三節 「秘めた想いは、隠せない」

 昼休み、涼太と一緒に学食で昼食を済ませ、教室に戻るとそこに海斗の姿はなかった。


 しまった。見失った。


 露骨に校舎内を走り回る訳にもいかないので、それなりの速度を出しながら校内をうろうろとしていると、校舎裏で何やら話し込んでいる様子の海斗と誠を発見した。


 グッドタイミングだ。校舎裏で2人だけの会話。絶対に重要な話だ。僕は校舎の陰に隠れて、彼らの様子を見守ることにした。


「海斗、お前晴夏と何かあったのか?」


「晴夏と? いや、何もないけど……」


 大当たりビンゴだ。話題は晴夏についてのようである。


 誠の質問に対して、海斗は動揺した様子を見せている。核心を突かれたのは明白だ。


「何となくだけど、お前最近、晴夏に対してよそよそしくないか? 今日も2人で昼飯食おうとか言い出すし。前は晴夏とよく一緒に食ってたじゃないか」


「それは、たまにはお前と飯食うのもいいかなって思っただけで……別に深い意味はねえよ」


 海斗の表情が曇る。その様子を訝しげな表情で見つめる誠。


 よそよそし……かっただろうか? 午前中眺めていた感じではいつも通りだったような気がするが。まあその辺りは僕より仲の良い誠の方が鋭敏に感じ取れるのだろう。今は誠の追及に頼る他ない。


「お前、実際のところ晴夏のことはどう思ってるんだ?」


 より踏み込んだ質問を投げる誠。それに関しては僕も非常に気になるところだ。海斗の現状を把握する上でも、ここで是非聞いておきたい。誠は非常に優秀な進行役だ。


「どうって……別に。大事な友達だと思ってるよ」


「大事な友達ね……」


 誠が海斗の言葉を反芻しながら、少し考え込んだ。


 誠の気持ちはよく分かる。僕達が期待している答えはそうではない。しかしもしかしたら、海斗は海斗で、自分の気持ちがよく分かっていないのかもしれない。あれ? 何かこんな話が最近あったような……まあいっか。


「まあ……今のお前にはそうなのかもな。ただあんまり露骨に晴夏を避けたりするのは、好ましい状態だとは言えないぞ」


「避けてるつもりはねえよ。ただ何か、こう……俺にもよく分からないんだよ。ただ最近、晴夏とばかり話し過ぎなのかもなって思って。そうだよ。折角クラスのみんなと仲良くなったんだから、もっと色んな奴らと話してみたいんだよ、俺は」


 海斗、それは違うと思う。海斗が本当にやりたいことは、きっとそうじゃない。確かに海斗の言っていることが間違っているとは言わない。ただ、今の海斗が進みたい道はそこにはないはずだ。


 誠も彼の発言を聞いて、段々と状況が飲み込めてきたようだ。


「なるほどな。まあそれは良い事だと俺も思うから、是非頑張ってくれ。ただその『クラスのみんな』の中には、晴夏も入ってるって事は忘れないでくれよ。他の連中と仲良くなっても、晴夏と疎遠になったんじゃ意味ないだろ?」


「ああ、分かったよ。確かに、お前の言う通りだ。もう少し……あいつのこともちゃんと考えてみる」


 海斗が誠の言葉に渋々と納得する。海斗の中ではまだ腑に落ちないことがいくつもあるのだろう。しかし今回の落とし所としては、これぐらいが限界だろう。誠もこれ以上、海斗を追い詰めるようなことはしたくなさそうだ。


「分かってくれたならよし。さあ、そろそろ授業も始まるから、教室に戻ろう」


「ああ、そうだな」


 2人がこちらに歩いて来る。とりあえず見つかってもことだ。僕は彼らに見つかる前に、また早歩きで教室へ帰ることにした。



  ***



 放課後、何か起きないかと校舎内をうろうろしていると、下の階に降りる階段の踊り場で、僕の知らない女子生徒と話す晴夏の姿を見つけた。


 一日目にして妙にツいている。晴夏サイドで海斗のことをどう思っているかも聞けるかもしれない。


 晴夏が口を開く。


「でさー、その先生がね。『お前ら、話を聞かないなら聞けるようにしてやる。これは俺の初恋の話だが……』とか言って、自分の昔のコイバナ始めちゃったの! ウケるよね~!」


「ふふっ、何それ!」


 もう一人の女子生徒が思わず吹き出す。2人は今日あった出来事をネタに談笑をしていた。


 ハズレだ。そういうこともある。毎回毎回、有益な話が聞けるとは限らない。人生とはそういうものだ。


 踵を返して帰ろうとした矢先、晴夏の声が辛うじて耳に届く。


「それで? ユイ、何か話があったんじゃないの?」


 突如晴夏が声音を落としたことに気付いた僕は、返した踵を更に返し、死角となっている上階の壁に張り付く。


 本題はここからだったか。傍からは女子生徒の近くで360度の回転を行う男子生徒の姿が目撃されたことだろう。だが大丈夫だ。僕は見る立場であって見られる立場ではない。


 ユイ、と言ったか。ユイ、ユイ……。自分のクラスの生徒じゃないのは間違いないが、誰だったかが思い出せない。


 ふわっとしたウェーブの掛かった癖毛に、小動物を思わせる小柄な体格と童顔。見掛けたことはある気がするが、どのクラスだったか。どう足掻いても思い出せない。


 ……こういうときは、潔く諦めるのも手だ。


「あの、実は……海斗君の事なんだけど……」


「海斗? 海斗がどうかしたの?」


 突然の海斗の名に虚を突かれたように、晴夏が応じる。


 僕もまさかここで本当に海斗の名前が出てくるとは思っていなかったので、少しだけ面食らった。何にしてもこの場に残り続けて正解だったようだ。


「あの、私、晴夏の事、大切な友達だと思ってる。それで、晴夏が海斗君の事、どう思ってるのかって言うのも……何となく気付いてる」


「私が海斗の事を……?」


「ふふ、その様子だと晴夏自身はまだよく分かってないのかな? だけどね、私は、私の中の気持ちがもう形になっちゃったの……」


 ユイが俯き気味で晴夏に伝える。


 ぼんやりと聞いていたが、状況は随分と進行していたのかもしれない。これまで僕が何となく学校生活を過ごしていた中で、既に物語はこれでもかと前へ進んでいたのだ。


 ユイの言葉が意味する所はただ一つ。



「それってもしてかして……」


「うん、私、海斗君の事……好き、になっちゃった……」



 俯いたまま目線だけを上に向け、晴夏へ告げるユイ。


「えっと、いつから……?」


 晴夏が困惑した様子で、ユイに尋ねる。その声は、少しだけ震えているようにも感じられた。


 僕は全く知らなかったが、海斗には女子生徒の知り合いが晴夏以外にもいたようだ。これは晴夏が必ずしもヒロインだとは限らない状況である。このユイなる少女がヒロインだという可能性も捨てきれない。


 ただし、この時点で一つだけ確定した事実がある。それはこの世界が「学園恋愛物」だということだ。


 ……やはり、ちょっと苦手なジャンルだ。


「最初は、夏休みにみんなで海に行ったとき。夜のお祭りで2人だけになった時があって、出店で子供みたいにはしゃぐ海斗君を見てたら、何となく目を引かれてた……」


 夏休み。僕が一切関与できない時期だ。僕が涼太の家で謎のカードゲームに勤しんでいた間にも、彼らの青春は進んでいたのだ。


「それから、修学旅行で晴夏が迷っちゃった時は、私と海斗君で探したでしょ? あの時、晴夏の事を一生懸命探してる海斗君を見てたら、何だか胸が苦しくなって……」


「ユイ……」


 そのときの事を、晴夏も思い出しているのだろう。きっとどれも大切な思い出だったはずだ。彼女もきっと覚えている。


「それで、気付いちゃったんだ。私、海斗君の事、好きなんだなって……」


 ユイが自身の思いを吐き出し切る。


 一歩間違えれば、これまでの晴夏との関係性を壊しかねない行為だ。しかしそれでも、ユイにとってこれは必要な行動だったのだ。誰が彼女を責められるだろうか。


「そうなんだ。ユイ、海斗の事をそんな風に……」


「でも、晴夏に伝えるべきか迷ったの。晴夏の気持ちもあるし、それにきっと海斗君も……。でも私、晴夏の事が本当に大切だから。だから――卑怯な事はしたくなかった」


 晴夏が本当に大切な親友だから。だからこそ、ユイはこの選択をした。


 だからこそ、ユイは恋敵になった。


 友達だからこそ――譲れない物があったのだ。


「私、ユイがそんな風に思ってるなんて知らなかった。ずっと一緒にいたのに、全然ユイのこと知らなかったのかも」


「晴夏、私を許してくれる……? 私は晴夏を裏切った。そんな私でも、晴夏は認めてくれるのかな……」


 2人の間に暫しの沈黙が流れる。そしておもむろに晴夏が口を開く。


「私は……ユイの気持ちを大事にしたいな。それに、私は裏切られてなんかいないよ。ユイは私の事を信じてこの話をしてくれたんでしょ? だったらユイは裏切ってなんかない。寧ろ、ユイが私を大切に思ってくれてるんだって分かって、嬉しかったよ!」


「晴夏……!」


 笑顔で答える晴夏に、思わず抱き着くユイ。微かに嗚咽を漏らすユイの頭を、晴夏は優しく撫でる。


「それで、どうするの?」


 自分の胸の内で小さくなるユイに、晴夏が尋ねる。


「告白、したいなって。クリスマスも近いから、一緒に過ごしたい」


「うん、そうだね。私……応援してるよ」


 クリスマス……クリスマスか。そう言えばそんな時期だった。再来週の頭辺りだな。思ったよりも直近にそれらしきイベントが控えていたことをすっかり失念していた。なるほど、それは逃せないタイミングである。


 とりあえず、大体の話は済んだようなので、見つかる前にこの場を離れよう。ギリギリまで眺めて、また全力で走らされるのも酷だ。


 僕はゆっくりと後ろを振り返り、足音を立てないようにその場を離れる。


「私も晴夏の事、応援してるよ……」


 ユイの最後の呟きは、うっすらと僕の背中を追い掛けてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る