第13話 花火・カステラ・夏祭り(後編)

 ☀☀☀


 第二の我が家になりつつある研究棟の休憩室に戻ると、氷彗はすぐさまタコ焼き器の箱を開いた。フリスビー程度の小さな鉄板に、二十個くらいポコポコと小さなへこみがついている。


「まさか、こんなにすぐ役立ってくれるなんて驚きです」


 うららは途中のコンビニで買ってきた材料を、ちゃぶ台の上に置いた。今日はここが調理場であり、食卓だ。


「もうこれは、神のお告げだよ! 研究棟に戻ってベビーカステラを作りなさい! っていう」

「いや、それは単に君が食べたいって、駄々こねただけでしょうが」


 ぺちんと、凪から軽くチョップされた。


「鳥見川さん。汚れないようにエプロンと……たすき掛けしてあげる」

 

 そう言うなり凪は自分の帯締めを外すと、後ろに回った。射的の時と同じく、氷彗はされるがままだ。

 凪は慣れた手つきでわっかを作ると、あっという間に揺れる氷彗の裾を固定した。


「わ……すごく動きやすいです。ありがとうございます」


 白くほっそりとした自身の腕を見つめながら、氷彗は頭を下げた。

 その上からエプロンを着用すると、和洋折衷な装いになり、浴衣とは違った趣になる。 


「それでは、まず生地を作っていきましょう。ボウルに卵、はちみつ、牛乳、マーガリンを入れて、よく混ぜます」

「マーガリン? バターじゃないんだ」


「確かに、バターを入れると風味は出ますが、生地に空気を入れるならマーガリンの方が優れています。バターやラードといった動物性の脂肪は、結晶が大きいので、取り込む気泡も大きくなってしまいます。すると、空気が生地の外に出てしまうんです。それに比べて、植物性の脂肪は結晶が小さいので、気泡を生地に取り込んだまま焼きあがってくれます」

「へぇ……その知識、今度何か作るときに使えそう」


 凪が興味深そうに頷いた。

 事情はよく知らないが、また件の女子小学生に振る舞うのだろうか。


「次にホットケーキミックスを加えて、ハンドミキサーでかき混ぜていきます。目標は、生地がとろりとしてくるまでです」

「ホットケーキミックスって、一体何が入ってるの?」

「主に小麦粉と、ベーキングパウダーですね」


 後者の言葉は理系にとってなじみ深いものだったので、思わず反応する。


「ベーキングパウダー……重曹が入ってるやつだよね? 懐かしいなぁ。理科の授業でカルメ焼き作ったの、覚えてるよ」

「食べる科学実験の定番だからね、あれは。うちの科学館でもよくやってる。でも、重曹だけじゃ膨らまないこともあるんだよね」

「そうそう! ベーキングパウダーの方が、圧倒的に成功率が高かったっけ? 氷彗、あれってどうして?」


 ハンドミキサーを握る氷彗の手に、ぎゅっと力が入った。

 輝くように瞳が開かれると、こちらにぐいっと顔が近づく。


「気になりますか!!」

「うん!」

「また人が変わった!? ……もしかして、これって定番なの?」


 置いてけぼりの凪を放置したまま、氷彗は口を開いた。


「重曹に比べてベーキングパウダーが膨らみやすい理由。それは、ダブルアクティングにあります!」

「ダブル……アクティング?」


「カルメ焼きが膨らむ理由は覚えていますか?」

「えっと、重曹……つまり炭酸水素ナトリウムが加熱分解して、二酸化炭素を出して、生地を膨らませるんだよね」

「その通りです。でも実際のところ、重曹は加熱分解以外の反応でも、二酸化炭素を発生させます。酸とアルカリの反応です」


「重曹は、アルカリだよね?」

「はい。なのでベーキングパウダーには、いくつかの酸成分が入っています。例えば、リン酸一カルシウム。これは重曹と同じく、すぐ生地に溶けるので、混ぜ合わせた瞬間から反応が始まり、二酸化炭素を出します」


 氷彗の説明に、思わずボウルの中をのぞく。


「え? じゃあ、この瞬間にも出てるの? 二酸化炭素」

「そうです。今まさに出ています。それに対して別の酸成分、硫酸アルミニウムナトリウムは、熱を加えないと生地に溶けません。つまり、こちら酸は生地の過熱時に重曹と反応して、二酸化炭素を発生させます」


 凪は納得したように、これまでの説明をまとめた。


「なるほど……混ぜ合わせと加熱。この二段階で二酸化炭素を発生させるから、ダブルアクティングか」

「すごいですよね! まるで精巧な機械みたいですよね!」


 氷彗は鼻息を荒くさせた。

 そうこうしているうちに、混ぜ合わせていた生地にとろみが生まれる。

 いよいよ景品の出番だ。


「タコ焼き器にサラダ油を塗ったら、生地を流し込んでいきます」


 流し込んだクリーム色の生地は、ぷつぷつと音を立てながら、ふっくらと膨らんでいく。

 その様子を見て、ぱっと思いついた。


「あ、そうだ! 凪、ここに粒チョコ入れようよ! 射的で当てたやつ」

「なるほど。おっけー」


 凪は粒チョコを取り出すと、タコ焼き器の上から種を撒くみたいに、ぽろぽろ落としていった。


 その後、三人で協力してクルクルと生地を回していくと、表面は美味しそうなキツネ色になった。


「爪楊枝を刺して、先に生地が付いてこなければ、完成です!」


 焼きあがったものから順に、皿の上に落としていく。ベビーカステラは、その軽さを表すみたいに、ころころと可愛らしく転がった。


 全てをすくい上げたところで、氷彗と凪と一緒に手を合わせた。


「いただきます!」


 転がるベビーカステラの一つを、爪楊枝でぷすりと刺し、口に運ぶ。

 パリッとした薄い表面を抜けると、スポンジのようなふわっふわの食感が口の中を支配した。

 生地に閉じ込められた空気は、温かさと風味を存分に閉じ込めており、はちみつと卵の香りが、鼻腔を駆け巡っていく。


 湧きあがった感動をそのまま、叫んだ。


「おいしい~~~!」

「うん、確かに。ふわふわで軽くて、本当に甘い空気を食べてるみたい」

「あ、ありがとうございます」


 次に食べたベビーカステラは、粒チョコがたくさん入っていた。

 余熱でじんわり溶けだし、半分がソース状になっている。それまでの風味に、しっとりとしたカカオの香りが加わり、また違った味わいだ。


 ココアや抹茶のパウダーがあれば、もっとバリエーション豊かになったことだろう。次にカステラ会をするときは、いろいろ試してみよう。


 そんなことを考えていたら、ベビーカステラはあっという間になくなってしまった。 


「ごちそうさまでした」


 手を合わせ終えると、凪は苦しそうに帯をさすった。


「屋台で食べ歩きした後だから、あんまり食べられなかったよ」

「同じくです……うららさん、これでやり残したことはありませんね」


 氷彗に言われて、今一度やりたかったことを思い出す。


「うん。浴衣着て、花火見て、食べたかったもの全部食べて……あっ――!?」


 あるものが目に入り、声を上げた。

 あと一つだけ、できていないことがある。


「え、もしかしてまだ食べたりないの? 君の胃、ブラックホール?」

「違うよ! 一番大切なこと、忘れてた!」


 ☀☀☀


 凪が射的で当てた自撮り棒に、うららは自分のスマホを取り付けた。

 Bluetoothの動作は問題なさそうだ。


「写真なら、もう何枚も撮ったと思うんですけれど」

「だーめ。全員写ってるやつがないじゃん。せっかく両手に花なんだから、見返してにやにやするために、撮っておきたいの」


「いかにも発想が親父くさい」

「そんなことないよ! 可愛いを求めるのは人類共通でしょ!」

「はいはい……って、ちょ、ちょっと!?」


 乗り気ではない凪の肩に、くるりと右手を回す。

 左手も氷彗の帯に手を当てて、こちらに引き寄せた。


「う、うららさん!? な、何も、そんな密着しなくても……」

「しょーがないでしょ。この自撮り棒、短いんだから」

「そりゃ、悪かったね。暑苦しいから、撮るなら早くして」

「はいはい」


 あと少しで、今日が終わってしまう。


 楽しい時間は、あっという間に過ぎ去っていく。

 何とかつなぎとめようと画策したが、どうやらここまでみたいだ。


「来年のお祭りも、一緒に行きたいね」


 自分でもびっくりするくらい、しっとりとした声が溢れてしまった。

 左右から、驚いたような視線を感じる。


 それをごまかすために、うららはさらに二人を引き寄せた。


「じゃあ撮るよ! 最初の素数は――!」


 今をつなぎ留めたい一心で、うららはシャッターを切った。

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