四節 「夜の来訪者」

「ジョージ、大変だ! 村に魔物が!」


 すぐに本を読むのにも飽きてぼんやりとしていると、夜の宿に均衡を破る声が飛び込んできた。息を切らして危機を伝えに来たのは、薬屋の息子のアレンだ。


 アレンは今年で10才になる活発な少年だ。悪戯好きが玉に瑕だが、いつも元気な彼の活力に、村の大人たちが感化されているところも大きい。間違いなく、これからのローリエ村を背負って立つ重要な存在だ。あまり僕には関係ないが。


「そんな……本当かい、アレン! もうこの村も終わってしまうのか……!」


 意識をフリーにしていたせいで、いかにも何も知らない村人のような台詞を口走ってしまったが、おそらく大丈夫だ。ハルバートたちもいる中、その目の前で滞在中の村が崩壊するとは思えない。


 いやしかし、あえてそういった無念さを与えることで、主人公たちの糧にするパターンもあるのか? うーん、読めなくなってきた……。ただ、彼らが全く関わることなくこの件が終結することだけはないはずだ。


「弱気なこと言ってんじゃねえよ、ジョージ! 今、村の人たちをあの姉ちゃん達が逃がしてくれてるんだ! ぼさっとしてないでお前も手伝え!」


 姉ちゃん達……とは、セリアとハルバートのことだろう。テオボルトは宿から出ていない。やはり2人が手助けする展開になっているようだ。しかし何故、戦わずに避難の手伝いに徹しているのだろうか?


 しかしともかく、事は急を要するようだ。


「分かったよ。そういうことならすぐに行く!」


「急げ、ジョージ! こっちだ!」


 僕がカウンターを飛び出したところで、2階から物音がした。


「どうした、主人? 何か騒がしいようだが」


「テオボルトさん!」


 1階の喧騒を気にかけたテオボルトが、自室から顔を出した。僕たちの慌てる様子を見て、やや険しい表情を浮かべている。


「あ、お前もいたのか! 急いで来てくれよ! あの姉ちゃん達が魔物に襲われて大変なんだ!」


「なに……セリア達が? 待て、すぐに行く」


 テオボルトはアレンのやや脚色掛かった言葉を聞くや否や、部屋の中に戻り、盾と短剣を装備してすぐに出てきた。初日に見た重鎧は、時間を気にしてか置いてきたようだ。しかしその右手にはハルバートの剣、左手にはセリアのものだと思われる短い杖が握られている。


 どうやら、テオボルトも同行してくれるようだ。


「テオボルトさん……! ありがとうございます!」


「口よりも足を動かすのだ、主人。さあ少年、案内してくれ」


「おう!」


 テオボルトに焚きつけられるように、僕たちは宿から飛び出した。



***



「ハルバート! セリア!」


 僕たちが村の広場に着くと、そこには5,6体ほどの魔犬と対峙している2人の影があった。周囲に灯火ともしびはなく、夜空に浮かぶ月の明かりだけが僕たちの周囲を照らしている。


「テオボルト! 来てくれたのね!」


 テオボルトの声に気づいたセリアがこちらを振り返る。対照的に、ハルバートは何の反応も見せることなく、ただただじっと目の前の敵を見据えていた。


「おれが呼んできたんだぜ、姉ちゃん!」


「そう! ありがとう、アレン!」


「へへっ」


 アレンが自らの功績を年上のお姉さんにアピールしているが、はっきり言って今はそんなことをしている場合ではない。早くこの魔犬をどうにかせねば。いや、僕にはどうすることも出来ないんだけど。


「では早々に済ませるぞ、ハルバート、セリア」


「そうね……! ここからが私たちの本気よ!」


 テオボルトが2人の下に歩み寄り、武器を手渡す。ここまで一切身動きをしなかったハルバートも、逡巡しゅんじゅん、躊躇いを見せたように思えたが、鞘に納められた自らの剣をそのまま腰に差した。


 なるほど。考えればすぐに分かりそうなものだが、ハルバート達は武器を持っていなかったから、戦えなかったのか。切羽詰まった状況になると、単純なことも見えなくなる。これからの教訓にしよう。


 それにしても、いよいよ主人公たちの戦いを見ることができそうだ。勇者の力とやらを堪能させてもらおう。


「ゆくぞ!」


 まずはテオボルトが巨大な盾を構え、魔犬に向かってゆく。走り出すと同時に腰の短剣を抜く様は、まさしく手慣れた戦士のわざだ。


「『精霊よ、我が声を聞け……』」


 セリアが詠唱らしき言葉を紡ぎ出す。こちらはいかにもファンタジーという雰囲気だ。彼女の周囲の大地には光り輝く魔法陣が展開され、その光芒が夜の広場を明るく照らし出している。


「ぬんっ!」


 テオボルトが目前から飛び掛かる魔犬の喉元を、容赦なく突き刺す。僕なら間違いなく即死だが、魔犬にはそれほどのダメージになっていないようだ。黒い毛に覆われた身体で、貫通した刃を軸に暴れまわっている。僕はなんとなく銛で突き刺した海水魚を思い出していた。


「む、これはしぶといな……」


 テオボルトの刃が、魔犬から引き抜かれる。しかしそれでもなお攻撃を続けようとする魔犬を、テオボルトは盾でなし一度距離を取った。


「死霊の類かもしれん。魔法か聖剣でしか効果はなさそうだ」


 セリアとハルバートに告げるテオボルト。そのタイミングで詠唱を終えたセリアの杖は、先端に巨大な炎の塊を形成していた。


「オッケー、任せて! 『憤怒せし炎精の拳イフリート・フィスト』!」


 セリアが生み出した火球が、その目の前で瞬く間に肥大化し上空へと昇る。灼熱の塊はその後、目にも止まらぬ速さで魔犬達の中心部へと落下した。


 瞬間、広場には巨大な火柱が上がる。


 見たこともない強烈な光に思わず目を閉じてしまったが、確かにそこに存在する熱は広場の入り口にいる僕の頬をもチリチリと焦がしていた。


 しかしその規模に反して、火の手は急速に引いていき、後には月明かりの下で炎上する魔犬の死骸が数体転がっているだけだった。


「すごい……!」


 思わず感嘆の声が漏れる。こんなに間近でこれほどの魔法を見られるとは。ある意味これも僕の特権なのだろうか。


「まだだ」


 テオボルトが呟く。よくよく広場を見回してみると、確かにまだ2体ほど、運よく炎を逃れた魔犬が蠢いていた。


「ごめん! 取りこぼしちゃった!」


「構わん。ハルバート、残りを頼む!」


 テオボルトが盾を構えたまま、後方のハルバートに声をかける。ここまで何をするでもなく立ち尽くしていたハルバートが、はっとしたように前へと歩を進めた。しかし、テオボルトのすぐ隣にまで来てなお、ハルバートはその剣を鞘に納めたままでいる。


「どうした? 早く剣を抜け、ハルバート!」


「私も次の魔法までもう少し掛かるからお願い!」


 即座に詠唱を始めるセリア。テオボルトは前方から襲い来る魔犬を弾くので手いっぱいだ。部外者の僕から見ても、ハルバートが戦えばそれで済む話なのだが、彼からは全く戦意が感じられない。


「ハルバート! そっちに行ったぞ!」


 見ると、テオボルトが止め損ねた魔犬が一体、ハルバートの方に向かった。ハルバートは今度こそ剣を抜こうと、柄に手を置くも、その刃が鞘から抜き出ることはなかった。


「ダメだ……! オレには出来ない!」


「ハルバート!」


 ハルバートの目前に魔犬が迫る。刹那、テオボルトは彼の前に割って入り、庇うように無防備な右腕を前に出した。


「テ、テオボルト!」


 テオボルトの腕に、魔犬の牙が食い込む。しかし深々と自らに食らいついたそれを、彼は即座に蹴り上げ、引きはがした。


「ちっ!」


 テオボルトの上腕から、鮮血が噴き出す。一目で重傷だと分かる傷を負いながらも、彼は果敢に盾の面で魔犬を打ち、距離を離した。


「すまない、テオボルト! まさかこんな……」


「腰抜けに用はない! 戦わないなら下がっていろ!」


 テオボルトが怒号を飛ばす。言葉を失ったハルバートは、その場で立ち竦んでいた。


「『煉獄より招く腕ヘルズ・ランス』!」


 その時、セリアの声と共に2体の魔犬の足元から現れた光の槍が、正確にその心臓を穿った。よく見ると地から突き出たその光は、高密度に圧縮された炎によって形成されている。


 その後、傷口から徐々に火の手を上げた魔犬達は、刹那せつなの後には形を成さぬ灰燼かいじんと化していた。


「終わった……のか?」


 アレンが声を漏らす。どうやらこれで村の脅威は去ったようだ。戦闘を終えたテオボルトが、ゆっくりと地に倒れゆく。


「テオボルト!」


 セリアがテオボルトの下へと駆ける。彼女が杖を取り出し簡易な詠唱を行うと、瞬く間に彼の出血が止まった。


「オレだ……。オレのせいでテオボルトまで……!」


 ハルバートはその場で立ち竦んだままだ。


 何だこの男は。何という頼りない主人公だろう。傷つく仲間を目の前にしてこの様子では、最早この世界に未来はないかのようにさえ思われる。今回ばかりはバッドエンドもあり得るかもしれない。


「いいから手伝いなさい、ハルバート! 止血はしたけど、傷が完全に癒えた訳じゃないわ! 早く診療所に連れて行くわよ!」


 その後、ぼんやりと眺めていた僕も強引に手伝わされ、セリア達と共に診療所へと向かう。


 先ほどまでの喧騒が完全に沈まった頃には、再びローリエ村に平穏な夜が訪れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る