第15話 思い出・パリパリ・かき揚げ蕎麦(中編)
❄❄❄
真夜中の研究棟。
少し早く休憩室に来てしまった氷彗は、きょろきょろと周りを見て、誰もいないことを確認すると、手元のスマホを覗き込んだ。
【アルバム「JK時代のうらら」】
凪とのトークルームに作成された画像フォルダをタップし、表示される写真を親指で滑らせていく。
「……ゕゎぃぃ」
自然と小さく声が漏れてしまった。
うららは高校の時から背が高く、笑顔がまぶしかった。
髪は今よりもう少し長く、まとめてポニーテールにしている。
今のうららも明るくて活発的な印象だが、高校の彼女はそれがさらに突き抜けていた。
そこでふと、氷彗は違和感を覚えた。
昔のうららの容姿は、初めて見るはずである。それなのに、どこか漂う雰囲気が遠い記憶に触れそうな気がした。
実は昔一度会っていた、なんて少女漫画チックな展開はないと思うのだけれど。
「ひーすいっ! 何見てるの?」
「~~~~~~~~~っ!?」
いつの間にか休憩室に来ていたうららにびっくりして、ばねのように肩が弾んだ。
危うく落としそうになったスマホを、すんでの所でキャッチする。
「な、ななな、なんでもありません!」
「そう? それより、ちゃんと持ってきたよ」
うららはそう言って、いかにもお土産屋らしい紙袋から木箱を取り出した。
「じゃん! 滋賀のお蕎麦です!」
蓋が開かれると、生麺タイプの蕎麦が組紐のようにまとまっていた。
「細くて形もきれいです……いい香り」
「氷彗の食材は?」
「はい、こちらに」
氷彗は冷蔵庫から、輝く小粒の入った容器を取り出した。
「お~、これが白エビ!? キラキラしているね。透き通って宝石みたい!」
「はい。実際、白エビは富山湾の宝石と言われているんです」
うららの提案で、盆休み明けの今日の夜食は、帰省先の食材を持ち寄って作ることになっていた。
「では、この蕎麦と白エビを使って、今日はかき揚げそばを作ります!」
「お~!」
氷彗はまず、かき揚げの具材の下準備から始めた。
「玉ねぎをカットして大葉を和えて、軽く小麦粉をふります。そこにひげを取った白エビを加えます」
次に鍋に油を入れて、火をつける。
「あらかじめ油は160℃まで温めておいて、衣は揚げる直前に作ります」
「どうして?」
「グルテンの形成を抑えるためです」
ボウルで卵と冷水、小麦粉と片栗粉を混ぜ合わせていると、うららが確かめるように補足した。
「から揚げやタピオカで説明してくれたやつだ。モチモチするからパンやラーメンには必要だけど、カリカリさせたい揚げ物には不向きなんだよね?」
「はい! グルテンは小麦粉が水となじむことによって形成されるので、それを少しでも防ぐために混ぜるのは揚げる直前、加える水は冷水にして、あまりかき混ぜないようにします」
出来上がった卵黄色の衣に具材を浸し、適量をお玉ですくい上げる。
それを油にくぐらせると、じゅわわと音を立てて周りが泡立ち始めた。
「……あの、うららさん。揚げている間に、蕎麦を茹でてもらってもいいですか?」
恐る恐るお願いすると、うららはぱぁっと表情を明るくさせた。
「OK! 任せといて! 麺をお湯で温めるんでしょ? カップラーメンと同じだから私の得意分野だよ!!」
自信満々にそう言われると、何だか不安になってきた。
うららは蕎麦の入っていた木箱に記載されている調理法をフムフムと熟読し、慎重に作業に取り掛かった。
鍋にたっぷり水を入れ、一度沸騰させてから、束にならないようにばらけて蕎麦を投入していく。
「蕎麦の食感って独特だよね~。モチモチというよりコシコシって感じ。うどんやパスタと全然違うし……もしかして、あれもグルテンが関係してたりするの?」
底にくっつかないよう、菜箸で蕎麦をゆっくりかき混ぜながら、うららは尋ねた。
「鋭い! うららさん、その通りです!!」
「へ? そうなの? 完全にあてずっぽうだったんだけど……」
「ソバ粉に含まれるたんぱく質は、グルテンを形成しません。だから、弾力よりもコシが強い麺になるんです」
「へぇ……かき揚げと蕎麦って全然違うのに、グルテンが絡んでくるっていう点で繋がってるんだ」
氷彗は油の中身を確認した。
かき揚げの衣は、キツネの毛並みのように色付いていた。
「そろそろ揚げ時間もいい頃合いですね」
さっとバットにすくい上げ、油を落とす。
衣の表面からふわっと香ばしい匂いが漂った。
「おぉ~! 衣越しからうっすらエビがピンクになってるのが分かるよ! さっきまで透明だったのに! これはどうして!?」
「気になりますか!?」
「うん!」
「エビのピンクは、餌のプランクトンの持つカロテノイド色素によるものです!」
「プランクトン……そっか赤潮の赤も、プランクトンが集まってできた色だもんね」
納得しかけて、しかしうららはそこで新たな疑問に気付いた。
「あれ? でも、どうして揚げる前は透明だったの?」
「そこ! やっぱり不思議ですよね! それはエビ体内のタンパク質が色素分子に結合して、発色を抑えているからです。天敵に見つからないよう、隠れるためですね。でも、熱を加えることでエビのタンパク質は変性し、色素分子が外れるので本来の色味が出てくるんです!」
「なるほど~」
うららが感心していると、蕎麦の茹で時間を知らせるタイマーが鳴った。
彼女はザルで蕎麦をすくい、淡々と波打たせて水気を切ると、こちらに渡してくれた。
「蕎麦も茹で上がったよ!」
「ありがとうございます。お椀の麺つゆにお蕎麦を浸して、上から揚げたてのかき揚げを乗せたら……出来上がりです!」
蕎麦の上に鎮座するかき揚げは、ゴツゴツとしていて威厳がり、いかにも食べごたえのありそうな見た目だ。
できたての味を堪能しようと、二人はちゃぶ台に急いで移り、手を合わせた。
「いただきます!」
氷彗は箸でかき揚げを挟んだ。
厚みはハンバーグ以上だが、これは洋食みたいにナイフとフォークで小さく切り分けることは出来ない。
覚悟を決めた氷彗は、そのまま一気にかぷりと噛みついた。
パリッ! カリッ!
小気味良い食感が歯に響き、鼓膜へと伝わっていく。
その感覚に酔いしれていると、たちまち口の中に優しい甘さが広がった。
目の前のうららは「く~~!」と、十分に味を噛み締めた後、湧き上がる感情を解放した。
「あま~~い! この白エビ、すごく甘いよ! 砂糖も使ってないのにどうして!?」
「それは、魚の味が濃い理由と同じです」
「サケのムニエル作ってくれた時に、説明してくれたこと? え~と……確か海水の塩分濃度に負けないように、魚は細胞にたくさんのアミノ酸を貯め込んでいるんだっけ?」
すぐに詳細な思い出を引っ張ってくるうららの記憶力に、氷彗は舌を巻いた。
「そこまで……覚えていてくれたんですか?」
「前にも言ったじゃん。氷彗の言ってくれたことは全部覚えてるって」
「っ!?」
思わず、箸を持つ手が止まる。
口の中で感じる甘さが、胸にまで伝わってきたみたいだった。
「それで、エビが甘いのも細胞内のアミノ酸が理由なの?」
「は、はい。海洋甲殻類が細胞内に貯めるアミノ酸は、グリシンが多いんです。グリシンは砂糖の七割程度の甘味度を持っています。だからエビは甘いんです!」
興奮気味に語り終えた氷彗は、ハッと我に返った。
「す、すみません。食べている最中にべらべらと」
「ううん。おいしい理由が分かるともっとおいしく感じるし……それに」
うららはこちらを向いてにぃっと唇をつり上げた。
前歯の一つに、白エビの殻が挟まっているのが見えた。
「氷彗と話しながら食べるの、好きだから」
刹那。
その言葉は、深く埋もれていた記憶の化石を掘り当てた。
——お母さん……お仕事忙しいのに、私と一緒に食べていて大丈夫?
——そんなこと気にしないの。私は氷彗と食べるの、好きなんだから!
おぼろげにかすむ食卓では、母親のポニーテールが揺れていた。
ずっと、不思議だった。
どうしてうららとは、初めて会った時からあんなに話せたのか。
どうしてあんなに惹かれたのか。
もっと、仲良くなりたいと思ったのか。
今はもう、理由一つで語りきれないことくらいは分かっている。
それでも、多分きっかけは……そういうことなのだろう。
「ごちそうさまでした」
向かいで手を合わせるうららを、氷彗は遠い目で見つめた。
(後編へ続く)
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