五節 「君が、友達だったから」

 明確な言葉にこそしなかったものの、間違いなくユイは恋に破れた。とすると、やはりヒロインは晴夏だろう。


 次の日、別のクラスだと言う事もあってか、ユイの姿は見掛けなかったが、隣の席の海斗と晴夏は、見るからに壁を作った話し方をしていた。


 そう言えば気になっていたので、昼食の時、涼太にユイの事を聞いてみた。


 涼太は適当に生きているように見えて、意外としっかりしている所がある。実際、彼は生徒会などという組織に所属しており、そこではそれなりに手腕を発揮しているらしい。次の生徒会長候補だという話もときたま耳にするぐらいだ。なぜ何の見所もない僕なんかと仲良くしているのか謎でさえある。


「ユイ……その感じだと、E組の立花たちばな結以ゆいかな? まあ、多分だけど」


 学食のうどんを啜りながら、涼太が教えてくれた。


「立花結以……」


「まあ名前や特徴が分からなかったとしても、桐原や清水とつるんでる別クラスの女子って言ったら、あいつぐらいだから多分間違いない。確か、清水と昔から仲良かったはずだ」


 淡々とした口調で結以の情報を並べる涼太。


 しかし一体いつの間に、これだけ詳細に他人の事を見ているのだろうか。まあだからこそ、人の上に立てる人間なのかもしれないが。


 ただ僕なんかより余程、涼太の方が傍観者に向いているのではないだろうかと思わざるを得ない。


「で、また何で急にそんな話を。恋愛相談か?」


「あー、まあ当たらずとも遠からずって感じではあるんだけどね。的は射てないかも」


「そっか。まあもしその手の話だったら、出来れば俺の所には持ち込まないでくれよ。面倒だし」


 うどんの汁を飲み干す涼太。


 僕も涼太も、割と恋愛やら青春やらとは縁遠い生活をしている。涼太の厄介な事は避けて通りたいという気持ちも分からないではない。ただその割には、生徒会なんて厄介事を引き受けているのには違和感もあるが。


「分かってるよ。何にしても、特に僕にも涼太にも関係ない話かな」


「それならいいけど。じゃあ俺ちょっと生徒会の方に行かなきゃいけないから」


「ああ、了解。じゃあね」


 早々にうどんを食べ終わった涼太が席を立つ。ああ見えて多忙だというのが、何とも不思議だ。出来る人間ほど、焦りを顔には出さない物なのかもしれない。


 しかしこの話が出来たと言う事は、涼太から海斗や結以の話を聞くのは特に干渉に当たらないと考えて良さそうだ。聞く相手によっては余計な噂が立ったりして、遠回しに干渉になり得る話ではあるはずだ。


 これは相手が涼太だから許されたと言う事だろうか? うーん、だとすると、やはり持つべき物は口が堅くて色恋に興味のない友人だ。


 とりあえず僕は、次に起きるかもしれないイベントに備え、冷め切ってしまった目の前のカレーを急いで口の中に掻き込んだ。



  ***



 しかしその後は、思ったよりも何も起きず、週が変わってしまった。


 先週末にかけても、海斗と晴夏はぎこちない会話を繰り広げていた。時折見掛けた結以の方は、自分のクラスの友人たちとそれなりに楽しく過ごしているように見えた。


 もしかして、僕が見ていない所で物語自体は進んでいるのだろうか?


 考えられる展開としては、まず結以が告白の結果を晴夏に報告する展開。そしてこれはおそらく僕が見逃しただけで、先週の内にもう済んでいると考えた方が良い。


 晴夏に関してはそれなりに注意して見ていたつもりだったが、主人公である海斗の動向にも目を配らねばならない。そんな中で、最近別行動の2人共を追うというのは難しかった。先週は優先的に海斗を追い掛けていたので、この件に関してはそれが裏目に出た形になったのだろう。


 他の可能性としては、晴夏が海斗の事を結以に相談したパターン。しかし傷心の結以に対して晴夏はそんな話が出来るだろうか。おそらくこの展開はなかったはずだ。


 後は、海斗が誠に相談を持ち掛ける展開とかだろうか。これはあってもいいが、海斗を注視していた僕が見逃したとは思えない。


 これに限らず、学校にいる間はおそらく海斗周りで特にイベントは起きていないはずだ。その事に関しては傍観者ぼくが太鼓判を押しても構わない。


 とすれば、物語の本筋としては、何かしら登場人物の感情が変化していく様が描かれた可能性が最も高い。こればかりは第三者的立場である僕では、目撃することが出来ない。仮に目撃出来たとしても、さすがに心情までを推し量るのには限界がある。僕の目線で変化を望むのなら、大人しく次のイベントを待つしかないだろう。


 昼休み前、最後の授業は体育。普段体育は、E組と合同で授業を受ける。男子と女子は分かれるものの、ここで自ずと結以の姿を目にすることになるだろう。


 そうか。見覚えがある気はしていたが、体育の時だったか。


 今日の体育は、男子がバスケットボールで、女子がバレーボール。どちらも体育館での授業である。


 学校指定の青いジャージを身に着けた生徒たちが、ぞろぞろと体育館に集合する。体育館はそれなりに広さがあるので、男女が空間を半分に仕切ってそれぞれの競技を行う事になっている。


 女子の方を何となしに見てみると、当然だがそこには晴夏と結以の姿があった。


 2人揃っている状態を見るのは先週以来の事になるが、思いの外普通に会話をしているようだ。少なくともよそよそしくは見えない。流石に会話の内容までは聞き取れないので、実際がどうかは分からないが。


 授業が開始すると、男子はそれぞれが決められたチームに分かれ、2組ごとにローテーションで試合を行う。


 自分達でチームを組ませない辺りは非常に良心的だと言える。僕は涼太以外のクラスメートとは殆ど関わりがないので、いちいちチーム組みを行うのはそれなりに苦痛を伴う行程なのだ。


 海斗と誠は同じチームになったようだ。現在は、E組のチームを相手に試合を行っている。2人共やはり運動神経は良いようで、するすると立ち塞がる相手の横を抜けては、危なげなくシュートを決めている。対するE組のチームは完全に疲弊しているようで、既に大きく肩を上下させていた。


 僕はと言うと、自分が出る順番ではないので、ぼんやりと試合風景を眺めていた。ここでも傍観者である。いや、これは期間限定の傍観者なんだけど。


 そんな折、俄かに女子の方が騒がしくなった。目を向けてみると、一人の女子生徒が座り込んでおり、その周りに教員や他の生徒たちが集まっている。


 目を凝らして、人と人の隙間からその中心にいる人物を捉えてみると、それは紛れもなく結以の姿だった。足首を手で抑えて、苦痛に顔を歪めている。


 察するにボールを取りそこなった際に、挫きでもしたのだろう。この手の種目ではよくある事故だ。


 何となく眺め続けていると、傍にいた晴夏が何やら声を掛けながら肩を貸して結以を立ち上がらせていた。そのままゆっくりとした足取りで、2人は体育館を出て行く。


 これは……不謹慎かもしれないが、2人の会話を聞くチャンスかもしれない。


 おそらく向かった先は保健室だろう。場所さえ分かっていれば、急いで後を追う必要はない……必要はないのだが、肝心の会話を聞き漏らしてしまっては元も子もない。可及的速やかに、僕も保健室に向かいたいところではある。


 さて、どうするか。



 ――まあ、仮病しかない。



 頭の中で歯車ギアを入れ替える。僕は自分の横で体育座りをしたまま器用に寝ている涼太を起こさないようそっと立ち上がり、腹に手を当てて体育教師の元までゆっくりと歩み寄った。


「すみません、先生……ちょっとお腹が痛いので、保健室に行ってきてもいいですか?」


「お? おお、大丈夫か? 付き添いとか誰か要るか?」


 余計なお節介ではある。しかし教員という立場を考えれば、当然の反応かもしれない。


「いえ、何とか1人でも動けはするので……1人で大丈夫です」


「そうか、じゃあ行ってこい」


「ありがとうございます……」


 こうして苦悶の表情を浮かべながら、僕もゆっくりと体育館を後にした。


 僕がこの授業に残るも残らないも、物語自体には大きな影響を与えないようだ。これまでクラスで目立たない存在である事を確立して来た自分に感謝する。


 そして体育館を出た後は、いつものように早歩きで2人を追う。



 涼太は特に何の違和感も抱かなかったようで、最後までぐっすりと眠っていた。

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