八節 「一日目(viii)~悲鳴は均衡を破る」
時刻は午後6時25分頃。食堂には少しずつ部員たちが集まり始めていた。
長テーブルには、各席に一食ずつ食事が並べられている。席は自由席のようだ。
明彦は食堂に着くや否や、すぐさま適当な席に座り、開始の時間が来るのをじっと待っていた。
先ほどのシャワーの一件で分かったことがある。基本的に僕は明彦から5m程度の範囲内に居続けなければならないが、彼が客室等の閉じられた空間に入った場合、僕はそこから出られなくなるようだ。
現に、明彦がシャワーを出た後も、僕が彼の自室から勝手に出ることは出来なかった。そのせいで、僕はシャワー後の生着替えまで延々と眺めさせられる事になってしまった。災難としか言いようがない。
そういえば、シャワーを浴びてなお、明彦のぼさぼさの髪の毛は収拾を付けられていなかった。寝癖かと思っていたが、そういう髪質のようだ。
そして時刻は定刻である6時半を過ぎたが、何人かがまだ揃っていない。食堂にまだいないメンバーは、恭子、大毅、黎の3人だ。
明彦は無表情で黙ったまま、フォークとナイフの柄の先でトントンとテーブルを叩いている。
お行儀が悪い。
そのまま更に5分ほど待ち続けていると、全く悪びれもしない態度の大毅が現れ、続け様に寝起きのような表情を浮かべた黎が食堂に姿を現した。どちらも方向性の違う自由人である。
しかし更に5分ほど経過してなお、恭子は現れない。
「部屋で寝てんじゃないですかね」
康介の一言で、誰かが恭子の部屋へ呼びに行くことになった。
周囲の適当な押し付けまがいの提案から、恭子のモーニングコール係には、彼女と親しい、桂太とあかねが任命された。しかしその一連のやりとりの間でさえ、明彦はどこか宙を見ながらテーブルを叩いている。
僕も付いて行きたいところだが、明彦が食堂を出ない限り、僕も出られない。ここは大人しく、桂太たちが恭子を連れて来てくれるのを待つ事にする。
――しかし、彼らが恭子を無事に食堂まで連れてくる事はなかった。
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
食堂にまで響き渡ったのは、あかねの悲鳴。
刹那、誰よりも速く明彦が食器をテーブルに捨てて立ち上がる。そのまま一目散に食堂から客室へと走り出した。
それを追うように、他の部員たちも客室へと向かう。
客室は食堂から遠くはないが、1階と2階に分かれており、恭子の部屋は2階である。当然、途中で階段を上らなければならない。
廊下を走り始めた段階で既に怪しかったが、明彦は階段を数段上り始めたところで、次々と他の部員たちに追い抜かれていった。
――遅い。シンプルに遅い。
明彦は既に虫の息で、一段一段、踏み締めるように階段を上っていた。
「あぁっ……はぁっ……はっ……!」
変な声を漏らしながらどうにか足を動かし続ける明彦。しかしその必死な姿とは対照的に、全く前には進めていない。
急げ、明彦! 君が進まないと、僕も動けないんだ! 頑張れ!
「恭子! おい、恭子!」
ようやく恭子の部屋の前にまで明彦が辿り着いたところで、開放された扉の奥から、桂太の声が聞こえて来た。
部屋の外では、佐織の胸にあかねが顔を埋め、嗚咽を漏らしている。
部屋の入り口付近に集まる部員たちを押し退けながら、明彦は全員の視線が集まるバスルームへと進んで行った。
明彦がバスルームの入り口に立つと、そこには、全身をシャワーで濡らし、青白い顔でぐったりとしている恭子を、降り続けるシャワーの雨に打たれながら抱きかかえる桂太の姿があった。彼は、ずぶ濡れになっていることにさえ気付いていないのか、延々と恭子の名を叫び続けている。
周囲を見渡すと、浴室は所々が生々しい赤色に染まっている。ちらりと目を遣った排水溝には、赤黒い液体が延々と流れ込み続けていた。
僕は、桂太の背中で隠れていた、恭子の姿を覗き込む。
――塚原恭子は最後に出会った姿のまま、胸部に木の杭を打たれ、絶命していた。
「桂太、無駄だよ。恭子ちゃんはどう見ても死んでる」
黎が、錯乱状態の桂太に声を掛ける。
黎の言葉で、桂太の肩がぴくりと揺れる。そこで彼は多少現実に引き戻されたのか、今度は恭子の遺体を抱きしめながら嗚咽を漏らしていた。
「……おい、何だよこれ! 何が起きてんだよ!」
その状況を眺めていた大毅が、怒りを露わにして叫んだ。
「殺人事件だね。見て分からないの?」
しかし荒い息遣いの大毅の発言に対し、明彦は落ち着いた声色で言葉を返す。
その瞬間。大毅は顔を真っ赤にして、即座に明彦の胸倉を掴んだ。
「てめえ!
「お、落ち着いてください! 大毅さん!」
「うるせえ!」
「あっ……!」
優が大毅を宥めようと近付いたが、無情にも大毅は片手でそれを突き飛ばした。体重の軽い優は、その一撃で壁にまで叩きつけられる。
「てめえは最初から気に食わなかったんだ! 言葉遣いから、人を見下したような態度から……いちいちイライラすんだよ!」
依然捕らえたままの明彦を見ながら、怒号と共に拳を振り上げる大毅。
しかし大毅の拳が明彦の頬を直撃する直前、黎がその手を受け止めた。
「やめるんだ、大毅くん。今はそんなことで争っている場合じゃない」
一瞬の静寂。大毅は、目線だけで周囲の反応を確認する。
「ちっ……」
黎の言葉で大毅も少しだけ冷静さを取り戻したのか、彼は明彦を掴んでいた手を放した。
「おい、大丈夫か、明彦?」
「うん、まあね。全く、これだから頭より先に手が出るタイプの蛮族は苦手なんだ……」
心配して駆け寄る康介に、明彦はぼそりと呟いた。明彦は冷静を装っているが、膝がガクガクと笑っているのを僕は見逃さなかった。
「ともかく、まずは堀田さんを呼んできてどうするか考えよう。話はそれからだ。桂太も皆も、一旦食堂に集まって」
黎の提案で、明彦たちは恭子の部屋を後にする。
――恭子の部屋にまで来た時とは対照的に、今度は全員の足取りが重かった。
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