四節 「Set a thief to catch a thief.」

 駅構内を徘徊していると、案外簡単にくだんの少年は見つかった。


 生きた状態でどこかに隠れているかも、と考えるとそう簡単には見つからないのかもしれない。


 僕は初めから彼がゾンビになっている事が分かっていたので、ジェームズ達よりも早く見つけ出すことが出来たのだろう。



 さて、目的は果たしたので、後はジェームズ達がこの少年を見つけ出すのを待つだけだ。



 僕はゆっくりと歩く少年のゾンビに、10m程後ろから追従する。


 生きた人間を追い掛けるのは随分と手間だが、同じゾンビを追い掛けるのは難しい事ではない。同等のハンデを背負った状態ならば、他の世界で尾行をしていたのと同じ要領で追い掛けられる。


 その上、今回は尾行対象に気付かれる心配する必要もない。


 案外、ゾンビと言うのも便利な物かもしれない。


「ぁあ……」


「ぁ……ぁあ……」


 彼の謎の呻きに呼応して、僕も呻いてみる。特に意味のある行動ではないが、ゾンビを満喫する事のできる稀有な機会だ。少々の遊び心は許されるだろう。


 僕が背後でゾンビごっこに興じていると、彼はそのまま扉が開放された部屋へと入って行った。


 ある程度近付いて部屋の中を覗いてみると、オフィスらしき空間が広がっているようだった。部屋中に紙類が散乱しているが、デスクやラックが元のオフィスルームを想起させる。


 駅にあるオフィスか――。


 とすると、おそらく彼が入室したのは、本来であれば駅員が集まるはずのスタッフルーム辺りだと考えるのが妥当な所だろう。彼がここに何か思い入れでもあるのか、それともただ偶然に迷い込んでしまったのかは不明だ。


 とにかく僕も彼に続こうと部屋の入り口に差し掛かった所で、僕の目元に懐中電灯の光が刺さる。


 遅れて訪れるのは、聞き覚えのある喧騒。


「ちくしょう! キース、どこにいるんだよ!」


「キース! いたら返事をして!」


 ジェームズとシンディーの声だ。


 その大声がゾンビを集める結果になっているとは思うのだが、まあ今はなりふり構っていられる状況ではないのだろう。


 その少年ならここにいるよ、と教えてあげたいところだが、流石にこの姿では無理だ。


 急いでこのまま僕もスタッフルームへ入ろうか少しだけ悩んだが、とりあえず今はジェームズ達に襲われる訳にもいかないので、彼らから距離を取ることにする。


 彼らが向かってくる方向とは逆側に歩を進める。ゆっくり、ゆっくりと脚を引き摺りながら、僕は彼らから逃げる。


 しかし彼らの足のほうが圧倒的に早い。その声が、徐々に僕との距離を縮め始めているのが分かった。


 彼らとの距離が10m程に差し迫ったところで、僕の足はぴたりと止まった。


「うぁ……?」


 何が起きているのか分からず、一瞬の戸惑いが僕の腐った胸中をぎる。しかしその困惑は、自らの行動によって狼狽へと変わった。



 僕の足は、勝手にジェームズ達の方へと向かい始めていた。



 初めは全く意味が分からなかったが、少しだけ思案すると解答が見えてきた。


 僕は「加筆修正アド・リビトゥム」なしで、物語に干渉することが出来ない。


 そして今、僕はおそらく近付いて来ていたジェームズ達から視認される距離に入った。


 すなわち、僕がパニックホラー物のゾンビである以上、主人公達の視界内において、自分の意思では逃走する事が出来ないと言う事ではなかろうか。


 考えてみれば、シンプルな答えだ。確かにゾンビ物のゾンビが主人公達から逃げている様なんて見た事がない。おそらくそんな事をやっていいのは、しっかりとした設定を持った主役級のゾンビや、せいぜい脇役級のゾンビだけだ。


 しかし僕は端役だ。ただの名も無きゾンビだ。


 であればこそ、僕が主人公から逃れることは出来ない――。



 ……いやいやいや! それは分かったんだけど、あまり近付くと殺されるんですが!


 ここで死ぬのはごめんだ。今は結構、物語的に盛り上がりそうな所なのだ。


 主人公たちの仲間だった少年がゾンビと化した状態で現れる。主人公たちは選択を迫られるはずだ。彼をどうするべきか。彼と戦うことが出来るのか。


 仮に僕が死んだとしても、また生き返れると言う保証はない。過去、偶然に死んでもどうにかなった事はあるが、それが常にそうであると言う保証はないのだ。


 であればこそ、これから訪れるであろう展開を見逃す可能性として、ここで殺されるのだけはどうしても避けたい。


 僕がジェームズ達と出会うより早く……出来れば、彼らがスタッフルームを横切るタイミングで、キースが姿を現してくれないだろうか……!


 しかしそんな願いも虚しく、キースが部屋から現れることは無い。


 そのまま、僕の足はどうしようもなくジェームズ達へと向かって行く。


 僕は最悪の場合を想定し、頭の中で「加筆修正」の準備を始めた。



 その距離、5m――。



「おい! 一旦、その部屋に入って態勢を整えるぞ!」


 ウィリアムが叫んだ。


「そんな悠長にしてる場合か、ウィリアム!」


「てめえは自分の事だけじゃなくて、もう少し周りにも目を配りやがれ!」


「っ……!」


 ジェームズが後ろを振り返ると、シンディーとレイは、息も絶え絶えにどうにか彼らに付いてきている様子だった。


「……分かったよ」


「決まりだ! 入ったらすぐに扉を閉めろ! 1匹たりとも中に入れるんじゃねえぞ!」


 ジェームズの返事を聞いて、即座に先頭のウィリアムがスタッフルームへと飛び込む。続いて、ジェームズ、シンディー、エイミーを背負ったレイの順で彼らは部屋へと雪崩れ込んで行った。


 最後のレイが部屋に入るとすぐ、彼の背中にいたエイミーが手を伸ばして扉を閉める。直後、ガチャリ、と扉を施錠する音が周囲に響いた。


 内面とは裏腹に必死で彼らを追っていた僕は、そのままの勢いでスタッフルームの扉へとしたたかにぶつかる。



 ――助かった……のか?



 どうやら僕は一命を取り留めたようだ。ウィリアムの機転に、感謝せねばなるまい。


 イメージし始めていた銃を脳内から消し去り、僕は胸を撫で下ろす。



「ぉおぅっ……!」



 しかしその直後、僕は同じように後ろから駆け込んで来たゾンビ達と目の前にある扉の間に挟まれ、背後から死肉に詰め寄られると言う、不愉快極まりない体験をする羽目になった。

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