二十節 「三日目(v)~佐久間美咲」

「あはは、流石だね、弥勒院君。俺の負けだ」


 棺に腰かける桂太は、諦観したように微笑んだ。


 彼の耳にはポケットから伸びたイヤフォンのコードが伸びている。おそらく、洋館内の情報を盗聴でもしていたのだろう。


「本当に生きてたのかよ……」


 康介は、驚愕の表情を浮かべていた。


「弥勒院君の推理は、これで聞いていた。概ね彼の見解で合ってる。ははっ、天才と言うのは伊達じゃないな」


 トントン、とイヤフォンを指で叩きながら、桂太は明彦を称賛する。


「ふっ、当たり前だよ。天才のボクに、解けない謎は無い」


 明彦はそれに対し、得意げに言葉を返していた。


「ど、どうして……どうしてこんな事を! 恭子さんは、桂太さんの恋人だったじゃないですか! あんなに仲良しだったのに……一体どうして!」


 佐織が声を荒げて、桂太を詰問する。


 確かに、桂太と恭子はそれなりの期間は付き合っていた恋人同士だったはずだ。それが一体、どう歯車が狂えばこんな凄惨な事件へと繋がるのか。


 桂太は乾いた笑い声を上げた後、佐織に答えた。


「ははっ、仲良し……ね。そう見えたか? だとしたら俺にも役者のセンスはあったのかもな。恭子がどう思っていたかは知らないが、俺はひと時だってあいつを愛していた事なんてない。寧ろ……恨んでいた」


「恨んでいた……?」


 佐織の横で、あかねが呟く。


「残念ながら事件自体は解明出来ても、何故こんな事をしたかまではボクにもついぞ分からなかったよ」


「そりゃあそうだろうな。初対面でそこまで明かされちゃ、君は天才なんかじゃ役不足だ。それは神か何かの領域だろうな」


 桂太は明彦の顔を見据えて、また小さく笑った。


「……何故こんな事件を起こしたのか、聞かせてくれないかな?」


「あはは、そうだな。この状況じゃ、観念するしかなさそうだ。……良いだろう、教えてやるよ。どうしてあいつらが……死ななきゃならなかったのかを」


 桂太は、ゆっくりと語り始めた。



  ***



「今からもう、4年も前の事だ。俺はその時には大学2年だったが、あいつらはまだ全員高校生だった。恭子が3年、大毅が2年、優は1年の時だな。俺は違うが、あの3人は同じ高校の出身で、今と同じように映画研究部に所属していた」


 桂太の声が、静まり返った地下に響く。皆がその言葉のひとつひとつを、噛み締めるように聞いていた。


「部員の数もそう多くはなかった。今のこのサークルと似たようなもんだ。そんな中、大毅と同期の2年生に、佐久間さくま美咲みさきと言う女子生徒がいた」


「佐久間美咲……なるほどね」


 明彦が全てを察したように呟く。どうやら、その名前に聞き覚えがあるようだ。


 しかし残念ながら、彼以外の全員はまだ一向に話の展開は読めていない。


 僕も、その1人だった。


「はっ、弥勒院君の記憶力には脱帽だな。ただ、他の皆はまだよく分からないだろうから、話を続けよう。彼女は1年の頃から、何かと目立つ存在ではあった。快活で、優しくて、皆の羨望の的だった。だが、高校生ってのは未成熟で……残酷だよな。彼女の事が気に食わなかった恭子や大毅は、美咲が1年の頃から、部内で冷酷な行いを続けていたんだ」


「大毅センパイはともかく、恭子センパイまで……?」


 あかねが驚愕の声を漏らす。


「ははっ、そうだな。大学での優しい『恭子センパイ』を見ていたあかねには、そう思えるかもな。だが、本当に残忍だったのは寧ろ恭子の方だった。同じ女である事を利用し、考え得る限りの方法で美咲をはずかしめていた」


「あの。その冷酷な行いとか辱めって、実際には何なんですか?」


 康介が桂太の曖昧な表現に突っ込む。


「お前は……そういう所あるよな。悪いがそれはあまり思い出したくないんだ。言わせないでくれ」


「はあ、そうですか……」


 康介は釈然としない顔で、黙り込む。


「2年になってからは、そこに優も加担して、いよいよあいつらの行為には拍車が掛かった。優は大毅に命令されるがままに仕方なくやっていただけなのかもしれないが、恭子と大毅は自分の手を汚さずに済むがために、自分たちが何をやっているかさえ分からなくなっていたんだろうな。美咲は日に日に憔悴して、追い詰められていった」


「それじゃあ、もしかしてその美咲ちゃんは……」


 黎が、彼女の行く末を察して、言葉を詰まらせる。


「ああ、死んだよ。放課後、学校の屋上から飛び降りて死んだ。ほぼ即死だったろうっていう話だ。一時期、ワイドショーやら何やらで取り上げられたから、弥勒院君はその時に報道されていた名前を覚えていたんだろう?」


「そうだね。あれだけ連日騒がれれば、否が応でも覚えるさ。まあ、ボクはここ10年ぐらいの事件のニュースは、大体覚えているけど」


 明彦が答える。康介は、素っ頓狂な表情でその顔を眺めていた。


「だけど、その美咲さんっていう子は、桂太さんとどういう関係だったんですか?」


 佐織が尋ねる。



「妹だよ。両親が離婚したせいで苗字は違うけど、血の繋がった実の妹だ」



 桂太の告白に、再び一同が沈黙した。



「俺が中学生の時だったな。美咲は父親に、俺は母親に引き取られた。その時から俺は母方の旧姓の倉橋に変わったが、俺も元は佐久間姓だった」


 両親の離婚。僕も両親が離婚しているが、兄弟はいなかったし母親はあんなだったから、あまりショックはなかった。しかし彼らにとっては、衝撃的な出来事だったのかもしれない。


「住む家が変わっても、家族じゃなくなっても、俺と美咲が実の兄妹だという事には変わりない。両親の離婚後も俺たちは定期的に会っては、一緒に飯を食ったり、他愛もない話をしたりしていた。あいつはいつもあどけなく笑って、俺の話を聞いていた。俺が大学に入ってあいつが高校に入ってからも、それは変わらなかった。あいつがどんな気持ちで俺に笑いかけていたのか、今となってはもう分からないけどな」


 誰もが、桂太に掛ける言葉が何も見つからなかった。ただ黙って、彼の話を聞くしかない。


「あいつが死んだって聞いた時は信じられなかった。美咲の死に顔を前にして、いい年こいてガキみたいに泣き叫んじまったよ。……それから一か月ぐらいしてだったかな。大学時代の俺の部屋に、美咲からの手紙が届いてた事に気付いたんだ。消印は、あいつが死ぬ前日だった」


 桂太の表情は変わらない。いつも通りの優しい微笑みが、逆に彼の悲壮感を物語っている。


「その手紙には、さっき言った恭子たちの非人道的な行為が事細かに書かれていた。美咲は、少なくとも俺にだけは、この事実を知って欲しかったんだろうな。最後に繰り返し『自分を許して欲しい』『自分を恨まないで欲しい』と綴っていたよ。だけど、どうして美咲を責める必要がある? どうして美咲を恨む必要がある? 俺の中に湧き上がったのは、恭子たち3人への、怒りと憎悪だけだった」


 一瞬だけ語気を荒くする桂太。しかしその後は、また先ほどまでの落ち着いた口調で、話を続ける。


「どうやってあいつらを探し出そうかと考えていたら、不思議とあいつらは八雲大に続けて入学してきた。映研にまで素直に入って来た時には、思わず笑っちまったよ。そうか、美咲が俺に復讐のチャンスを与えてくれたんだと、本気で思った。それからは、油断させるために恭子に近付き、大毅や優に対しても良い先輩であり続けるよう演じ続けた。あいつらもまさか、苗字の違う俺を美咲の兄だとは思わなかっただろうな」


 石壁に掛かる蝋燭が、先端の炎を揺らめかせる。僕には、桂太の不安定な感情を象徴する揺らめきのようにも思えた。


「復讐の計画を練りに練って、ようやく今回の撮影にまでこじつけた。まあ、計画自体は全て弥勒院君に明かされてしまったが、復讐自体は全て成し遂げた。恭子の死に様なんて、美咲にも見せてやりたいぐらいだったな。何で自分が俺に殺されているのか分からないってツラで、そのまま死んでいきやがった。もう自分が過去にやった事でさえ、覚えていなかったんだろうな」


「だけど、キャプテンまで殺したのは、やりすぎだったんじゃない?」


 ずっと黙って話を聞いていた明彦が口を開いた。


 確かに、僕は美咲とも恭子たちとも関係ない。結構苦しい思いをさせられたのだが。


「そうだな、あの漁師のおじさんには悪い事をしたと思う。偶然館の周辺をうろついていたから、計画の邪魔になると思って衝動的に殺してしまった。だが、もう俺になりふり構っている余裕はなかったんだ。許されるなんて初めから思っていないが、どうかあの世では安らかに眠って欲しい」


 あの世とかには特に行かなかったけど、まあ事情は分かったし、僕としては別に怒るような事でもない気はしている。


 ただ、この復讐劇で桂太の心が本当に晴れたのか、僕には気掛かりで仕方がない。


 ――だが、僕にそれを訊く手段はもうない。



「さあ、これがこの事件の全てだ。後は、煮るなり焼くなり、好きにしてくれ」


 桂太の言葉で、話は締め括られる。



 しかし、この地下室でそれ以上何かを言える者は、もう誰一人としていなかった。

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