三節 「それぞれの思い」
気まずい。何だろう、この3人に流れる異様な空気は。彼らは宿泊中、殆ど言葉を交わしていないように見える。
テオボルトは村の診療所で療養中の仲間を看病するため、日中は毎日外出する。宿にいるのは夜ぐらいのものだ。ハルバートは殆ど部屋から出てくることはなく、朝昼晩の食事も満足に摂っているとは言い難い。セリアはと言うと、何やら神妙な面持ちでハルバートの部屋の扉を見つめたり、ロビーで一人、物思いに耽ったりしているのをよく見る。
これはさすがにおかしい。彼らの間で何か問題が起きたとしか思えない。
察するに、その療養中の仲間とやらが、こんな惨事を生み出した要因と見て良いだろう。具体的に何があったかは分からないが、あの落ち込みようから見て、その責任は多分ハルバートにある。
そしてテオボルトは、おそらくその要因となった人物と非常に親しい関係にあるはずだ。親友か恋人か、肉親……あるいはテオボルトの一方的な片思いの相手だという可能性もある。これも実際のところはよく分からないが、診療所へのあの熱心な通いようから見ても、少なくともテオボルトにとって無視できない存在だということは間違いない。
セリアはこの件に関して当事者性は低そうだ。彼女からは、現状に対して常に一歩引いたような、あるいは現状を打破するための正解を探っているような……そういった第三者的な動きを感じる。おそらく仲間でありながら部外者、という一番厄介な役回りになっているのだろう。可哀想に。
しかしセリアは、テオボルトほどの熱心さでは診療所に通っていない。たまに様子を見に行ってはいるようだが、どちらかと言えば彼女はハルバートの近くに居たい気持ちの方が強そうだ。
セリアとテオボルトの2人共が外出してハルバートを独りにする訳にはいかない、というのも当然あるだろうが、僕にはセリアがもっと感情的な部分でハルバートに寄り添いたいと考えているような気がする。
とすると、セリアはこの物語のヒロインなのかもしれない。主人公の傍で、主人公と共に歩んでいく存在。彼女はそういった人物であるように見える。ハルバートとは年も近そうだし、ない話ではない。
もう一人の連れという人物が女性だった場合は少し怪しいが、仮にそうだったとしても、この「セリアヒロイン説」はかなり有力ではなかろうか。少なくとも、数日間ぼんやり眺めていた
僕には主人公が誰かは分かるが、ヒロインが誰かは分からない。別にそれで困ることもないので基本的には構わないのだが、物語の現状が全く分からない、というのも気持ちが悪いものだ。
だから僕は、登場人物の役回りだとか人物像だとかを暇さえあればこういった要領で推測して、何となく自分の中で腑に落ちたら満足することにしている。本当にこの推測が合っているかは、あまり重要じゃない。日常的には、これぐらいしかやることがないだけだ。
……などと夕食後のロビーで雑多なことを考えていたら、2階で扉を叩く音が聞こえた。
「ハルバート、まだ起きてる? たまには外の風にも当たった方がいいわよ?」
セリアが扉越しにハルバートを呼んでいる。所詮、小さな村の小さな木造家屋だ。1階にいても、2階の廊下の声は難なく聞こえる。
「ああ、そう……かもな。そうしようか……」
食事の後、早々に食堂から部屋に戻ったハルバートがセリアの声に応える。今までの様子だとてっきり外出など断るものかと思っていたが……。まあ彼もさすがに、今のままでは良くないと思い始めたのかもしれない。
「ハルバート……」
セリアが寄り添いながら、ハルバートはロビーまでゆっくりと階段を降りてきた。まともに食事を摂ってないせいもあるだろう、その足取りはこの宿を訪れた時よりも更に力ない物になっている。
「いってらっしゃいませ……」
ロビーのカウンター越しに、宿を出る2人を見送る。彼らのために何か出来ることがあればいいのだが、残念ながら僕には彼らの無事を祈ることしかできない。そういう風になっているのだ。
2人が宿を出て間もなく、テオボルトが浴場から姿を現した。いつもの重鎧は部屋に置いているようで、袖のないシャツに皮のズボンという、随分とラフな格好である。
肩口から抜き出る、鍛え上げられた三角筋と上腕二頭・三頭筋が目に入る。加えて、シャツの上にまで浮き出た大胸筋や僧帽筋は、これでもかと湯上りの蒸気を纏っていた。
テオボルトは2階の方を一瞥した後、ロビーのテーブルに着いた。宿の中の人の気配で、何となく2人が出かけたことに気づいたのだろう。その後は一時、外の方を見ながら何やら考え事をしているようだった。
しかしそれも、身体から昇る湯気が消える頃には一段落したようだ。
「主人、悪いが茶を一杯淹れてくれ」
そう僕に頼むと、そのお茶をさっさと飲み干して、部屋に下がって行った。
テオボルトも何かしら複雑な立場に置かれているのは間違いない。しかし彼も、ハルバートやセリアとの関係が今のままで良いとは当然思っていないはずだ。一刻も早くこの問題を解決して、また4人で旅に出なければならない。
そう、彼らは勇者一行なのだ。
しかし先ほどの外を眺めるテオボルトは、ハルバートの外出を良い傾向だと感じていたのか、それとも他に何か考えるべきことがあったのか……さすがにあの短時間では、部外者の僕には推し量ることさえできない。ただ少なくとも、彼らの問題が解決するには、まだまだ時間が掛かりそうだ。
まあ……仕方がないか。僕にはどうすることもできない。気長に待とう。
テオボルトが去った後のロビーで、何とはなしに窓に目を遣る。外はすっかり暗くなっており、空には半分欠けた月が浮かんでいた。ふと目を返した室内は、ランプの暖かい光にぼんやりと包まれている。
2人が帰ってくるまで、僕はロビーに残っていた方が良いだろう。今のハルバートの状態を考えると、そんなに遅くもならないはずだ。
おもむろに、カウンター脇に置き去りにしていた本を手に取ってみる。タイトルを見てもそこまで興味はなかったが、彼らを待っている間の暇潰しぐらいになればいい。
僕は手元にある全く内容を覚えていない本の栞を、そっと外した。
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