第28話 ゲーム・スティック・ビスケット(前編)
こちらのお話は、
・二人がご飯を作って食べるだけのお話です。
・ファンタジー要素はありません。
・幽霊、あやかし要素はありません。
・ミステリー要素はありません。
また、科学的説明はあくまでスパイスです。
つまらなかったり、面倒くさければ、読み飛ばしてもらっても全然大丈夫です。
以上の点にご注意の上、お腹を空かせてお読みください。
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☀☀☀
田宮の居室は、研究棟の四階廊下の突き当たりにあった。
そのドアの真ん中には細長いガラスがはめ込まれている。
室内の光が漏れだしていれば、それは彼が在室しているサインだ。
トントン、とうららはドアをノックする。
指導教員の元に議論しにいくのは、院生にとってごくありふれた日常だ。
しかし、このときばかりは就活の面接さながらに緊張していた。
「どうぞ」
その声が聞こえると同時に、ドアノブ回す。
「失礼します」
入って室内を見渡すと、ここは相変わらず書類の山で埋もれていた。
事務、研究、企業の各方面から毎日雪崩のように書類が送られてくるのだから仕方ないのだろうが、それでもどうしても気になってしまう。
「おや、塔山くん?」
田宮はこちらの来訪が意外だったようで、瞳をわずかに見開いた。
年季の入った眼鏡の銀縁に指がかかる。
「どうしました? ディスカッションの予定は明日のはずですが……」
「今日はお願いがあって来ました」
「お願い?」
「先日、ラボのメールで送られてきた共同研究のテーマについてです」
「あぁ、例のアミロイドベータの」
「まだ誰も手を挙げていないようなら……あれ、私にやらせてください」
前置きは無しにして、単刀直入にうららは申し出た。
勢いよく頭を下げると、下がった視界に癖のある髪の毛が揺れる。
「いいんですか? 今のテーマは?」
「それも並行して進めていくつもりです。シミュレーションの待ち時間を使って……上手く両立させようと思います」
気を付けようとしていたが、最後の方は自信なさげな声になってしまった。
了解を取り付けるため、口では大丈夫と言ってみたものの、実際どうなるのかは分からない。
それが他の研究室から提案された共同研究となればなおさらだ。
しかし、それでもうららにはこの研究に携わりたい理由があった。
「なるほど。興味本位というわけではなさそうですね。いや、僕らのやってる研究は本来、それでいいのですが」
ぶつぶつと呟きつつ、田宮は自分の考えをまとめていく。
やがて顎に添えられていた指が離れると顔が持ち上がり、こちらを見据えた。
「しかし、きっと大変ですよ。何せこのテーマは基礎研究でありながら、アルツハイマーの解明にも繋がりますからね。社会的還元性が期待できる分だけ人気ですし、競争もますます激しくなっていくことでしょう」
「……そこは望むところ、と言っておきます」
今度は視線も声もブレることなく、はっきりと言うことができた。
その決断を後押ししたのは、先日の出来事だった。
遺伝子検査の結果が返ってきたのだ。
うららは陰性だった。
父親に認められたような遺伝子異常は見つからず、その結果を聞いて母親は泣いて喜んでいた。
しかし、うららはほっとする反面、それだけで終わらせたくない気持ちもあった。
だから今回の選択は、自身に対する決意表明みたいなものでもある。
その全てを田宮に伝えることはしないが、それでも彼はこちらの様子から何かを感じ取ったのだろう。
最後には真剣だった表情を崩し、いつもの柔和な面持ちに戻る。
「分かりました。次の研究室会議で異論がなければ、先方にあなたを紹介することにしましょう」
「あ、ありがとうございます!」
あまりにあっさりとした認可に、高揚感より先に驚きが沸き上がる。
おかげで返事は声が裏返ってしまった。
再び頭を下げようとすると、田宮は「お礼は結構ですよ」と首を振る。
「私はテーマを投げただけですから。それよりも……あなたには他に感謝するべき人がいるのでは?」
顎髭をいじりながら、田宮はふっと鼻を鳴らした。
心の中に思い浮かべた相手を見透かされたて、うららはぎょっとする。
これが年の功と言うやつなのだろうか。
「は、はい……」
指導教員の予想通り、うららが今すぐにでもお礼を言いたい相手は別にいた。
しかし、彼女に純粋な想いを届けるには、もっと勇気がいりそうだった。
(中編に続きます)
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