八節 「もうこの手は、離さない」
涼太を学食に放置して、僕も海斗の後を追う。
涼太は呆れ返っていたが、僕がアクティブに何かをしているのも物珍しいようで、易々と解放してくれた。
海斗の向かった場所は分からないが、海斗が向かった先ならある程度想像は付く。先ほどの話の真偽を確かめるため、晴夏の下へ赴くはずだ。
となると晴夏がいる場所を探すのが手っ取り早い。確か晴夏は昼休み中、教室周辺にいることが多かった気がする。僕は足早に教室へと帰った。
教室前に到着した所で、廊下の先に晴夏の手を引く海斗の姿が見えた。少し遅かったが、概ね予想は当たっていたようだ。
しかしここで見失ってしまうと、本当にどこに行ってしまったか分からなくなる。急いで追い掛けなければ。
そう言えば、先に追い掛けたはずの誠の姿を見掛けない。
追い付けると思って追い掛け始めると、姿を探してばかりで、どこに行くのが妥当かと言う事に頭を割けないのかもしれない。冷静なように見えても、この状況では流石の誠も焦っていると言う事だろう。
何にしても今の僕にとっては都合がいい。彼らの顛末を見届けるには、僕以外に外野がいては近付くことさえ出来ない可能性がある。
少しずつ距離を詰めて2人を追い続けていると、海斗が階段を昇り始めた。上の階まで延々と昇り続けている。
行先は大体分かった。屋上に行くつもりだろう。
校則上は生徒立ち入り禁止であるが、物理的に入れない訳ではない。そもそも屋上の扉には鍵がないので、貼り紙さえ気にしなければ誰だって入れる。勿論、見つかれば反省文だが。
海斗が屋上の扉を開け放ち、2人は広い空間を占拠する。
出来れば僕も屋上に侵入し、近くで話を聞きたいところだが、これだけ開けた空間に身を隠す場所はない。やや聞き取り辛くはあるものの、扉に少しだけ隙間を作り、僕は彼らの会話に集中する。
「ちょっと! どうしたの、海斗!」
海斗の手を振り払い、晴夏が業を煮やして責め立てる。晴夏からすれば、突然海斗が乱心でもしたように見えるだろう。
「あ、悪い。つい……」
海斗もようやく我に返ったようで、今の状況を顧みる。
彼自身も何故ここまで衝動的に動いてしまったのか分かっていない様子だ。しかし、ここに到着するまでに膨らんだ彼の感情だけは、間違いのない物として胸に刻まれているはずである。
「急に何? 怖い顔して突然連れ出して。私、何か怒らせるようなことした?」
強引にここまで連れて来られた事で、晴夏はやや喧嘩腰である。それでなくても最近は会話が減っていたのだ。突然のことで戸惑うのは尤もである。
「いや、別にそういう訳じゃないんだけど、その……」
「言いたい事があるならはっきり言ってよ」
「あー、そうだよな……何を俺はウジウジしてんだか……」
海斗が、自身の臆病さを責める。ここまで晴夏を連れてきてしまった事実はもう変わらない。であれば、彼女の口から本当の事を聞くしかないはずだ。
ここでまた逃げ出せば、もう2度と彼女に会えないのかもしれないのだから。
「あのさ、晴夏。ちょっと風の噂で聞いたんだけど」
「何?」
「お前……2学期までで転校するって本当か?」
それでいい。海斗は一歩を踏み出した。海斗は、晴夏と向き合うために、直接真実を聞き出す事を選択した。
それだけでも、彼にとっては大きな進歩だ。
「……え? 何それ、初耳なんだけど。え、私、転校するの? 何で?」
拍子抜けしたように、晴夏が声を漏らす。突拍子もない海斗の発言に戸惑いを隠せないようである。
当然だ。僕が適当に思い付いた出鱈目なのだから。そんな事実はない。
「え? いや、知らないけど。え? 晴夏、転校しないのか?」
「しないよ? 何言ってんの、海斗? ていうか誰から聞いたの?」
「えっと、あれは……誰だっけ? 多分クラスのやつ」
まさか右斜め前の席を陣取っている僕の、名前すら覚えていないとは。
思っていた以上に海斗にとって僕は無関心な存在だったようだ。端役だと分かっていても、流石にこれはショックを隠せない。
「へー、なるほどね。で、その誰が言ったかも分からないような噂に焦って、こんな人気のない所に私を連れ込んだんだー?」
「あ、それは……」
その通りである。
「海斗……バカだね! あはは!」
思わず晴夏が吹き出す。ようやく事の次第が分かって晴夏も安心したようだ。
「で、どうすんの? 海斗は」
「は? どうするって?」
「教室中、あんなに人が見てる中でこんなことやったんだから、タダでは帰れないでしょ~!」
晴夏が悪戯っ子っぽく笑う。つい午前中まで、殆ど会話を交わさなかった2人だとは思えない。少なくとも、その関係性は既に修復しているようだ。
しかし、それでは足りない。海斗にとって、それはゴールではない。
あとは、更にもう一歩を踏み出せるかだ。
「あー、確かにそうだな……。どうしよう……?」
既に自分の保身で頭がいっぱいになっている海斗。これだから海斗はダメだ。男らしさを見せてくれ。晴夏ともう会えないと思った時の海斗の感情を、ぶつければ良いだけなのだ。
「どうする? 私に告白とかしちゃう?」
「はっ……?」
「はは、冗談だよ! だけど、そんな勢いだったよ~、海斗!」
流石にちょっと驚いた。晴夏側からゴールを仕掛ける展開なのかと、内心焦ってしまった。
しかし今の晴夏のオフェンスは非常に良い。今の発言で少しは海斗も晴夏を意識しただろう。
「だったら……お前も覚悟しろよ」
「え?」
海斗が晴夏を見据え、何事かを呟く。突如神妙な面持ちに変わった海斗の表情が、漠然とした不安を晴夏に与える。
「……今度のイブ。10時に駅前で待ってるから」
「それって……」
海斗が、晴夏をデートに誘った。
距離がある分、聞き取りづらかったが、多分間違いないはずだ。
晴夏はもう少し明瞭に聞こえていたはずだが、単純に突如発した海斗の言葉の真意を、捉えられずにいるのだろう。しかし大抵の発言は、言葉通りの意味だ。
「2日後! クリスマスイブ! 10時に駅前で待ってる!」
はっきりと、今度は大きな声で晴夏に告げる。聞き間違えた可能性はない。
海斗の耳は、この距離でも判る程に赤く染まっていた。
「本気で、言ってるの……?」
「俺はお前と違って、冗談は苦手なんだ……」
そっぽを向いて、自分の顔を見せまいとする海斗。対して驚愕と困惑で俯く晴夏の耳も、海斗とお揃いに真っ赤に染まっていた。
「分かった。……だけど、ちょっとだけ考えさせて」
「ああ、好きなだけ考えてくれ。別に答えを聞かせてくれなくてもいい。ただ俺は、その日その時間に、そこで待ってる。何十分でも何時間でも……待ってるから」
今度は、しっかりと晴夏の目を見て告げる海斗。晴夏が答えを保留にしたのは、やはり結以の事があるからだろうか。
「うん、分かった。……待っててね」
初めは冗談で言ったつもりの晴夏も、こうして面と向かって思いを告げられれば、自ずと内に眠る感情に気付かされるはずだ。彼女が結論を出すのは、そう遠い未来の話ではないのだろう。
ようやく、彼らは進展した。自分たちの想いに、向き合えたのだ。
「そろそろ、教室戻るか」
「そうだね……」
2人の間に、もう言葉はいらない。彼らはゆっくりと歩み出した。
――そしてその時、僕は開けていた扉を静かに閉めさせられ、その後、恐ろしい速度で階段を駆け下りていた。
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