一節 「一日目(i)~漁港にて」

 意識を手に入れると、目の前には海が広がっていた。


 時刻は午前6時を過ぎた頃。上がりきったばかりの朝日が、僕の目に光を射し込む。


 覚醒状態からスタートするのは、そこまで珍しい事ではないのだが、やはり一瞬戸惑いが生じる。連続していたここまでの時間と不都合が生じないか確認してみるが、とりあえずは大丈夫そうだ。僕は30分ほど前からここで一人、ぼんやりとしていたようである。



 何をしていたんだろう。というか、何をする予定なのだろう。



 少しだけ思い返してみると、どうやら僕はここで八雲やくも大という大学に所属する学生達を、船に乗せるために待っていたようだ。これから少し離れた無人島へと、彼らを運ぶ約束をしているらしい。


 この学生たちはサークルメンバーらしく、自主制作の映画の撮影のため、あの島へ向かうと聞いている。島には確か洋館があったはずなので、そこに宿泊するのだろう。そういえば昨日のうちに中年の男性を既に島へと送って行ったが、彼はその間の世話役ということか。


 今は8月の下旬ではあるが、大学生は9月まで夏休みが続くと聞いたことがある。ということは、彼らにとってはまだまだ夏休み真っ盛りの時期だ。サークルメンバーで無人島へ小旅行とは、いかにも時間に縛られない大学生らしい発想である。


 状況が大体飲み込めたところで、自分の事についても把握しておく。


 僕の名前は田原たはら丈二じょうじ。この南方の港町で、細々と漁師などを営んでいる。父親から受け継いだというありきたりな理由だが、この仕事はそれなりに気に入っている。


 両親は幼少の頃に離婚。母が家を出る形になったが、理由は「やっぱりなんかいっつも生臭いのがシンプルに無理」というものだった。初めから結婚しなければ良かったのではなかろうか。


 その後は父親と2人で海に出て、学校もそっちのけで漁師のいろはを叩き込まれた。中学に入る頃には、既に学校より海にいることの方が多くなっていたが、何故か卒業は出来ていた。義務教育ってすごい。


 そんな生活を20余年続けていたものの、ある日、父が体調不良を訴えたので病院に連れて行ったところ、末期のガンだと申告された。体力だけが自慢だった父は、その宣告を聞いて以降みるみる憔悴していき、一昨年、あっけなくその最期を迎えた。


 母親の連絡先は知らなかったので、葬儀に母は呼べなかった。とは言え、今更のこのこ顔を出されても気まずいだけなので、こちらとしてはその方が助かる。父の葬儀は、直接縁のある親類と、あとは漁師仲間が数名だけという小規模なものになった。それで良かったのかは死んだ父に聞かない事には分からない。


 そんなこんなで、今は彼から相続された船を使って一人で漁を行っている。はっきり言って儲かってはいないし、常に貧困と戦っているような状況だ。


 しかし、これ以外の生き方を僕は知らないし、今更スーツを着て営業マンをやれるとも思わない。何より中卒の僕を雇う会社などがあるとも思えない。せいぜいコンビニバイトが関の山だ。そしてこの町にコンビニはない。


 現状はこんなところだ。何とも恵まれない人間である。いや、職があるだけ恵まれていると考えることにしよう。



「丈二! 今日は漁は休むって言ってなかったか! 何してんだ、こんなとこで!」


増田ますださん。いや、今日は漁には出ませんけど、別の用事で船を出すんです。今は待機中ですね」


 近くの漁船から、漁を終えた増田さんが僕に声を掛けて来た。少し距離があったので、近付きながら言葉を返す。


 彼は近所に住んでいる漁師仲間で、こうしてたまに顔を合わせることがある。ときには一緒に飲みに行ったりすることもあるので、それなりに仲は良い方だ。


「ほー、そういや昨日大量の荷物と一緒に誰かを乗せてたが、あれを迎えに行くのか?」


「いえ、その逆で第2波を送り届けるんです。寧ろそっちがメインで、大学生のサークル御一行様ですよ」


「はー! 良いご身分だな、学生ってのは! 羨ましい限りだ!」


 増田さんは、皮肉っぽく声を上げながら撤収作業を続行していた。今日の収獲はそれなりだったようで、船周辺は生臭い匂いが充満していた。一瞬だけ母親の事を思い出した。


「まあ僕も慈善事業じゃないんで、お小遣いぐらいは貰ってますよ。大学生っていうのは意外と金持ちなんですね。結構くれました」


「ほー、どんなもんだ?」


 金の話に釣られて、増田さんがこちらに目を遣る。


「片手では表現できないぐらいです」


「おーい、そりゃホントか! 気前がいいなあ! 俺がやりてえぐらいだわ」


「いえいえ、これは僕の仕事ですからね。取った者勝ちですよ。マグロと一緒」


「こいつは一本取られた! マグロだけにな!」


 2人で声を上げて笑う。しょうもないギャグでも、こうして何気ない会話で出てくると笑ってしまうものだ。


「今日島に送り届けて、次迎えに行くのは明々後日しあさってなので今日は1度戻って来るんですよね。どうですか? 久しぶりに。奢りますよ」


 僕はお猪口を傾ける仕草をしてみせた。当然、増田さんもその意味する所は分かったようで、既に乗り気な様子である。


「お、いいね~! さすが、金持ちは違うね!」


「ははは、そんな大層な物じゃありませんよ。ただ今日ぐらいは良いかなって」


「行こう行こう。いつものやっちゃんの店でいいよな」


「いいですよ、6時ごろに現地集合ってことで」


「了解! 今日は飲むぞ~、人の金だしな! はっはっは!」


 今夜の予定が決まったところで、増田さんは陽気に引き上げて行った。



 ――そして僕はまたひとり、波の音だけが響く港でぼんやりと一行の到着を待ち続けていた。

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