十節 「一日目(x)~遺体の前で」

 恭子の部屋は、皆が食堂に集まる前の状態のまま保存されていた。


 恭子の遺体は部屋の中央の床に寝かせられている。その胸の中央には、服の上から杭が突き立てられたままだ。


「うわ、改めて見ると、やっぱむごいな……」


 康介がぼそりと呟く。彼の発言はやや不謹慎とも取れる物だったが、その声は即座に外の豪雨の音に掻き消され、殆ど誰にも聞こえていなかった。


「で、どうするんですか、桂太サン。ベッドの上にでも寝かせりゃ満足ですか?」


 先輩でもお構いなしに、大毅はぶっきらぼうに言葉を投げる。しかし桂太はもう慣れているのか、全く気にした素振りもなく、そのまま恭子の遺体へと歩み寄って行った。


「そうだな……。どうしようか……」


「その前に、ちょっと良いかな?」


 突如、明彦がその流れを切る。


「何だ? また文句でもあんのか?」


 大毅が棘を含んだ声で、明彦を威圧した。しかし明彦は大毅の声を無視し、桂太と同じように恭子の遺体へと近付いて行く。


「進藤さんって医学部なんだよね? 死亡推定時刻とか出せないかな?」


「あ? てめえ、こんなときに探偵ごっこかよ! 状況考えろや!」


 再び、大毅が明彦に食って掛かる。


 それにしても黎の白衣は何なのかと思っていたが、彼は医学系の人間だったのか。とは言え、プライベートで白衣を着ている必要はあるのだろうか?


 ――いや、彼についてはあまり深く考えないことにしよう。おそらく、この手の人種については考えるだけ無駄だ。


「ふむ。この天才推理小説ミステリー作家の僕に向かって『ごっこ』遊び呼ばわりとは良い度胸だね。でも仮にそうだとしても、現状を正しく判断しておくのはこれ以降自分の身を守る上で重要だとは思わないかい?」


「うるせえ! 邪魔ばっかりしやがって! さっさと運んで終わらせるぞ!」


 大毅がずかずかと前へ進む。しかしその彼の身体を、前方にいた黎が制した。


「いや、待つんだ大毅君。明彦君の言い分には一理ある」


「あ? 黎サンまで何を……」


「こんな状況だからこそ、出来るだけの事はやっておこう。それがきっと僕たちのためにも、恭子ちゃんのためにもなるはずだからね」


 黎が白衣を翻して明彦の方へと歩いて行く。大毅は舌打ちをして、その場に立ち止まっていた。


「感謝するよ、進藤さん」


「いや、いいんだ。役に立てるかは分からないが、僕に出来る事なら協力するよ。桂太も……良いよね?」


 桂太に伺いを立てる黎。桂太は、黎の目を見ながらゆっくりと頷いた。


 桂太の表情には、何かしらの強い意志が感じられる。


「じゃあ、とりあえず塚原さんの死亡推定時刻は分かるかな?」


 明彦が黎に尋ねる。しかし明彦の問いに対し、黎はかぶりを振った。


「いや、その事なんだけど……正確に出すのは難しいな。早速で申し訳ない」


「やっぱり、あのシャワーが原因かな?」


「ご明察。どうやらミステリー作家と言うのは本当みたいだね」


 黎の余計な一言で、一瞬だけ明彦はむっとしたような表情を浮かべた。その様子を見た黎は、微笑みながら言葉を続ける。


「ふふ、冗談だよ。気に障ったならごめんね。君の言う通り、冷水や極端に温度変化があるような状況に晒されていた遺体は、死亡推定時刻が不明瞭になるんだ。桂太の話だと、恭子ちゃんは浴槽で冷水にひたされた上にシャワーを掛けられていたらしいから、随分と状態が良い。まるでついさっき死んだみたいだ」


「うーん、期待はしていなかったけど、やっぱりダメか。死因はこれ?」


 ちょいちょいと、明彦が恭子の胸に刺さる杭を指さす。しかし、黎はまたしてもこれを否定した。


「いや、心臓を貫いたにしては出血量が少なかった。……やっぱり、首に何かで絞められたような跡があるね。直接の死因はこっちじゃないかな」


 恭子の顎を軽く持ち上げ、首元を明彦に見せる黎。そこにはぐるりと首を回り込むように、一本の黒く変色した筋が残っていた。


 途端、嫌な記憶が蘇る。苦しいんだよな、あれ。


索条痕さくじょうこんってやつだね。顎に隠れるぐらい高い位置にあるのは、犯人が塚原さんより背が高い人物ってことかな」


「まあ、そう考えるのが妥当ではあるかな」


 恭子の遺体を前に話し込む2人。桂太は、ただ黙ってその光景を見ているだけだった。



「おい! まだかよ! いつまで待たせる気だ!」


 突如、痺れを切らした大毅が、明彦たちに向かって声を上げた。時間にして5分か10分程しか経っていないが、それでも待っている方には苦痛だったのかもしれない。


「うん、そうだね。じゃあとりあえずこの辺にしておこう」


 明彦たちは、おもむろに立ち上がる。


「それで、塚原さんは結局どうするんだ?」


 苛立つ大毅など気にも留めず、康介はあっけらかんとした表情で尋ねた。


「とりあえず、出来るだけ室温の低い場所で保存しておいた方が良いだろうね。警察なんかが来た時も、その方が調べやすいだろうし」


「じゃあ、ワインセラーはどうだろう? この夏場でも、あそこはまだ涼しい方だった気がするし」


 明彦の発言に、桂太が答える。本当はベッドにでも寝かせてあげたいのかもしれないが、彼は出来るだけ私情を挟まず事件に向かい合おうとしているようだ。


「うん、ボクもそれがいいかなと思ってたんだ」


「ちっ、決まったんならさっさと運ぶぞ……」


 大毅がせかせかと恭子の下まで歩み寄り、その肩に手を掛けた。



「いや、長谷川さんはエントランスから棺桶をひとつ持って来て」


「なっ……弥勒院君、それって……」



 明彦の発言に、桂太が言葉を詰まらせる。しかし明彦は全く動じることもなく、言葉を続けた。


「もちろん、塚原さんを入れておくんだよ。少しでも保存状態は良いに限る。しっかり釘も打って、誰にも触られないようにした方が良いだろうね」


「おいおい、明彦。さすがにそれはやり過ぎなんじゃ……」


「やり過ぎ? 何がだい? 棺桶っていうのはそう使う物だよ」


「そりゃそうかもしれないけど、流石にその扱いは塚原さんが浮かばれないんじゃ……」


 康介が食い下がるが、明彦は一切引かなかった。


「彼女が浮かばれるって言うのは、犯人がしっかりと見つかる事じゃないのかい? 数日後、島に来た警察の捜査が円滑に行われた方が、彼女は喜ぶと思うけどね」


「いや、だけど……」


 2人の水掛け論は続く。


 この終わりのない議論に終止符を打ったのは、黙って話を聞いていた桂太だった。


「康介、ありがとう。だけど……弥勒院君が言っている事は正しい。ここは少しの間だけ、恭子に辛抱してもらおう。大毅も待たせて悪かった。さあ、棺桶を運ぼう」


「うーん、倉橋さんがそう言うなら、もう良いですけど……」


「ちっ、くだらねえ事に付き合わせやがって」


 ぶつくさと文句を垂れながら、大毅は桂太と共にエントランスへと向かった。残ったメンバーで恭子をワインセラーへと運び始める。堀田だけは、工具箱を取りに一度管理人室へと向かった。



 しかしまさか、殺害された遺体を納棺するとは僕も予想だにしなかった。上手く表現できないが、僕も康介と同じく、故人に対して粗雑な扱いをしているような気がする。


 これは明彦の並べる理屈とは違って、僕の内から出る感情的な部分だ。言葉だけなら明彦が正しいのかもしれないが、やはり僕には彼の提案は少し受け入れ難い物だった。


 とは言え、今考えられる最良の手段なのは間違いないのかもしれない。どの道、僕にはどうする事もできないのだ。



 ――そう言えば、僕の死体はどうなったんだろう?


 船と一緒に海にでも捨てられたのだろうか。それなら、まだ納棺してもらえる方がましかもしれない。


 案外、明彦の提案も的を射ているのだろうか。うーん、よく分からなくなってきた。



 そんな事を考えている内に、恭子の遺体はワインセラーで納棺された。最後の釘打ちは、桂太の手によって行われた。


 彼は終始唇を噛み締め、一打一打、力強く釘を打ち込み続ける。


 その姿は、恭子との訣別を心に刻み込む、最後の儀式のようにさえ見えた。

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