第6話 カリカリ・から揚げ・カエル肉(後編)


 ☀☀☀


 真夜中の研究棟の休憩室。

 ちゃぶ台に置かれたビニール袋の中身を見るや否や、氷彗は瞳を宝石みたいに輝かせた。


「す、すごい! こんなにたくさんのカエル肉、めったにお目にかかれないです!! 本当に使ってもいいんですか!?」


 高揚感が体にも現れて、カーテンのように白地のスカートがふわりと舞った。

 自分とあまりに異なるリアクションに、うららは若干戸惑い気味だ。


「うん……そっか鳥見川さん、こういうの平気なんだ」

「??? といいますと?」

「あ、いや、何でもないよ。ところで、カエル肉ってそもそも食べられるんだね」


「はい! カエルはフランス料理だとグルヌイユ、中国料理だと田鶏ティエンチーと呼ばれていて、高級食材なんです。日本だと、一匹数千円もするんですよ」

「そうなんだ」


 てっきりこの大量のカエル肉は、田宮のイタズラか、実験動物に対するもったいない精神によるものと考えていた。しかし、氷彗の言う通りなら、純粋に労いの意のつもりなのかもしれない。


「どうやって調理しましょう。シンプルに塩焼きもいいですし、カレーに使うのもありですし……」


 カエル肉をキッチン台へと移動させ、氷彗はブツブツと呟いている。白魚のような滑らかな手が、彼女の思考の流れを表現するみたいに、空を泳ぐ。


「決めました。やはりここは、素材の味を最大限引き出すために”から揚げ”にしましょう!」

「から揚げ」


 ゆっくりと復唱してみる。

 ハンバーグに勝るとも劣らない人気料理の名前を耳にして、うららのお腹は情けない音を立てた。


 はっと意識が戻った時には、氷彗は既にエプロンを身に付けていた。


「まずは下味の準備です。酒、コショウ、塩、醤油を混ぜて、すりおろしたニンニクとショウガを加えます」


 深いカラメルソースのような下味からは、ニンニクとショウガ、そしてコショウの刺激的な匂いが漂ってくる。それを入れた小皿は、カエル肉の入ったボウルの直上へと運ばれ、ゆっくりと傾けられた。


「この下味を、肉に揉み込んでいきます。この時、漬け込むのは三分程度で、長時間放置はしません」

「どうして? 漬け込む時間は長い方が、味もしっかりしない?」


 直感に反する答えに、うらら食いついた。


「その通りです。でも、それはお肉のジューシーさと、トレードオフの関係にあります。浸透するということは、それだけ肉が本来持っていた水分を出してしまうということです。特に、カエル肉は他のお肉に比べて水分量が多いですから、たくさんの水が逃げてしまうんです。そうなると、出来上がりの食感が硬くなってしまいます」


 ははぁ、とうららは頷く。

 おいしさのパラメータはいくつもあり、それらは取捨選択しなければならない時もあるのだ。


「次は衣です。下味を漬け込んだ肉に水と卵、そして片栗粉と薄力粉を加えて、混ぜ合わせていきます」


 混ぜ合わさったボウルの中身を眺めていると、うららの中で少し前の記憶がよみがえる。

 忘れもしない、氷彗と初めて出会った時の料理だ。


「肉料理に粉を使うのって、ハンバーグでもやってたよね」

「そうでしたね。あの時は、パン粉を使っていました」

「見た目はどっちも白い粉だけど……何が違うの?」


「それは、粉に含まれるグルテンというタンパク質の違いです。パン粉は15%程度、薄力粉は8%程度、グルテンが含まれています。グルテンは、水や油を吸収してくれますが、その代わりにもっちりとした弾力を生みます。これは、ハンバーグのように挽き肉をくっつけるつなぎとしては役立ちますが、から揚げの衣のようなパリッとした食感を出そうとするには不向きなんです」


 衣を入念に混ぜ合わせていくと、やがてトロリとしたクリーム色になり、肉全体を覆いつくした。

 ここまでくると、これがカエルであるということ忘れてしまいそうだ。


「では、いよいよ揚げていきます。前回のムニエル同様、お肉が硬くならないように、火力は弱火に設定します」


 鍋の中に肉全体が浸る程度、油を注ぎ、熱していく。

 氷彗の火加減は徹底していて、加熱中ずっと調理用温度計を凝視していた。


 液晶が120℃を指したところで、氷彗はゆっくりと肉を入れていった。


 ジュワ、ジュワワ——


 油で揚げる音は、葉に降りかかる雨音みたいだ。

 タイマーで四分経ったところで、氷彗はから揚げをさっと金網付きバットの上に取り出した。

 表面の油がてかり、おいしそうなきつね色を主張している。


「おぉ! きれいな衣の色! じゃあ、さっそく……」

「まだです」

「へ?」


 完全に食べる態勢に入っていたうららは、目を丸くする。


「ここからもう一手間、二度揚げに入ります」

「串カツ屋でやったら怒られる行為のこと?」

「それは……二度付けです」


 氷彗はおずおずと突っ込みを入れてくれた。


「一度目に揚げた際は、お肉が硬くならないように弱火にしました。つまり、お肉をおいしくする作業です。対して二度揚げは、衣がサクッとなるように、強火で一気に揚げます。つまり、衣をおいしくする作業なんです」


 ぐつぐつと煮立った油に、から揚げを再び投入させる

 二度目に揚げる音は、先ほどよりも強い雨音を連想させた。

 こちらはカラスの行水程度の短さで、さっとから揚げをすくい出す。


「最後にポン酢を添えて……出来上がりです!」


 盛り付けられたから揚げは、パッと見れば骨付きフライドチキンと大差ない。

 前もってカエル肉だと知らされていなければ、簡単に騙されてしまいそうだ。


 食欲はとっくに警戒心を解いているものの、先入観がわずかにブレーキをかけてくる。

 しかし、向かい合って座った氷彗は、すでに手を合わせていた。

 これは、腹をくくるしかない。


「では、いただきます!」


 手羽先と同じ要領で、骨を摘まみ、衣に歯を立てる。

 サクッと小気味良い音が口の中で弾けたかと思えば、閉じ込められていた肉汁が、醤油ベースの下味と共にジュワっと溢れだした。


 食感は鶏肉に近い。

 でも、ほろほろと肉がほどける感じは、白身魚だ。


「不思議……カエルってもっとグニグニしているイメージがあったけど。噛みごたえの割には、簡単にお肉がほどけて、さっぱりしてる」

「どうでしょう?」

「おいしい! ちょっとしたパラダイムシフトだよ!」


 今度は、ポン酢に付けて食べてみる。こちらも絶品だ。

 下味の醤油とポン酢が絡まり、淡泊な味わいのカエル肉とよく合う。奥に潜むニンニクとショウガが、ますます食欲を刺激した。


 食べ方を色々と試しているうちに、皿にあったから揚げ十個は、いつの間にかなくなってしまった。

 もしこれが鶏肉なら、胃にもたれて二人ではとても食べきれなかっただろう。


「ごちそうさまでした~」


 食後の余韻に浸ったところで、氷彗は思い出したように尋ねてきた。


「ところで、塔山さん。こんなにたくさんのカエル肉、どこで手に入れたんですか?」

「あぁ、それね。教授からお祝いとしてもらったの。ちょうど今日、手間取っていた論文の再投稿が終わったから」


 まさか、それが生物実験用のカエル肉とは思わなかったけれど。

 

「お、おめでとうございます! お疲れさま、でした!」


 料理中の流暢さは鳴りを潜めて、氷彗はいつものたどたどしい喋り方に戻る。

 それが何だか可愛くて、うららはクスリと笑みをこぼした。

 

「ありがとう。頑張れたのは、鳥見川さんのおかげだよ」

「私……ですか? 何も、してないと思いますけど」

「ううん。沢山してもらってる。修正で切羽詰まった時も、鳥見川さんがこうして料理を作ってくれたから、元気も出たし頑張れた。私はそう思ってる。だから、ありがとう」


 自分で言っていながら少し恥ずかしいなと思ったが、目の前の氷彗はその数十倍、恥ずかしそうに頬を赤らめていた。

 きゅっと閉じられていた唇が、わずかに開く。


「お、お粗末様です」


 氷彗の回答は、ちょっとズレているようだった。

 変な沈黙が訪れる前に、うららは話題を変える。


「あ、そうだ。話は変わるんだけどさ、来週の月曜の夜、友達と一緒にお菓子作るんだ」

「……そうなんですか」

「だから、鳥見川さんもよかったら一緒にどう?」

「——っ!?」


 バネ仕掛けの人形みたいに、ビクッと視線が持ち上がった。

 それに合わせて、長い黒髪がふわりと波打つ。


「ふ、ふつつかものですが、よろしくお願いします」


 やっぱり、氷彗の回答はどこかズレているようだった。


(注意:今回は【裏編】に続きます)

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