五節 「Speak of the devil.」

 スタッフルームの扉には小窓があり、そこから部屋の中の様子がどうにか伺えた。


 僕を背後から圧し潰すゾンビ達の喧騒は一旦無視し、扉の向こうに聞き耳を立てる。


「はぁ、はぁ……。とりあえず……一度休憩かな」


「えぇ……。流石にこう走りっ放しだと、限界が来るわ……」


 レイとシンディーがその場に座り込む。


 レイの背中にいたエイミーはその場にゆっくりと降り、彼の顔を心配そうに見つめていた。


「ごめん、皆。俺……」


「待て、クソガキ。静かにしろ」


 ジェームズの言葉を、ウィリアムが即座に遮る。ジェームズは一瞬むっとした表情を浮かべたが、ウィリアムの視線の先を捉え、すぐに臨戦態勢に入った。


「先客がいたみたいだな……」


 ウィリアムがぼそりと呟く。薄暗いスタッフルームの奥では、もぞもぞと人影のような物が蠢いていた。


「1体だけか……? じゃあ……俺が!」


 ジェームズが鉄パイプを構えて、影へと向かって行く。


 しかしジェームズは距離を詰め、目の前の敵へと腕を降り下ろす瞬間、ぴたりとその動きを止めてしまった。


「なっ……!」


「おい、何をやってる! 早くやれ!」


 ウィリアムは怒鳴るが、それでもジェームズの腕は彼の頭上で止まったままだ。


 一方、影の方はジェームズを捕えようと目の前にまで迫ったが、彼はそれを間一髪で回避した。


 勢い付いた影が、態勢を崩してウィリアム達の前に現れる。


 それは――。



「なるほど、ここにいたか……」


「いやッ! キース!」



 ――身体中を食い千切られ、意思無き屍となってなお歩き続ける、キースその人だった。



 ……もちろん僕は知っていたが。



 キースは目の前にいたウィリアムへと襲い掛かる。既に彼は、見境なく生者を食らう怪物だ。


 ウィリアムは、即座に拳銃の照準をキースの頭に合わせた。


「待ってくれ!」


 彼がまさに引き金を引こうとしたその瞬間、部屋の奥にいたジェームズが、キースとウィリアムの間に駆け込んで来た。


 ウィリアムは、思わずそのままの姿勢で硬直する。


 ジェームズは襲い掛かるキースの両腕を鉄パイプで受け止め、そのまま押し退ける。キースはバランスを崩し、仰け反りながら後退した。


「何してんだ、クソガキ! 撃ち殺されたいのか!」


 ジェームズに向かって怒声を浴びせるウィリアム。


「これはキースなんだ! もしかしたらまだ、意識が残ってるかもしれない!」


「夢見てんじゃねえ! そいつも他の連中と一緒だ! もう今更助からないんだよ!」


「そんな事……やってみなけりゃ分からねえだろうが!」


 ジェームズは鉄パイプをその場に捨て、素手でキースへと立ち向かう。


 キースの反応はやや遅れ、ジェームズはがっしりと彼の腕を掴み取った。


 腕を使えなくなったキースは、どうにか首を使ってジェームズへと噛み付こうとしている。しかしその必死の攻撃も虚しく、キースの歯がジェームズに届く事は無い。


「キース! 俺だ! ジェームズだ! 分かるだろ……俺たちは仲間だ!」


「がぁっ! うぁあぁっ!」


 ジェームズは必死の形相で、キースに語り掛ける。


 しかし、既にゾンビと化してしまった彼に、その言葉が届く事はない。


「お前と俺は、グロウ・コーストの難民キャンプで出会ったんだ! お前は頭の切れる奴で、俺たちはいつもお前の策に頼ってばっかりだった!」


 ジェームズは声を上げる。


 一縷の望みに――賭けながら。


「なあ、キース! 俺……俺、まだお前に何も恩返し出来てねえよ……! こんなの、嘘だって言ってくれよ……! なあ、キース……こんなのって、こんなのってねえだろ……。なあ……キースっ……! 返事をしてくれよ……!」


 ジェームズは、最早その声が届かないと悟りつつあった。


 しかしそれでも、ジェームズは彼の名を呼ぶ。彼の嗚咽交じりの声は、スタッフルームを優に超え、ゾンビの群がる外にまで響いていた。


 キースはその場で暴れるばかりだ。ジェームズの腕も小刻みに震え、限界を迎えつつある。



 そしてついに、キースの力に堪え切れなくなったジェームズは、掴んでいた手を離してしまった。



 どうする事も出来ず、迫り来るキースに押し倒されるジェームズ。



「ジェームズ!」



 ――刹那、ウィリアムの声と共に、一発の銃声が鳴り響いた。



 床に尻餅をつくジェームズの上に、キースが覆い被さるように倒れ込む。


 しかしジェームズに身体を預けたキースは、そのまま微動だにしない。



 ――キースはその額から、床に向かってだらだらと血液を垂れ流していた。



「……ウィリアム! なんでだよ!」


 即座に状況を理解したジェームズは、そのままの姿勢で首だけを振り返り、ウィリアムに叫ぶ。


「それは……お前が一番分かってるはずだ」


 それに対し、ウィリアムは静かな声で返答した。


 初めは怒ってさえいるかのようなジェームズだったが、ウィリアムの言葉で一瞬にして悲痛な面持ちを浮かべ、さっと俯く。



 そして彼は、もう動く事のないキースの横顔をおもむろに見つめ、呟いた。



「……すまねえ、キース。だけど、こんな俺に付いてきてくれて……ありがとう」

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