九節 「一日目(ix)~食堂にて」

「えぇっ! 殺人だって!」


 黎が厨房に入った直後、堀田の驚く声が食堂にまで届いた。


 その後、何やら話し声らしき物がわずかに聞こえるが、内容までは聞き取れない。


 そして暫く経ち、二人の声が聞こえなくなると、厨房から食堂へと現れた堀田は、そのまま食堂の外へと走って行った。


「とりあえず、本土と繋がる無線が管理人室にあるそうだから、堀田さんが連絡をしてくれるみたいだよ」


 遅れて厨房から現れた黎が、食堂に集まる部員たちに、現状を説明する。


「はあー。ったく、何でこんな目に遭わなきゃならねえんだ。クソっ!」


 入口付近に立つ大毅が、露骨に苛立ちを見せる。その隣で、優は彼の様子をびくびくと伺っているようだった。


「恭子……」


「桂太さん……」


 食堂の端にある椅子に座って項垂れる桂太の傍で、今にも泣き出しそうな表情で彼を見つめるあかね。


 無残な恭子の姿を最初に発見したのは彼らだ。彼女と親しかった2人だけに、その光景たるや、きっと想像を絶する衝撃だった事だろう。


 佐織はじっと押し黙って、窓の外を眺めている。外では今も、轟音を鳴らしながら雷雨が降り注いでいた。



 暫くすると、堀田が食堂に戻って来た。


 しかし、その表情は青ざめており、悪い予感が全員の頭をぎる。


「ごめん。無線機、壊されてた……」


「はぁっ? 何だよそれ!」


 大毅が怒気を含ませた声を上げる。隣にいた優は、びくりと肩を震わせていた。


「いや、私にも分からないんだ……。寝室は別にあって、管理人室には殆ど行ってなかったから、いつ壊れていたのかもちょっと分からない……」


「くそがっ! 使えねえおっさんだな! じゃあ何も出来ねえじゃねえか!」


 大毅はどかりと近くの椅子に座り、苛立った表情で貧乏揺すりを始めた。それに対し、堀田は申し訳なさそうな表情で俯く。


「無事な状態の無線を最後に見たのはいつ頃だい?」


 明彦が、堀田に訊ねる。 


「正直、本当にあの部屋には行ってなくて……。昨日、寝る前に立ち寄った時には無事だったぐらいかな……」


「うーん、じゃあ分かるのは少なくとも今日壊されたって事ぐらいだね……」


 明彦も適当な椅子に腰掛け、何かを考え込み始めた。脚を組み、右手を口元に寄せて思考する姿は、童顔な明彦でも少しばかり知的な印象を与える。


「おい。そういやあの漁師のおっさん、まだ島に残るって言ってたよな?」


 大毅が、食堂に響き渡る大声で言い放つ。


「そ、そうですよ! あの漁師のおじさんに頼んで、本土まで返してもらいましょうよ!」


 あかねが、大毅の提案に食い付いた。その表情は、暗闇の中で見つけた僅かな光明に縋り付くかのような必死さを感じさせる。


 ――しかし、残念ながらそれは無理だ。


 僕も色々あったので。


「いや、キャプテンは夕方には帰ると言っていたから、多分もういないよ。それに仮にいたとしても、この嵐の中じゃ船なんか出せる訳が……」


 明彦の発言に、僕はひとりで大きく頷いていた。


「うるせえ! じゃあ、てめえはここで大人しく野垂れ死んでろ! 俺は帰るぞ!」


「だ、大毅さん! 待ってください、この雨じゃ……!」


「黙れ! じゃあお前もここで死ね!」


 明彦と優の忠告を無視し、そのままの勢いで外へと飛び出す大毅。優も、一瞬だけ躊躇いはしたが、慌てて彼を追うように駆け出してしまった。


「はぁ……。どうやら、彼の頭は鑑賞用のワイン樽並に空っぽのようだね。ここのワインセラーにでも飾られていた方が、少しは役に立つんじゃないのかな?」


「うーん、だけどこの嵐の中に出た大毅を、このまま見捨てる訳にもいかないな……。うん、俺が連れ戻してくるよ」


「あ、でしたら私も……。それに先ほどの話が本当で、もしあの漁師さんが島にまだ残っているなら、嵐の中で取り残されているかもしれません。放ってはおけない」


 桂太が入口の方へと歩き出し、それに続くように堀田が食堂を出た。


 しかし、雨具の類の備品は無かったようで、2人もそのまま洋館から走り出すのが、食堂の窓から見えていた。


「放っておけばいいのに……」


「ま、そう言う訳にもいかねえよ。それに倉橋さんも何かしていた方が、色々気が紛れるんじゃないか?」


「ふーん……」


 洋館を次々と飛び出す彼らの姿に、心底呆れたような表情を浮かべる明彦。そんな彼を、康介は物憂げな表情で諭す。



 大毅たち4人が、濡れねずみになって洋館へと戻って来たのは、それから1時間ほど経っての事だった。



  ***



 桂太と堀田の話では、港には既に船の姿はなかったらしい。


 どうやら、犯人は僕の漁船も海の彼方へと流し去ってしまったようである。父から受け継いだ唯一の形見だっただけに、残念だ。


 桂太が口を開く。


「流石にもう帰ってたみたいだな……」


 僕からすると犯人の仕業だが、彼らからすると、確かに僕はもう帰ってしまったと考えるのが妥当だろう。


 実際、僕はわざわざ「加筆修正」を行ってまで、夕方には帰ると口にしていた。


「クソ、無駄な事させやがって……」


 大毅が毒付いているが、別に僕がさせた訳ではなく、彼が勝手にやったことだ。被害者面をされても困る。


 それに僕が生きていれば乗せてやらなくも……いや、だとしても流石にこの嵐で船は出せなかっただろう。


 この件に関しては明彦の意見が全面的に正しい。結局、八方塞がりだったはずだ。


「でも、じゃあどうしたら……。スマホも圏外だし……」


 佐織が呟く。


 当たり前だが、こんな無人島に電波など通っている訳がない。日常では便利なスマートフォンも、こうなってしまってはただの光る板だ。


「とりあえず、まだ恭子ちゃんを殺した犯人がうろついているかもしれない。今は警戒しながら、明々後日に漁師さんが迎えに来てくれるのを待つしかないね」


 黎の提案に、全員が無言で同意を示す。実際、今の彼らに出来る事はそれぐらいだと思う。


「うぅっ……。恭子センパイ……!」


 黎の言葉で恭子の死を改めて実感し、再び嗚咽を漏らすあかね。そっと佐織が近付き、彼女を抱き寄せた。


「……それにしても、誰が恭子サンをったんだ? こん中にいる誰かって事か? あ?」


 大毅が、挑発的に全員を見渡す。皆、考えまいとしていたようだが、彼の言葉で途端に緊張感が走った。


「そんな訳ありません! 恭子センパイを殺す人なんて、このサークルにはいませんよ! だって、だって……どうして恭子センパイみたいな優しい人を殺す必要があるんですか! それは皆さんが一番よく分かってるはずですよ!」


 あかねが叫ぶ。


 やや論理が破綻している気もするが、何となく言いたい事は分かった。要はこのサークルのメンバーには動機がないから恭子を殺していないと言いたいんだろう。


 ……うーん、しかし根拠としては弱い。


「あ? じゃあ誰がやったって言うんだよ、あかね!」


 しかし、論理云々を抜きにして自分の意見が否定されたことで、大毅は逆上していた。明彦は言い過ぎだとしても、彼はもう少し頭を使った方が良いと僕も思う。


「亡霊ですよ……!」


「は? 今なんつった、お前」


「亡霊ですよっ! 吸血鬼伝説の! この館で死んだ亡霊が、まだ島民が生きてると思って、私たちを襲ってるんですよ!」


 あかねは泣きながら叫ぶ。


 興奮した様子のあかねを、佐織はより強く自分の方へと寄せ、優しく頭を撫でていた。


「あー、そういや塚原さん、確かに吸血鬼みたいに心臓を杭で打たれてたなあ」


 康介が恭子の遺体の様子を思い浮かべながら、ひっそりと呟く。その隣で、明彦は苦笑しながら溜め息を吐いていた。


「んなもんいるわけねえだろ! バカか!」


 大毅に言われてしまっては、もう救いようがない。



 ――事態は、混迷を極めていた。



  ***



「あの、こんな状況で申し訳ないんだけど、ちょっと良いか?」


 そこに、ずっと黙り込んでいた桂太が、言葉を発した。


「どうしました?」


 康介が、彼の言葉の続きを促す。


「いや、こんな状況だからこそ、かもしれないんだけど。その……恭子を、もう少しちゃんとしたところに移動してやりたいんだ。今あいつ、部屋の床に寝かせっ放しだからさ……」


 桂太の言葉で、騒がしかった食堂が、途端に静まり返る。


「あー、確かにそうですね。いや、何か色々あって完全に忘れてました。すんません」


「いや、いいんだ。とりあえず、男はいるだけ手伝ってもらっていいか? 出来るだけ慎重に運びたい」


「了解です。さ、じゃあ行きましょうか、長谷川さん」


 康介が何故か、大毅の方へと言葉を投げる。


「あ? 別にいいけど、何で俺に言うんだよ」


「決まってるじゃないですか。一番力持ちそうだからですよ」


「はあ?」


 脈絡があるようで全くない康介のペースに、流石の大毅も完全に飲まれていた。康介は、こんな状況でさえなお、マイペースである。


「ほら、明彦も」


「えっ、何でボクまで」


「いいから行くぞ」


 強引に明彦を立ち上がらせる康介。


「まったく、分かったよ……」


 渋々と言った表情で立ち上がる明彦の腕を、康介はがっちりと掴み、引っ張り始めた。


「いや、別に自分で行けるよ」


「いいや、お前は絶対に途中で逃げる」


「……」


 そして僕も、明彦に引き付けられるように歩を進める。



 その後、ぞろぞろと食堂を去っていく男たちを、佐織とあかねは、心配そうに見送っていた。

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