二節 「冬の窓辺で、咲く笑顔」

「よーし、じゃあこの前のテスト返すぞー」


 1限、数学担当の男性教師が入ってくると、先週行われた期末試験の返却が始まった。


 そういえばそんなのもあったな。いや、僕はあまり受けた実感はないんだけど。


 ちなみにこういった場合の僕の学力は並程度であることが多い。良くもなく悪くもない。クラスでも学年でもちょうど真ん中あたりに位置する学力だ。


 やや得意な教科もあれば、やや苦手な教科もある。逆にすごく得意な教科も1つぐらいはあるが、とても苦手な教科が2つほどあり、総合点で中の下程度になるように上手くバランスが取られているようだ。


 この世界での僕の数学力に関しては、並の方だ。簡単な計算問題程度であれば難なく解けるが、複雑な証明問題になると途中で手が止まる。今回の範囲は2学期に習った微積分の総合的な出題だったが、思い返してみてもやはり手応えはない。


「次、木村ー」


 数学教師が僕の名前を呼ぶ。もう出席番号順で呼ばれることは分かっているので、前の前の人が呼ばれたぐらいで教卓には向かっていた。


「ほい、もう少し勉強すればいけるのになーお前はなー」


 余計な小言と共に、テストを手渡される。自分の席に戻って点数を確認してみると、67点。返却前に今回の平均点は72点だと聞いていたので、平均点には少し届かなかったようだ。


 詳細を眺めてみると、簡単な微積計算の問題でケアレスミスが2つ、公式証明は概ね解けてはいるが、積分による求積問題や微積複合系の融合問題はいずれも部分点のみといった所だ。今回は計算時間の掛かる問題が多い分、全体の問題数は少なくなっていたので、1問当たりの点数が高く設定されている。だとすると、やはり最初のケアレスミスが点数に響いた結果になったと考えて良いだろう。


「おーい、槇村まきむらが今回もクラス1位だー。お前らもこいつを見習って勉強しろよー」


 数学教師の何ともやる気のない声がざわついた教室に広がる。殆ど誰も聞いてはいなかったが、テストを受け取っている眼鏡を掛けた人物に、教卓付近の連中が何やら声を掛けていた。


 槇村まきむらまことは2年B組のクラス委員で、常にクラストップの成績を維持し続ける秀才だ。学年でも上位の成績を叩き出しており、勉学面に関してクラスメートに頼られている様子をよく見掛ける。


 性格に関しても非常に人当たりの良い人物で、間違っても敵を作るタイプではない。彼とは2年になってから同じクラスになったが、僕もこれまで何度か世話になったことがある。外見は落ち着いた雰囲気の好青年と言った雰囲気で、本人が気付いているかは知らないが、それなりに女子人気も高いようだ。


「ねえ、誠くん、またクラス1位だって。すごいね!」


「まあ、あいつはなあ。趣味が勉強みたいな所もあるからなあ」


 左隣の席に前後で座る男女の声が、僕の耳に届く。窓際の一番後ろに男が座り、その1つ前の席にいるのが女だ。ちなみに僕の席は女子生徒の右隣である。


 目線だけそちらへ向けると、苦笑しながら誠の話を続ける男子生徒と、窓を背に彼の方へと体を向ける女子生徒が目に入った。


 今回の主人公は、この男子生徒の方だ。名前は桐原きりはら海斗かいと。年齢はおそらく高校2年生に相当する16か17。適度にセットした髪の毛と、中々の男前な顔立ちは、まさしく彼が煌びやかな学園物の主人公である事に説得力を持たせる。


 彼は4月に恋之丘高校へ転入してきたばかりである。クラス替えが行われたタイミングだったので馴染みやすい環境かと思われたが、彼は初め異様に人を寄せ付けない空気を纏い続けていた。


 しかしそれこそクラス委員の誠や、今彼の目の前で話している清水しみず晴夏はるかの積極的な行動によって、気付けばクラスに溶け込んでいた。6月に行われた学祭の時には、もう随分と馴染んでいた気がする。


 学祭でこのクラスは演劇を行ったが、その主人公とヒロインは海斗と晴夏が務めたはずだ。ちなみに僕は教室の廊下側の壁の飾り付け係だったので、当日は特に仕事もなくぶらぶらとしていた。


 10月の修学旅行の時の様子はどうだっただろうか――いや、ダメだ。その時の僕は今ほど彼を注視していなかったから、殆ど記憶にない。せいぜい思い出せることと言えば、涼太が2日目に食べた鶏肉で食中毒を起こして、結局最終日まで苦しみ続けていたことぐらいだ。



 そして今に至る。



 うーん、何という役立たずな記憶。殆ど海斗の人物情報パーソナリティーが分からない。しかもこれまで彼と関わった記憶も全くない。あまりにもここまでの接点が無さ過ぎる。


 今ようやく出てきたと思ったら、1学期、僕が一番後ろの席から順に同じ列にいた海斗の小テストを回収した際、うっかりテストを1枚落としてしまったのを拾ってもらえた事ぐらいだ。これを接点と呼ぶのは流石に苦しいだろう。


 ともかく、彼に関してはこれから観察していくしかない。幸い、僕の席は彼の斜め前なので話し声ぐらいなら聞こえる。先ほどのように、彼は前の席の晴夏とよく話をしているので、その会話から人物像を固めていくことにしよう。


 ちなみに僕が今回ヒロインだと睨んでいるのは、この清水晴夏だ。彼女は、肩口まで緩やかに伸びたミディアムへアと、くりくりとした瞳が可愛らしい少女で、ちょっとしたことでもよく笑う人懐こい性格をしている。


 晴夏がヒロインである根拠としては薄弱かもしれないが、僕は海斗の交友関係で仲の良い女子生徒を晴夏しか知らない、と言う点が一番大きい。と言うか、何なら海斗と晴夏は仲が良すぎる気がする。


 これは僕がこの席になってからの記憶だけでも十分類推できることだ。今までの僕は気にも留めていなかったようだが、端的に言って2人は距離感が近い。明らかに友人同士としてのそれを逸している様子でさえある。


 かと言って恋人同士と言う訳でもなさそうだ。そう言った一歩踏み込んだ関係性までは感じられない。あくまで友達以上恋人未満と言った距離感が彼らに相応しい表現だと思う。この関係性が物語の主軸になるかは分からないが。


 しかしもし、彼らが一歩踏み込んだ関係、要は恋人同士として付き合い出す所がこの物語の終着点だとするのであれば、この物語は「学園恋愛物」のジャンルに該当する事になる。それはそれで、今の関係性から僕が干渉するのは難しそうだ。


 以前のファンタジー世界の様に、主人公の周囲の人物からアプローチを掛ける手法は使えない。あくまで、これは2人の問題だからだ。第三者の更に外側の人間の言動など、殆ど何の効力も持たないだろう。せめて第三者である必要がある。


 まあ、まだ恋愛物だと決まった訳ではない。無難な学園青春ドラマ的な物であることを期待しよう。不意の第三者の発言が影響しやすい世界観であればあるほど、僕の選択は楽になる。


 そろそろ彼らの会話に集中しようと思ったところで、テストの返却を終えた数学教師が今回出題された問題の解説を始めた。と同時に、教室は俄かに静まり返り、後には黒板にチョークを当てる音とノートにペンを走らせる音だけが広がる。



 余計なことを考えすぎた。1時間目は時間切れだ。



 しかしこれからの方針はとりあえず決まった。とにかく出来るだけ海斗の周囲に居続け、晴夏や周囲の人物との会話を盗み聞く。これしか今は出来ることがない。



 それからの僕は、板書をノートに写しながら、聞いても理解できない教師の解説にうんうんと頷いていた。

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