四節 「夕日に染まる、その顔は」
翌日。ユイの一件があって以降、いつそのときが来るのかとそわそわしていたが、結局日中は普段通りの日常が流れるばかりだった。
いや、どことなく晴夏の方が、海斗に対してよそよそしくなっているような空気も感じられはした。だが、実際の所はよく分からない。仮に僕の感じた通りだとすれば、晴夏もやはり昨日の放課後の件があって、ユイに気を遣っているのだろう。
ぼんやりと過ごしていると、あっという間に放課後になっていた。ユイが行動を起こすとすれば、もうこのタイミングしかあるまい。僕は海斗から目を離さないよう、それとなく距離を取って後をつけていた。
しかし、何が起きるでもなく、海斗は昇降口に到着した。
もしかして、ユイのクラスのホームルームが遅れているのだろうか? それともやはり踏ん切りが付かなくて明日に延期したのか?
何にしても、これでは話が進まない。もうその後どうなるかが気になって、昨夜は全然眠れなかったというのに。
しかし海斗が上履きからローファーに履き替えたところで、誰かがこちらに走って来る音が聞こえた。その人物は僕の横を過ぎ去ると、息を切らして海斗の目の前で立ち止まった。
ユイだ。やはりホームルームが遅れでもしていたのだろう。彼女の焦った表情を見れば、ここまでいかに急いで来たかが一目でわかる。
「海斗君、ちょっといい?」
「ユイ? どうした?」
「ちょっと……聞いて欲しい話があるから、付いてきてくれないかな?」
「お、おう……」
ユイが海斗を促し、校舎の外へ歩いて行く。海斗もやや戸惑った様子ではあるが、ユイに従った。
その10メートル程後方を、何食わぬ顔で追従する僕。
やがて2人は、中庭に聳え立つ大木の傍でその歩みを止めた。僕は近くにあった手頃な繁みに身を隠す。海斗とユイは木陰の下に立ち、向かい合っていた。
校舎内からの喧騒は届くものの、付近に人の気配はない。がらんとした中庭は、随分と落ちるのが早くなった太陽が、オレンジ色の光を射し込むばかりだった。
「それで、話って?」
まず海斗が口火を切る。催促とも取れるその発言は、ユイがこれから行う事を知っているからこそ、残酷な言葉であるようにも思えた。
「あの、今まで私達……私や海斗君、それに晴夏や誠君達で、色々過ごしてきたでしょ?」
「ああ、そうだな。俺はお前たちがいてくれたおかげで、毎日たくさん刺激をもらえてるよ。本当にありがとう」
海斗は感謝の言葉を口にする。
彼が転入当初のあの状態から、今の明るい人物に変われたのは、やはり周囲の人間の影響があってこその事だ。その中でも、彼ら4人が過ごしてきた日々はきっと特別な物なのだろう。
それは、蚊帳の外の僕から見ても、容易に分かることだ。
「それで、私ね。こんな日がずっと続けばいいなって思ってた。みんなで楽しく、海に行って、お祭りに行って、学校なんかでも笑いながら過ごして。そうやって楽しい毎日がずっと続けばいいなって」
ユイの思いが吐露される。現状を維持したい気持ちは分かる。一歩踏み出さなければ、間違いは起きないのだ。失敗はしないのだ。
けれど、そうも言い続けられない事情がある。彼らが若さという武器を持っていればこそ、時には大胆な勝負に出なければならない時がある。
――たとえそれが、今までの自分の安寧を破壊する行為であったとしても。
ユイはまた、俯き気味で話し続けている。緊張で、なかなか言葉が出て来ないのかもしれない。
対して海斗は、先ほどのユイの発言を聞いて、何やら神妙な面持ちを浮かべている。彼女の発言に、何か気になる事でもあったのだろうか。
「だけどそれじゃ私、満足できなくなっちゃったんだ。欲張りだなって、自分でも思う。みんながいてくれて、その中に私がいて、それだけで十分だと思ってたんだけど……」
「ユイ……」
「だけど、もう私の心が……悲鳴を上げてるの。このままじゃ我慢出来ないって、叫び続けて、苦しいの……」
それでいい。彼女が自分の気持ちに素直になって、悪いことなど何一つないのだ。
「だから、ね。聞いて、海斗君」
ユイが顔を上げて、海斗の目を見つめる。大樹の葉から漏れ出る夕日が、彼女のあどけない顔を、疎らに照らし出す。
さあ、進むんだ、ユイ。誰も君を、責めはしない。
――恋する少女に、罪はない。
「私、海斗君の事が好き。私なんかが何言ってるんだって思うかもしれないけど、好きに……なっちゃったの」
ユイの言葉が、海斗に届く。
彼女の精一杯の思い。彼女が今までに
傍にいるだけなら今までのままが良かっただろう。晴夏の事も思えば、これは愚行にも等しい行為だとさえ思っただろう。
それでも、彼女は自分と向き合った。そして、自分が恋した男の子と向き合った。
誰がそれを、愚かな行為だと嘲笑できるだろうか。
「ユイ、俺……」
困惑した様子の海斗。
今まで傍で仲良く遊んできた友達が、今は自分に対して恋慕の情を抱いている。その事が、純粋に彼にとっては衝撃かもしれない。驚愕かもしれない。
しかし、勇気を出して一歩前に進んだ少女に対して、彼は誠意を持って応える義務がある。
蔑ろには、出来ないはずだ。
「ごめん、ユイ……俺は」
「いいの! 海斗君!」
海斗の言葉を制止するユイ。
面食らう海斗の正面で、俯き加減の少女は、溢れ出る涙を堪えているように見えた。
「いいの、海斗君……。返事は、分かってた。海斗君の目に映るのが私じゃないってことは、知ってたの……」
ユイの言葉は続く。その声は、震えている。
「だから、これは私としての決着。私が、自分自身の思いとお別れするための儀式みたいな物だった……。だから、返事の言葉は……言わなくて大丈夫。出来ればそのまま、口にはしないで……」
ぽつぽつと、ユイの足元に雫が落ちる。彼女は自身の言葉とは裏腹に、きっと胸を引き裂かれるような苦しみを味わっているはずだ。
ユイの恋は、叶わなかった。
だけどその痛みは――きっと彼女を育ててくれるはずだ。
「じゃあ返事はしない。だからその……一言だけ」
海斗はすすり泣くユイにそっと近付き、その震える肩に右手を載せた。
「ユイ……ありがとう」
――その一言を耳元に添えて。
彼の言葉が、ユイにはどう届いたのだろうか。僕には分からない。
しかしユイは、大粒の涙を頬に伝わせながら、それでも健気に笑顔を作り、海斗に返す。
「こっちこそありがとう、海斗君。海斗君のこと、好きになって良かった!」
その言葉を聞くと、海斗は唇を噛み締め、少しだけ俯く。そしてそのままゆっくりとユイの横を通り抜け、校舎へと消えて行った。
海斗がどのような気持ちで感謝の言葉を口にしたかは分からない。ユイがどんな思いで彼を見送ったのかは分からない。
ただ僕に分かるのは、恋に破れた少女が独り、夕日に染まる大樹の下で、嗚咽を漏らして
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