいになるまで譲渡会に居座ることとなった。


「うぅ……ごめんよ。経済力を手に入れたらちゃんと迎えにいくからね」


 去り際になると無性に名残惜しくなり、うららは泣きそうになりながら猫に手を振る。

 だが、先程はあんなに甘えてきたというのに、今はそっぽを向いていた。さすが猫である。


「すみません、すっかり長居してしまって」

「構いませんよ。お二人の猫撫で声のおかげで宣伝効果もありましたし。むしろ、ありがとうございます」


 そう言って頭を下げると、スタッフは一枚のチラシをこちらに渡してくる。

 経費削減に用いられた更半紙には、いかにも手作り感満載な地図が描かれていた。


「ここの屋台はまだ開いてると思うので、よかったら寄ってくださいな。売り上げは全部、保護活動の資金になりますから」

「へぇ、今はそんなこともやってるんだ……ちなみに何の屋台です?」

「鮎の塩焼きです。猫が好きそうなもの、ということで」

「鮎の塩焼き!」


 昼には屋台のカレーを食べ、おやつには喫茶店でホットケーキを頬張ったうららだったが、すでに胃袋には余裕ができていた。

 むずむずと食欲が湧き上がると、いてもたってもいられず、うららは氷彗の手を握った。


「氷彗、食べに行こう!」


 ☀☀☀


 周囲の出店は祭りの終焉に合わせて値引きを始め、賑わいは最高潮に達していた。

 たこ焼きや焼きそば、フランクフルトなどの香りが立ち込め、それらがすきっ腹をつついてくる。

 なんとか誘惑を潜り抜け、うららと氷彗はチラシに記された地図の場所へとたどり着いた。


「おぅ……」


 だが、二人を出迎えたのは鮎の塩焼きではなく、【完売】の二文字だった。

 出店の前に木の葉の乗った秋風が吹き抜け、虚しさを物語る。

 数多く立ち並ぶ出店の中で、ここだけがものの見事に売り切れていた。


「い、いいんだ別に。保護猫の活動資金に繋がるなら、私は」

「うららさん」

「でも、私の心と体は完全にお魚だったんだけんどな……」


 お化け屋敷、譲渡会と続いて、ここでも悲鳴が上がった。

 うららのお腹が奏でる情けない悲鳴である。

 そんなうららを見て、氷彗は高らかに宣言した。


「……大丈夫です! 今夜はとっておきの魚料理を作りますから!」 

「本当!? どんな料理?」


「秋刀魚の甘露煮、です!」


(後編へ続く。)

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